セドナに行くつもりがフラッグスタッフを走っていた話。アリゾナ州でのラントリップ 

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前回の続きである。ぼくの住んでいる南カリフォルニアからアリゾナへの1人ドライブ旅行とランの話だ。

ロサンゼルス・エンゼルスの春季キャンプ施設を走るという、野球ファン以外には興味がないだろうけど、ぼくにとっては長年の念願をかなえた翌朝、フェニックスからインターステート17を北上した。向かった先は癒しスポットとして最近日本でも人気が高い観光地セドナ、のはずだった。

セドナはフェニックスから200キロほどしか離れていないが、ほぼ砂漠のようなアリゾナ州南部からは風景が一変する。レッドロックと呼ばれる奇岩と緑が織りなす雄大な景色とボルテックスと呼ばれるパワースポットが何箇所もあることで有名だ。毎年2月に行われるセドナ・マラソンは『全米一、風光明媚なマラソン・コース』をキャッチフレーズにしていて、大会ホームページには本当に息を呑むほど美しいコース写真が紹介されている。いつかは走ってみたいと思うレースの1つだ。

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初めての場所に行くとき、ぼくはあまりガイド情報みたいなものを熱心に集めるタイプではない。いきあたりばったりでその時の気分に合わせて旅をするのが好きだ。だけど今回は翌日に予定が入っていて、セドナに滞在できるのはせいぜい半日ぐらいしか時間がなかった。セドナには数えきれないほど多くのトレイルがある(らしい)。そのどれでもいいけど、現地に着いてから探していては、それだけで時間が過ぎてしまう恐れがあった。

だから前日にインターネットでセドナのトレイル情報を調べて、あらかじめ走るコースを決めていた。ぼくの車にはカーナビがないのだけど、スマホのグーグルマップに行先を入力しておいた。賢明な判断だ。だけどセドナに近づくにつれ、スマホのバッテリーが減ってきた。車内で充電すればいいのだが、充電ケーブルはトランクの中だった。愚かなミスだ。

仕方がないので高速道路から降りて、スターバックスに入った。ちょうどコーヒーも飲みたかったし、スマホの充電も出来る。高速道路の表示で、既にセドナ近辺まで来ていることはわかっていた。そうでなくても、周りは写真で見た通りの風景に囲まれていた。

どうやら、ぼくは高速道路から降りるべき出口を通り過ぎていたようだった。グーグルマップの新たな指示によると、今来た道を10分ほど引き返し、それから山間部を30分ほどのドライブで目的地に到着するということだった。

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まだ朝の8時ぐらいだった。引き返しても時間の問題はない。だけど、ぼくの中でその目的地にどうしても向かいたいという気持ちがなくなっていた。ここまでの景色は素晴らしかった。だけど同じ道を引き返して同じものを見るより、前に進んだ方がもっと良い景色が見れるのではないかと思ってしまったのだ。

旅をしていると、ぼくにはよくそういうことがある。そして大抵は上手く行かない。移動を続けているうちに、最初に見た場所から比べると感動の目盛りが少しづつ減っていくことが殆どだ。

ともあれ、さらに北上することにした。もっときれいなところはないか、もっとすごいところはないか、と思いつつ車を走らせているうちに、いつのまにかセドナを通り過ぎて、フラッグスタッフまで来ていた。ここまで来ると、世界遺産のグランドキャニオン国立公園までもうすぐだ。

フラッグスタッフの地名は高地トレーニングの名所として記憶にあった。北島康介さんら日本の水泳チームもここで合宿していたし、多くのランナーが強化トレーニングの拠点にしているらしい。海抜2,100メートルということだから、富士山の5~6合目ぐらいだ。

アスリートの適性にもよるけど、高地トレーニングは最低でも3週間ぐらい行わないと効果が出ないとされている。ぼくは以前、別の場所で1週間の高地トレーニングを経験したことがあるが、特に最初の3日間は呼吸が苦しくつらかった。

それでもいいや、話のタネにオリンピック選手がトレーニングするような場所ってどんなものか見てみようと思った。自分の力量をわきまえずにムチャをするのも、またぼくにはよくあることなのだ。そして、これも良い結果をもたらさないことの方が圧倒的に多い。だが、今回はそうではなかった。

フラッグスタッフの町に入り、車を走らせているとすぐにトレイルの入り口が目に入った。

“Sandy Seep Trail” と看板にあった。ぐるっと回っても5キロぐらいしかないみたいだし、有名なトレイルではないだろう。地元の人が手軽に楽しむための散歩道、という感じがする。日曜日の昼間にもかかわらず、駐車場には車が2台しか停まっていなかった。

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トレイルを走り始めてみると、やはり酸素は薄く、呼吸が苦しい。意識してスピードを落とす。走るというより歩くようなペースだ。

遠くの山を背景にマツ林や草原を走るルートで、足元は柔らかい土で走りやすい。緩やかなアップダウンと風景の変化があって退屈しない。

11月だったのだが、長袖のTシャツ1枚で充分なくらい暖かった。もっともスキー場が近くにあるぐらいで、冬はとても寒くなる土地なのだそうだから、単にその日のぼくがついていたのだろう。

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気持ちの良いランだった。絶景、というほどの風景ではなかった。圧倒的だったのは静けさだ。1時間ほど走って、人とすれ違ったのは3組だけ。聞こえるのは風の音だけ。空はどこまでも青く、空気は澄んでいた。よく整備されたトレイル以外、人工的で余分なものは何もないけれど、これ以外に何か欲しいものがあるかと問われても思いつかない。多分、何もつけ足さない方が良いのだと思う。

同じトレイルを走ったとしても、高地トレーニングに来るアスリートはこんなのんびりした印象は抱かないだろう。ぼくだってもう少しペースを上げて走っていたら、薄い酸素に苦しんで景色を楽しむ余裕などはなかったはずだ。あくまでこの日のぼくにとってはということだけど、フラッグスタッフは調和と静けさの土地だった。

最初に考えていたものとはだいぶ違ってしまったが、今回の旅もランも悪くなかった。思わぬ拾い物をしたような気持ちで帰路に就いた。