“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像

ロサンゼルス(LA)と言えば、ハリウッドやディズニーランドなどの賑やかな観光地を思い浮かべる人は多いだろう。それはなにも日本のツーリストに限った話ではない。少し古くなるが、シェリル・クロウの93年のヒット曲『All I Wanna Do』は“ This ain’t no disco It ain’t no country club either This is LA! “(ディスコでもカントリークラブでもない。ここはLA!)と言うフレーズで始まるし、それよりさらに10年前の1983年には、ロサンゼルスはこんなに楽しいぜ! と繰り返しているだけの陽気で騒がしいご当地ソング『I Love L.A.』なんて曲がかなり流行った。

どちらにしても30年とか40年ぐらい前の話なのだけど、そんなに昔の曲だったっけ。せいぜい10年くらい前の曲なんじゃないの? って思ってしまうのは明らかにトシのせいだとわかってはいるが、それは今回の本題ではない。ロサンゼルスとは、昔からアメリカの中でも賑やかな場所だってイメージがあるし、今でもそれは基本的には変わっていないのだと言いたいのだ。

ところが、そのロサンゼルスから北へ車で1時間ほど走ると、周囲は美しい海岸と古い街並みの落ち着いた雰囲気に一変する。その中心になるサンタバーバラ付近は、“アメリカのリビエラ”と呼ばれているくらいだ。そこから海岸線を北上すると、サンルイス・オビスポ、モロ・ベイなど、さらに静かで落ち着いた海沿いの街々を巡ることができる。目玉になるような観光名所はないし、特にエキサイティングでもスリリングでもない。こう言っちゃなんだけど、ガキの来るところではない。それでも1、2泊ぐらいで小旅行をするには最高の場所だとぼくは思っている。

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像
サンタバーバラ近くの海岸。静かで好ましいと見るか、寂しいと見るかは、あなた次第だ。

きっかけはマラソン。ラントリップは意外な場所へ導いてくれる。

ぼくが長年住んでいるのは、ロサンゼルスの南側にあるオレンジ・カウンティーなので、反対側にあるサンタバーバラに縁がなかった。わざわざ出かける理由もなかったし、仕事などの用事もなかった。そもそも静かで落ち着いたオシャレな街というコンセプトは、ぼくの元来のキャラにも合わない。

だが、このサンタバーバラでは、カリフォルニア州全体でも指折りの長い歴史をもつマラソン・レースが毎年開かれていて、そのことがぼくをこの街へ誘う理由になった。もし、レースに出るという動機がなければ、ぼくがサンタバーバラに来ることは一生なかったかもしれない。

ランニングを趣味にしていることで良いことはたくさんあるけど、思いもかけなかった土地に出かけるキッカケになることもその1つだろう。ただレースに出るだけではなく、観光もセットにすると、旅行の楽しみは2倍にも3倍にもなる。そうじゃなかったら、ホノルル・マラソンがあんなに人気が出るわけはない。

ただし、旅行の常として、いつも楽しいことばかりが起こるとは限らない。トラブルがあってこその旅なのだし、それが非日常というものだ。知らない土地に出かけていって、わざわざ走ることを加えるわけだから、トラブルが生じる可能性だって倍以上になる。

そして往々にして、後日になって振り返る旅の思い出は、レースの出来に左右される。あるいは、レースの印象は旅の良し悪しによって左右される。レースでは自己新記録を更新したし、周りの景色も人も最高でした。そんな話だったら言うことはないのだけど、いつもそんな風にすべてが上手くいくほど世の中は甘くない。ぼくにとってのサンタバーバラもその例外ではない。

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像
サンタバーバラは海と山に囲まれている

若くないのに向こう見ずだった愚かなランナー

ぼくがサンタバーバラ・マラソンに参加したのは、8年前のことになる。それまでにも何回かマラソンは走っていて、この半年前のレースでは自己新記録となる、3時間30分強を達成していた。その後もトレーニングを継続して、体調はさらに上がっていた。サンタバーバラではもっと記録を伸ばしてやるぜ! と心ひそかに期するものがあった、のならせめて傷は浅かったのだが、おろかなぼくは、このレースに出ることを周囲に散々知らせて回っていた。ちょうどSNSを使い始めた頃で、その怖さもよく知らなかったのだ。おかげで、できればそっと引き出しの中に隠して、なかったことにしたかった失敗を、知らせなくてもいい人にまで知らせる羽目になった。年齢的にはけっして若かったわけではなかったが、若い人と同じように色々なことに未熟だったのだ。

