野茂、ONシリーズ、大谷…王さんが語る野球界の平成史

 ソフトバンクの王貞治球団会長(78)が18日、東京都千代田区の日本記者クラブで会見し、平成の野球界を回顧した。昭和の選手時代から、互いに監督となっても「ON」として輝いてきた巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(82)との思い出や、野茂英雄氏(50)のメジャー移籍から国際化の波にのまれたプロ野球、そして新元号下での野球界の未来まで語った。 (伊藤 幸男)

日本記者クラブで平成の野球について語る王貞治・ソフトバンクホークス会長(撮影・西川祐介)

 【(1)平成は国際化の時代~野茂が道を切り開いた】

 王氏がダイエー監督就任1年目の95年に野茂氏が近鉄からドジャースへ移籍した。

 「野茂君が厚い壁を突破して、見事にアメリカで成功した。球史に残る素晴らしいことをしてくれた。これで日本選手に“俺もやってみよう”と火が付いた。当時、国内では“これ(メジャー流出)を閉ざさなくてはいけない”と意見も出ていた。しかし、絶対防ぎようがない流れなんだ。だったら、日本では若い、新しい選手が成長して、むしろメジャーに行くことが目的となったら、もっともっと日本のレベルが上がると、私は言ってきた」と力説した。

 「我々の時はメジャーが来ると“凄いな”と仰ぎ見たが、今の選手はそんなこと全然ない」とメジャーをはるか上に見ることはなくなった。世界記録となる868本塁打を放った王氏は「今の時代に現役だったら、メジャーを目指したか」を問われると「我々の時代は道が閉ざされていて考えたこともなかったけど、山があれば登ってみたいと思うのと同じ。速い球は得意だったし、チャレンジしていると思う」と話した。

【(2)ONとして球界の看板を背負った思いと尽きないミスターとの思い出】

 00年にはダイエー監督として、巨人の長嶋茂雄監督と日本シリーズを戦ったが2連勝後に4連敗。「区切りの年にON対決なんて神様に失礼だけど、味なことやるなと思ってました。巨人は松井、清原がいて強かったけど、私(のチーム)だって前年(99年)日本一。絶対勝つぞ!との思いで戦いました。私は常に弟分でしたけど、“弟”として何とかして“兄貴”を超えたい気持ちもありました。結果的に2連勝したけど3戦目に大敗。それからは一方的な流れでした」と懐かしんだ。球界の看板を背負ったからこそ「最初で最後の戦いになりましたが、私にとっては長嶋さんと日本一を戦えた2000年は特別な年」と言う。

 自らも昨年体調を崩したが回復。この日は長嶋氏の退院、リハビリ開始のニュースも入った。

 「良かったなと思います。長嶋さんはとにかく特別な存在。元気で輝いていてほしい人。だから皆さんと同じ思いを抱いてくれることがうれしい。(巨人時代に)ONとして16年やってきましたから。2人でしか分からないことはあります。今は寒いけど、春から夏にかけては元気な姿を見せて野球場に来てほしい。野球ファンだけでなく、日本中が待ち望んでいる。じっくり体調を取り戻してほしい」と言った。2人だけが分かち合える思いがある。

【(3)二刀流・大谷と新元号となる球界の未来】

 エンゼルス・大谷の活躍については「投手でも打者でもメジャーで通用している。今までそんな選手見たことない。アメリカに行く時はワーワー言っていたけど、今は黙っちゃった。自分の技術で黙らせたんです」と称賛する。将来的には打者か投手に専念する時が来るかもしれない。王氏は「大谷君の決断次第ですけど」と前置きしながら「私は一年でも彼の雄姿を見たいので、彼がバッターに専念してくれた方がいいなと思います。故障が常に付きまとうのはピッチャー」と話した。

 平成から新時代へと向かう。「野球は戦前―戦後と変化というか進化している。例えばボールの握り(変化球)や打者の肘あて。選手が何かしら自分の道を見つけていけば、野球はいい方に進化すると思う。私も(現役に)戻れるものなら戻りたい」と語る。近年は野球人口の減少が顕著となっているが「野球はやったら本当に面白い。小さい子にやる場、知ってもらう場を提供していきたい。野球はお茶の間で“ああだ、こうだ”と言って入っていけるスポーツ。その魅力はこれからも変わらない」と世界の本塁打王は野球界の未来を見据えた。