メキシコ野球伝来の歴史【WORLD BASEBALL vol.1】
メキシコに野球が伝来したのは、本場アメリカで野球が生まれて間もなくのことのようである。 1847年に大西洋岸・ベラクルス州ハラパで米軍兵士によって行われた試合が「メキシコ野球事始め」という説もあるが、19世紀末に、鉄道建設の技術者によってアメリカ国境から首都メキシコシティへと延びていった線路ととも に伝わったルート、アメリカ水兵によって太平洋岸シナロア州にもたらされたルート、そして、アメリカの船乗り、あるいはキューバ人によって南部ユカタン半島にもたらされた ルートの3つからによりメキシコに野球は浸透していった。現在もこれらの地域では、サッカーが優勢を誇るこの国にあって、野球人気がサッカーのそれに準じるか、もしくはしのいでいる。
アメリカ人の娯楽をメキシコ人たちが眺めるという風景は、1884年にメキシコシティでメキシコ人による試合が行われたあと変わっていく。
1906年には、その年のワールドチャンピオン、シカゴ・ホワイトソックスが来訪し、その後もアメリカやキューバのプロチームが有料試合を行うなど、野球は次第に興行として行われるようになり、1925年にはスポーツ記者アレハンドロ・レイエスにより、現在まで続く国内トップリーグであるメキシカンリーグ(リガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル)が発足した。
当初メキシコシティ周辺のクラブが1チームあたりシーズン10数試合をこなすだけの地方リーグを、本格的なプロリーグに育てたのは、タバコ産業や貿易で財をなした若き富豪、ホルヘ・パスケルだった。
彼は、1940年、名門チーム、ディアブロスロッホス ・デ・メヒコ(メキシコシティ・ディアブロスロッホス)を買収した上、自らの故郷の名を冠したアスルス・デル・ベラクルス(ベラクルス・ブルース)擁してリーグに参入すると、たちまちのうちに、リーグの事実上の支配者となった。そして、所有する2チームの共同のホーム球場として、メキシコシティの球場、パルケ・デルタ(デルタ・パーク)を収容2万人の大球場に改修すると、「3つ目のメジャーリーグ」なるべく、リーグ会長となった1946年以降、アメリカに「野球戦争」とも称される選手の引き抜き合戦を仕掛ける。
しかし、この無謀な挑戦は失敗に終わり、資金の尽きたパスケルは1952年シーズンを前にリーグから撤退し、その3年後、航空機事故のためにその一生を終えることになる。
同年、メキシカンリーグはアメリカ・マイナーリーグ統括組織であるナショナルアソシエーションに加盟、2Aクラスのマイナーリーグとして運営されることとなった。
この年からリーグの主導権は、新球団ティグレス(タイガース)を設立してリーグに参入してきた富豪、アレッホ・ペラルタが握ることになった。ティグレスは参入初年度に早速優勝すると、以後、ディアブロスに次ぐ12回のリーグ制覇を成し遂げる。1966年シーズン前には、来日し、日本のプロチームとのオープン戦を行ったが13戦全敗に終わっている。
メキシカンリーグは1967年に3Aに昇格、現在に至るまで国内トップリーグとして広大な国土全体に16球団が展開されている。
文・写真=阿佐智