いつでも走ることができる競技と、チームがないと活動できない球技の話
ぼくの車のトランクにはロード用とトレイル用の2種類のランニングシューズがいつも置いてある。いつでも好きな時に走るためでもあるし、どこに行ってもその辺りを走ってみると初めてその土地のことがわかったような気がするからだ。だから持ち物が制限される飛行機で旅行するのはあまり好きではない。そんな時でもランニングシューズは持っていくが、さすがにカバンに2種類のシューズを入れるほどの拘りはない。
走ると当然体は疲れるし、車で回ることと比べたら、見ることが出来るものの量は限られてくる。旅をするには効率は悪い。それでも走ることでしか得られないものもある、と思う。旅の実感という意味では、量より質なのだ。
ぼくにとっては旅と走ることはセットになっていて、どちらが主だと決めることは出来ない。もちろんマラソンとかのレースに出るような時は走ることが一番の目的で、レース後の観光はおまけのようなものだ。あるいは何か別の目的で見知らぬ土地に行って、そこで走ってみたら、思いもかけない出会いがあったり、いつまでも忘れられない思い出が出来ることもある。今回紹介するパームスプリングスはぼくにとっては後者だ。
ロサンゼルスから片道2時間ほどの距離にあるパームスプリングスは、避寒地リゾートとして名高い。ハリウッドのスタジオにすぐに戻れるからという理由で、多くの映画スターがこの街に別荘を持っているということだし、近辺には有名な(そして高額な)ゴルフ場がいくつもある。現在女子テニスの世界ランキング1位、大坂なおみが昨年ブレイクするきっかけとなったインディアン・ウェルズ・オープンの会場もすぐ近くだ。
2月の間、ぼくはこのパームスプリングスに何回も通った。数えてみると1か月で合計7回、最後の週などは3回も自宅とパームスプリングス間を往復している。
映画スターでもゴルファーでもないぼくがこのリゾート地にかくも頻繁に通った理由は、もちろん別にある。それがこの地で行われていた全米屈指のプロ野球スカウトリーグとして知られるカリフォルニア・ウィンターリーグ(CWL)だ。
スカウトリーグとは、プロ志望のアマチュア野球選手達がメジャーリーグや独立リーグのスカウトの前で実力を披露し、プロ入団契約を勝ち取ることが目的で開かれる。選手達の多くは、20代前半。高校や大学での野球を終え、メジャーリーグのドラフトからは声がかからず、それでも野球を続けたいと願う若者たちが、全米各地からこのCWLにやってくる。そうした選手達の中には日本人も多く含まれていて、今年は全体で10チームあるうちの1チームがほぼ全員日本人で形成された。
最初ぼくはこの日本人チームの監督や選手達に取材目的で会いに行ったのだが、彼らのプレイを見て、ひとりひとりと話をしているうちに、どんどん彼らのファンになってしまい、気がついたら何度も試合や練習を観に行くことになったのだ。最後の方は取材なのだか応援なのだか、自分の中でも区別がつかなくなっていた。
リーグ戦が行われたパームスプリングス・スタジアムは、ダウンタウンの中心部からすぐ近くにある。ダウンタウンと言っても流石はリゾート地。他のアメリカの大都市に見られるような荒廃した雰囲気は、みじんもない。地名の通り、パームツリーが並んだ芝生の美しい公園の中に建てられたこじんまりとした球場だ。もっとも野球をするフィールドそのものは広く、ホームベースから外野フェンスまでの距離は両翼106メートルもある。ちなみに東京ドームは100メートル、甲子園球場は95メートルだから、その広さがわかるだろう。


ぼくは性格で時間に遅れると言うことが出来ない。いつも試合開始時刻よりずっと早くに球場に着いた。そうなると車のトランクに入っているランニングシューズの出番になる。
よく球場の周りを走って時間を潰した。公園のとなりには高校があり、その周辺も閑静な住宅地の中によく整備された歩道が続いていて、ちょっとしたジョギングをするにはちょうどよかった。砂漠の中に作られた街だけあって、土地はひたすら平らで広く、坂道はまったくない。それも走るには都合がいい。サイクリングを楽しむ人も多いようだった。