その頃のぼくは、カーボ・ローディングの効果を信じていた。レースの1週間前から練習量を落とし、最初の3日間は炭水化物を極端に減らし、最後の3日間で逆に増やす。そうすることで、スタミナの源になる体内のグリコーゲン貯蔵量を一気に増やす。理論的には間違っていないと思う。でも何も、レース前日にピザを大食いして体重を2キロも増やすことはあるまい。ビールにだって炭水化物がたくさん入っているからって、せっかくの禁酒を走る前に解禁することもあるまい。しかも、1杯飲んだら気が大きくなってしまって、2杯、3杯と重ねてしまうのでは話にもならない。

せっかく整えたコンディションを、レース直前の1日で台無しにしてスタートラインに立ったぼくだったが、なにしろ根が馬鹿なので、そのときはまだ自分がやったことの意味をわかってはいなかった。この期に及んでもまだ、自己記録を更新できると思っていたのだ。

スタート直後から鼻息荒くペースを上げ、身分不相応にも3時間のペーサーを追いかけた。まだサブ3.5をクリアしていなかったのに、いきなりサブ3を狙おうとしたのだ。繰り返し言うが、馬鹿である。

それでも、中間地点までは物事は上手く進んでいた。ハーフの通過タイムは1時間34分。ぼくのハーフマラソンの記録は1時間39分だから、なんとそれより5分も速い。信じられないが本当である。多分そこまでは下りが多いコースだったのだろう。冷静に考えればそのペースで最後まで行けるわけはないのだが、そのときはそんな風には考えられない。それどころか、いいぞ、いいぞ、後半はもっと根性出して、3時間を切ってやるぜとますます燃えていた。もう一度だけ言うが、馬鹿なのである。

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像

当たり前だけど、後半に入ると徐々にペースが落ち始めた。3時間のペーサーが遠くに見えなくなり、あっという間に3時間15分のペーサーにも抜かれた。そして3時間半のペーサーについている集団に飲み込まれたのは32キロぐらいの地点だった。冗談じゃねえ、こいつらにまで負けてたまるか、絶対に抜き返してやる! とペースを上げようとした瞬間だっただろう。ふくらはぎに激痛が走った。筋肉が変形して、ブルブルと痙攣する。もちろん、走るどころではない。地面に倒れこんで、足を伸ばそうとするのが精一杯だった。

激しい痛みが徐々に遠のき、なんとか歩き始めることはできた。走ろうとすると、また痙攣がぶり返しそうな気配があるので、歩くしかない。記録はとっくに諦めるしかなかったし、ギャラリーは「Go! Go! You can do it!」なんて煽るしで、気分は最悪である。できればリタイヤしたかったが、その辺りにランナー回収バスは見当たらなかった。それなら、もう這ってでもゴールまで行くしか選択肢はない。

そうして5キロぐらいはとぼとぼと歩いただろうか。視界が一気に広がった。それまでは山間部や住宅地を走っていたコースが海に辿り着き、最後の数キロは海岸線に沿って、サンタバーバラの中心地に設置されたゴールに向かうのだ。

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像
ゴール前の最後の数キロはこの公園を通る

そのときの数キロほど美しい海岸線を見た記憶は、ぼくにはない。恥を忍んで言えば、涙まで出てきた。気がつけば、足の痛みまで消えていた。恐る恐る走り始め、徐々にスピードを上げ、ゴールラインは全速力で走り抜くことまでできた。

サンタバーバラ再訪。まだ走れることに感謝

美しい風景と言うものが、身体の痛みを消し去ってしまうことがある。そんなにしょっちゅうあることではないけど、たまにはある。ぼくにとってのサンタバーバラの印象は、このときの数キロに凝縮されている。奇跡とまで言えば大げさではあるけれど、忘れがたい思い出だ。

最近になって、このサンタバーバラを再訪する機会があった。見たところ、街の様子に大きな変化はなく、あの美しい海岸に沿った道もそのままだった。ジョグをすると、あのときの高揚した気分が蘇ってくる。好きな土地が変わらずにあって、そこを走ることができる元気も自分の中に残っているのは幸運なことだ。

ここに書いたのはぼくの個人的な思い出に過ぎないわけだけど、サンタバーバラは美しい街だ。海と山に囲まれ、スペイン風の建築物が並び、個性的なホテルやレストランにも事欠かない。ぼくは食べたことはないが、ここで取れるウニは絶品だということだ。

ロサンゼルスに来ることがあれば、ぜひ、このサンタバーバラまで足を伸ばしてみてはどうだろうか。上にも書いたように、車で1時間も走れば着くし、アムトラックの駅もあって、鉄道でも来ることができる。海沿いを走る車窓からの眺めも素晴らしいので、ぼくはこちらをオススメする。

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像
海岸に沿って走るアムトラック鉄道

 

「“アメリカのリビエラ” を巡るラントリップ。一味違うロサンゼルス近郊の街」の画像
サンタバーバラ駅。市内中心部にある。