野球という仕事 新井貴浩ほど感涙を流すにふさわしい男はいない
【君島圭介のスポーツと人間】――いやあ、久しぶりにおいしい酒を飲んだよ。

そんな声が聞こえた。
――黒田さんと抱き合う姿を見たらさ、涙が出てきちゃった。
昨年9月に急逝した前日本プロ野球選手会事務局長の松原徹は、ことあるごとに言っていた。「新井さんには本当に頑張ってもらった」。労組・選手会会長の激務が成績に影響することを最も気に掛けていた。広島カープの25年ぶりリーグ制覇を天国で見守り、ほっとして、その感涙を肴に松原は大好きな酒を飲んだのだろう。
どのチームにも試合前に「走塁」のメニューがある。打撃練習に合わせて状況をイメージしながらベースランニングを行う。若手には走塁コーチが付き切りでタイミングを教え込む。地味な練習だ。ベテランや主軸は免除されるが、広島の本拠・マツダスタジアムにはベース間を黙々と走る新井貴浩の姿がある。
「39歳の必死な姿に感化されたと思う」。41歳の黒田博樹は、2歳下の新井が広島野手陣を変えたと断言する。広島をけん引した2人のベテランは、優勝の瞬間に抱き合って男泣きした。投打のリーダーの熱すぎる抱擁を若いナインはほほえましげに見守っていた。
新井には涙がつきまとう。「辛いです…」と声を振り絞って07年オフに広島からFA行使を宣言。阪神移籍後は腰椎骨折や右肩痛に苦しめられた。新井の戦場はグラウンドにとどまらない。08年12月に労組・日本プロ野球選手会の会長に就任すると11年3月に起きた東日本大震災直後には「今は野球どころではない」と、シーズン開幕の延期を求めて奔走した。
12年7月には選手会が第3回WBCへの不参加を表明。同9月4日に不参加決議を撤回するまでの46日間、新井は労使交渉の最前線で拳を振り上げた。午前中に球場の会議室で、またホテルの一室で折衝を重ね、午後は大観衆の中で打席に立つ日々を続けた。選手生命さえ縮めかねない過酷な状況だった。
プロ野球が未来へ存続するために今何が出来るかを問いかけ、大会限りの寄せ集めだった日本代表を「侍ジャパン」として常設化し、球界ビジネス、野球振興の柱とすることを12球団に認めさせた。そのとき日本野球機構(NPB)の選手関係委員長として「使用者」側の代表を務めたのが、広島球団本部長の鈴木清明だった。
労使に分かれて戦った2人が再び手を握った。14年オフ、阪神を自由契約になった新井に「帰ってこい」と真っ先に声をかけたのは鈴木だった。「あいつが好きなんじゃろうな」。鈴木は周囲にそう漏らしたという。そして成し遂げたリーグ制覇。悲涙、悔し涙…。39年間でたくさんの涙を流してきた。次は日本シリーズ。
――また、おいしい酒が飲めるかな。
松原の声が弾んでいる。(専門委員、敬称略)
◆君島 圭介(きみしま・けいすけ)1968年6月29日、福島県生まれ。東京五輪男子マラソン銅メダリストの円谷幸吉は高校の大先輩。学生時代からスポーツ紙で原稿運びのアルバイトを始め、スポーツ報道との関わりは四半世紀を超える。現在はプロ野球遊軍記者。サッカー、ボクシング、マリンスポーツなど広い取材経験が宝。