ゆっくり走りながら、あれこれ考え事をする時間が何より好きだ。ランニングを趣味にして良かったとつくづく思うのは、いつでもどこでも走りたいと思いさえすれば、ぼくらランナーはただ走り出せばいい、ということだ。そこには、資格も条件も何もない。たとえレベルに天地の差があったとしても、ぼくのような素人でもオリンピックランナーと同じマラソンコースを走ることだって出来る。
だけど、野球選手はそうはいかない。どんなに野球が好きでも、そして自分の実力に自信があったとしても、受け入れてくれるチームがなければ野球を続けることが出来ない。スカウトだって、例えばマラソンのタイムのようにはっきりした数字で評価が下されるわけでもない。打率やら防御率やらの数字だって、試合に出なければ、そもそも結果を残す機会すらないのだ。その貴重な機会を求めて、あるものは仕事を辞めて、あるものはアルバイトで資金を溜めて、このスカウトリーグにやって来る。
アメリカ全体では、今年は大寒波に見舞われた冬だったのだが、この温暖な南カリフォルニアも多少ながらもその影響を受けた。日中の最高気温は20度を越えても、市内から見える山には雪が積もり、パームスプリングスの一番の観光の目玉であるトラムウェイは雨による地盤の崩れが原因で操業を停止した。しかし野球をするには(ぼくにとっては走るには)絶好の天気が続いた。1か月に渡るリーグ戦は、文字通り毎日休みなしで試合が行われるのだが、雨で中止になったのは1日だけだ。それも極めて珍しいことなのだそうだ。
冬の日本からやってきた選手達の顔は、日に日に日焼けしていった。それと同時に、逞しさも増してきているように見えた。
選手達の宿舎は球場から数キロほど離れたホテルで、4人1部屋の団体生活を送っていた。高級リゾートであるパームスプリングスにおいては安い部類のホテルなのだが、それでも部屋は広いし、人数分のベッドがあり、小さなキッチンまでもついている。スプリングス(温泉)と地名にあるぐらいだから、ジャグジーも充実している。
選手達はそのホテルから毎朝シャトルバスか、あるいは歩いて球場にやってきて、ウォーミングアップをして、試合をして、その後で居残り練習をして、またホテルへと戻る毎日が1か月続く。朝食はホテルで食べて、昼食は球場でリーグから提供される。「日替わりのランチメニューなんですよ」と選手達は言っていたが、いつ見てもハンバーガーかホットドッグだったような気がしないでもない。ハンバーガーでなければホットドッグ、ホットドッグでなければハンバーガーだ。あるいは、その両方が出る日もあったのかもしれない。
ぼくはどちらも嫌いではないし、野球場で食べるのはおいしい。だけど、それが毎日続くとなるときついだろうなあとぼくなどは思うのだけど、チームを率いる安田裕希監督は「こんなに恵まれた環境はありませんよ」と笑う。なにしろ安田監督は米国の独立リーグでプレイする現役の選手で、バス・ターミナルの床やベンチで寝て米国各地のトライアウトを受けて回った経験もある猛者なのだ。外見はとても穏やかで、いつも静かな声で話す人なのだけど、こういうタフさがないと海外でプロ野球選手としては生きていくことは出来ないのだろう。

日本で育った昭和の男の子の多くの例にもれず、ぼくの子供の頃の夢もプロ野球選手になることだった。その夢は早い段階で諦めて、いわばプランBの人生を送っているわけだけど、それだからこそ、その夢を諦めていない選手達にぼくは尊敬の念を抱いている。そして少なからず羨ましくもあった。
皆、とても礼儀正しく、外部者に過ぎないぼくに対しても帽子をとって挨拶してくれる若者たちだった。日本の野球といえば、全体主義的な雰囲気がとかく批判されがちなのだけど、良い面もたくさんあるのだなと改めて思った。
リーグが終了した翌日には、チームは慌ただしく帰国の途に就いた。その後は、それぞれがそれぞれの場所で挑戦を続けることになる。知り合った選手達ひとりひとりが少しでも長く大好きな野球を続けられることをぼくは祈っている。
