【明石商】僕らが明石商で狭間監督から学んだこと
春夏ベスト4進出を果たした明石商。兵庫県勢としては実は83年ぶりの快挙で、令和の時代に新たな伝統を築きました。しかし、夏の甲子園を目指す道は平坦ではなかったそうです。今、振り返る“あの時”を中心に、明石商で学んだことをなどを語ってもらいました。
メンバーとメンバー外の間にできた溝
——春夏の甲子園でベスト4まで勝ち進みましたが、センバツ以降はチームがなかなかうまくいかない時期があったと聞きました。
重宮 センバツでベスト4になって、気持ちが緩んでしまって全員がバラバラの方向を向いてしまっていたし、センバツで達成感を得てしまっていました。
全国の舞台で結果を出すという今までにない経験をして、あちこちで(新聞等で)取り上げられたことで、最後の夏が終わったみたいな雰囲気になったんです。春の県大会で負けたのはそれが原因(県大会2回戦で須磨翔風に2−3)です。メンバー以外のヤツも“どうせ夏もコイツらがレギュラーなんやろ”っていう空気になっていて、メンバーとメンバー外の間に溝ができてしまっていたのもあります。まとめていく立場でもそこがやりにくかったです。
杉戸 新チームが始まった頃は全員がレギュラーを目指す、みたいな活気があったのに、あの頃はそれがなかったですね。自分でも、このメンバーだったら夏も勝てるやろうっていう余裕ができてしまっていました。
宮口 自分は調子自体が良くなったり悪くなったりでチームの雰囲気が分からなかったんですけれど、センバツで結果を残せなかった自分に悔しさがあって、背番号1に戻りたいとだけ思っていました。
安藤 センバツは打線が繋がっていましたし、守備もしっかりできていたんです。全体的に調子が良かったのもありますが、そこから全体の意識がガクンと落ちて調子もなかなか上がらなかったんです。
重宮 焦りもなくそれなりに普通に練習をしていたんですけれどね……。あそこで負けたことで気づけたことも多かったです。
——監督さんからは厳しいことを結構言われた?
重宮 そうですね。自分では気づかなかったんですけれど細かいことを言われて、周りからそう見られていたんだなと思いました。キャプテンとして自分が変えていかないといけないなと。
杉戸 春の近畿大会が終わった時期に監督さんから言われたのが、近畿大会で準優勝した神戸国際大付のことを挙げて「お前らは絶対に(神戸)国際に勝てない」って。それで自分たちの心に火がつきました。
興南・宮城のボールは凄かった

——県大会で負けて以降のチーム状況はどんな感じだったの?
宮口 5月は招待試合が続いていて、あちこちで試合する機会が多かったんです。沖縄や宮崎で試合をして普段見られないレベルのチームを見ることができました。
杉戸 兵庫県や近隣県のチームと試合をすることが普段は多いけれど、沖縄では同じ左投手の興南の宮城投手がすごく良くて、宮城投手にヒットを2本も打たれて、ピッチャーに2本も打たれるのはダメだとか色んな経験もできました。
重宮 この時期は例年に比べて試合数も多かったですし、今まで対戦したことがない強豪と試合することで周りのレベルを知ることが良かったです。
安藤 宮城君のボールが良かったです。変化球のキレがすごくて、1打席目で三球三振してしまって…..。今まで見た左ピッチャーでは一番良かったですね。
重宮 三振して、ベンチでめっちゃ怒られとったもんな。
安藤 せめてバットを振って帰って来いって言われました。怒られる覚悟はしていました。
キャプテンの口から出た「辞める」
——チームの雰囲気が変わり始めたのはいつ頃から?
重宮 自分がキャプテンを辞めるって言い出した6月頃ですかね。自分が動かなかった間、安藤や水上がしっかりやってくれました。自分の愚痴を山口が聞いてくれることもあったし、周りが話を聞いてくれてはいました。ひとつ距離を置いてチームを見ることで足りない部分も感じたし、それ以降は自分の一言でチームが動いてくれるようになりました。
安藤 (キャプテンを辞めると言う前から)重宮の顔を見て、いつもと違うなと感じてはいたんです。重宮がいなくても、重宮の顔を見ながら話をしてきて、徐々に泥くさく野球ができるようになってきたのが6月ですね。
杉戸 重宮は誰にでも強く言えるし、キャプテンらしいキャプテンなんですよ。
重宮 いや、たぶん僕は口が悪いんです(笑)。
杉戸 口が悪いというより、表情で気持ちが伝わってくるから分かりやすいんです。
宮口 それに重宮は声が大きいですし。
安藤 そう。自分のポジションからもよく声が聞こえました。
重宮 昔から声が大きいってよく言われます。ちなみに自分、入学した時はガリガリで、2年前から20キロ以上体重が増えました(笑)。
明石商で学んだこと
——明石商でどんなことを学びましたか?
宮口 (狭間)監督に、ミーティングで色々なことを言われて響く人間になれと言われました。15歳で入学してきた時は、それがどういう意味なのかさっぱり分からなかったんですけれど、この春の県大会でベンチから外れてスタンドで色々な人に声を掛けてもらっているうちに、これだけたくさんの人に見てもらっていたんだなと、周りに感謝しなければいけないという意味が分かりました。
安藤 劣勢の試合ほど粘り強さがかなりついたと思います。
重宮 甲子園の初戦(花咲徳栄戦)も接戦でしたが、負ける気がしませんでしたね。
杉戸 そういう雰囲気を監督さんが作ってくれていたと思います。
(取材・写真:沢井史)