武士道といふは 死ぬ事と見付けたり…黒田と松坂の引き際の美学
【鈴木誠治の我田引用】広島の黒田博樹投手が、日本シリーズ第3戦の登板を最後に引退した。MLBのヤンキースから2015年に古巣の広島に復帰。日米通算200勝を達成した今季は、チームの精神的支柱の役割も果たして、25年ぶりのリーグ制覇に導いた。

「かっこよすぎる引き際だね。男気と形容される通りの、潔さだね」
女勝負師のスゥちゃんに話し掛けた。
「まあ、男のロマンってやつじゃないの」
黒田投手はFA権を取得した06年、「君が涙を流すなら 君の涙になってやる」という感動的な広島ファンの横断幕に心動かされ、広島に残った。翌07年に夢だったメジャー挑戦の決断をしたが、14年オフに10億円ともいわれたメジャー球団のオファーを蹴って、推定年俸3億円で広島に復帰した。男気伝説には事欠かない。
武士道といふは 死ぬ事と見付けたり 二つ二つの場にて 早く死ぬ方に片付くばかり也 別に子細なし 胸据わって進む也
江戸時代、佐賀藩の武士の心得として書かれた「葉隠」に出てくる有名な一節だ。生死を選択せざるを得ないような場面では、死ぬ確率が高い方を選べと言う。実際にその場に遭遇すると、ゆっくり考えている時間がないから、常日ごろから死を近くに考えよ、というほどの意味のようだ。
黒田投手は「引き際は常に考えている。ボロボロになるまでやりたくない」という美学を持っていた。リーグ優勝を果たしたことで、その引き際と判断したのだろう。今季も10勝を挙げただけに、引き留める声もあったが、自らの引き際の美学を貫いた。
「死を引退に置き換えれば、黒田投手の決断は武士道に通じるね」
そう話すと、スゥちゃんは「うーん」とうなって、こう答えた。
「それを言うなら、松坂なんじゃない?」
やはりMLBから昨季、日本球界のソフトバンクに復帰した松坂大輔投手は、右肩手術などを経て今年10月2日、10年ぶりに日本の1軍のマウンドに上がった。だが、立ち上がりの4連続四死球などで5失点し、1回で降板した。それでも、「平成の怪物」と言われた名投手は、プエルトリコのウインターリーグ参戦を直訴するなど、現役にこだわっている。
「現役を続けても、活躍できる保証はないし、だめならボロクソに言われる。あれだけの実績を残した投手がボロクソに言われるのはきついと思う。それでも、やる。相当な根性だと思うわ。美学の質が、二人は違うわね」
確かに、死を「苦難」に置き換えれば、葉隠の言葉は松坂投手にも当てはまる。
葉隠はこう続ける。
図に当たらぬは犬死などといふ事は 上方風の打上がりたる武道なるべし (略)若し図にはづれて生きたらば腰抜け也 この境危うき也 図にはづれて死にたらば(略)恥にあらず
「早く死ぬ方」を選んで目的を達成できなくても、犬死にではない。生きる方を選んで目的を達成できなければ、腰抜けである。犬死には恥ではないと言うのだ。
美しいまま去るのか、ボロボロになるまで続けるのか。
同じ大投手が見せる、引き際の美学の違い。もちろん、武士道と野球は違うものだし、美学に正しいも間違いもない。来季以降は、黒田投手とは対照的な松坂投手の引き際も、見守りたい。
◆鈴木 誠治(すずき・せいじ)1966年、静岡県浜松市生まれ。立大卒。ボクシング、ラグビー、サッカー、五輪を担当。軟式野球をしていたが、ボクシングおたくとしてスポニチに入社し、現在はバドミントンに熱中。