【横浜】名門を引き継いだ若き指揮官のチーム作り

 春夏5度の全国制覇を誇る横浜高校。
 横浜の同級生でもある渡辺元智監督、小倉清一郎コーチが長年にわたりタッグを組み、黄金時代を築き上げた。主に精神面を鍛えていた渡辺監督と、挟殺プレーでの2人殺し、二塁(三塁)封殺を狙ったバント処理など、勝つための細かい野球を仕込んだ小倉コーチと、役割分担がはっきりしていたのが強みだった。

 ただ、どの世界にも「世代交代」はあるもので、小倉コーチが2014年夏、渡辺監督が2015年夏に勇退。2人の名将を引き継ぐ形で、2015年の新チームから平田徹部長が名門の監督に就任した。横浜のOBであり、高3夏にはキャプテンとして甲子園ベスト4進出。国際武道大を卒業したあと、2006年から横浜のコーチになり、2010年から部長を務めていた。監督に就いて以降は、2016年から夏の神奈川3連覇中と強さを見せている。

 現在35歳。就任してから、口癖のように言い続けている言葉がある。

「試行錯誤」「創意工夫」「主体性」

 自分で考えて、自分で悩んで、自分で答えを見つけなさい、ということだ。もちろん、指導者がサポートすることはあるが、1から10まで管理し、指導することはない。

 その根底には、平田監督が持つ信念がある。選手にはこんな言葉で語りかける。
「横浜高校を選んで、甲子園やプロを目指して入ってきた志が高い集団なんだから、誰が見ているとか見ていないじゃなくて、目標に向かって自ら成長していくのが君たちの仕事だろう」

 取材当日も、平田監督の色が見える練習が行われていた。

選手の意志を尊重した練習

 12月上旬の金曜日、定期テストの最終日ということもあり、昼過ぎにスタート。グラウンドに着くと、フリーバッティングの最中で、ネット裏で見ていた平田監督が大きな声で場を盛り上げていた。まるで、キャプテンがもう一人いるかのようだ。

 ピッチングマシンは2台。緩いカーブと、140キロ近いストレートに設定されていた。バットは950グラム前後の木製バットを使用。二塁ランナーもつけて、打球判断の練習も兼ねていた。

 気になったのが、三遊間に1本のラインが引かれていたことだ。マウンドと三塁線の間あたりから、レフト方向に伸びる1本のラインがあった。

「あのラインが三遊間のヒットゾーン。目安として引いています」

 教えてくれたのは、金子雅部長だ。平田監督就任と同時に部長となり、主にピッチャー指導や中学生のスカウティングを担当している。毎年のように逸材中学生が入学してくるのは、金子部長の力が大きい。

 なぜ、三遊間にラインを引くか。
ここの打球判断が、二塁ランナーにとって難しいからだ。「サードやショートに捕られる」と思うと、どうしてもスタートの一歩目が遅れる。「抜けてからスタート」となると、ホームに戻ってこられない。二塁ランナーの位置からどの程度離れていたら、三遊間を抜けるのか(三遊間のポジショニングも、事前に確認)。グラウンドにラインを引くことで視覚化している。

 メンバーを中心に打ち終えたあと、平田監督がキャプテンの内海貴斗に声をかけた。

「内海、明日も2か所やるの?」
「はい、やります!」

 平田監督に聞くと、シーズンオフに入ってから、練習メニューは選手に任せているとのこと。シーズン中はカーブマシンと、平田監督による手投げを中心に打っていたが、12月に入ってからは選手の要望で速いストレートを打つようになったという。内海がその意図を説明する。
「『ストレートに振り負けない』ことも大事なので、ストレートマシンを入れました。ただ、ストレートだけ打っていると、間(マ)のないバッティングになってしまうので、緩いカーブを打つことで、間を作るようにしています」

 メニューを任されることで、「何をやったらいいかわからないことも多くて、自分たちで考える難しさを感じています」とも話す。

 その後、バント、バスター、エンドランを絡めた戦術練習や紅白戦が行われたが、平田監督はネット裏からノート片手にじっくりと観察。ひとつのメニューが終わるたびに、短いミーティングがあり、平田監督による評価がされていた。ひとりひとりのいいところを褒めて、改善すべき点もしっかりと伝える。声を荒げるようなシーンは一度もなかった。

 練習の終盤にはノック、トレーニングが行われ、全体練習は17時に終了。最後のミーティングでは、平田監督から「エンドランのマインドセットはどう考えている?」というように選手に問いかけるシーンが目立った。(取材・大利実/撮影・編集部)

後編「オフのキーワードは『マインドセット』」