【明豊】川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」
新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて「第92回選抜高校野球大会(センバツ)」が大会史上初の中止を余儀なくされた。2度の震災をも乗り越え、日本国民に春の訪れと活力を与え続けてきた大会の開催断念は非常に残念であり、出場権を勝ち取っていた32校の選手・関係者の心情を推し量ると、胸が張り裂けそうな思いでいっぱいになる。
昨秋の九州大会で優勝し、2年連続4度目の出場を決めていた明豊(大分)の川崎絢平監督は、今大会中止の知らせを受けて「スポーツをやっているのは、心が折れそうになった時、逆境に立たされた時に踏ん張る力を養うため。この苦しい状況を乗り越えさせたい」と、目を真っ赤に充血させながらも気丈に語っている。
ベビーフェイスに加え、生徒を相手に打撃投手を務めたり、ともにノックを受けたりしている姿は学生コーチのように若々しいが、実際は松坂世代の1学年下にあたる38歳。2012年秋に明豊監督に就任し、2015年に夏の甲子園初出場を果たすと2017年夏には8強、そして2019年春には学校最高を更新する4強進出と、着実に全国での実績を積み重ねている。30代にして全国上位への台頭を果たしたわけだが、川崎監督自身が智辯和歌山1年時に全国制覇を経験していることも重なり、その指導法や組織作りに対する興味や関心は近年ますます高まる一方だ。
そんな川崎監督が、明豊での指導歴10年という節目に本を出版した。タイトルは「~変化を続けて頂点を狙う~柔軟力」(竹書房)。「“指導者としての若さ”を活かし、ひとつのものに固執することをしない“柔軟かつ流動的”な指導を心掛け、各年代や生徒の個性に合わせた指導への試行錯誤を続けている」(本文より抜粋)川崎監督の10年を振り返るにふさわしいタイトルといっていい。
今回から3回にわたり、川崎監督がどのような考えを持ち、どういう指導によってチームを九州最強の座まで押し上げていったのかを、この「柔軟力」という参考書をもとに紐解いてこうと思う。
「やはり野球に飢えていたのだと思う。(中略)生徒が求めている者をやらせ続けることで、生徒は能力を発揮できるのではないか。いつもあと一歩のところで負け続けていたが、そこも乗り越えていけるのではないかと感じたのだ」
――序章・「九州有数の強豪」と呼ばれるまでの日々~野球に飢えた生徒たち~より
明豊のコーチに就任してすぐ、川崎監督は当時の和田正監督から練習の陣頭指揮を任されるようになった。当時の明豊はすでに能力的に県内一番であり、川崎監督も「智辯の選手ともそん色はない」という第一印象を抱いている。しかし、試合になると「あと1勝」がなかなか遠い。原因は「人間力の不足」にあることは明確だった。当時は川崎監督が受け持つ保健体育の授業中に部員同士が殴り合いの喧嘩をすることもあった。
「生徒たちはきっと消化不良なんだろうな」と、川崎監督(当時は部長)も感じたのだという。野球に関して県内屈指の能力値を備えながら、フリー打撃5本×3、シートノックを終えたらスパッと全体練習を切り上げてしまう。練習の指揮を委ねられていた川崎監督は生徒を集め「本気で甲子園を目指している人たちから鼻で笑われるぞ。本気で甲子園を目指し、本気で日本一を目指し、本気で野球に賭けている奴らでも、実際に甲子園に行けるか行けないか、勝てるか勝てないかの瀬戸際にいるんだ」と告げた。
すると途端に生徒たちは「本気で野球がしたい」という視線を投げ返してきた。そこで川崎監督は「以前が5だとしたら一気に100に近い練習量」を課して生徒たちを追い込んでいった。これが夏目前の6月のことである。中には涙を流しながら必死で食らいついてくる生徒もいたが、もともとは野球に賭けて入学してきている生徒たちばかりだ。苦しさの中にあっても表情には微かな変化が生じ、充実感が見て取れるようになってきた。
この年、明豊は大分県を制して2年ぶりの甲子園出場を決めた。生徒たちへの感謝と同時に湧いてきた感情は、高校野球を指導することの難しさであり、楽しさ、喜びだった。これが明豊での指導者生活の原点である。
「強力打線を作り上げた髙嶋先生だが、小難しい打撃指導は基本的に行わない。しかも、その打撃理論はいたってシンプルなものだった。『空中から来たボールを地面に帰すことがおかしいやろ。空中から来たボールは空中に返せ』。つまり『ゴロを打つな』という指導に徹していた」
――第一章・“野球人・川崎絢平”の原風景~髙嶋仁の打撃論・空中から来る球は空中に打ち返せ~より
川崎監督は智辯和歌山の出身で1年夏に全国制覇、3年夏に4強という成績を残している。当時の監督はご存じ、甲子園歴代最多の68勝を誇る髙嶋仁監督だ。6試合で60得点、11本塁打、100安打を記録し2000年夏に全国制覇したチームを筆頭に「平成の打撃王」の称号を欲しいままにしてきた智辯和歌山。この本では、川崎監督が選手・コーチとして受けた髙嶋監督の打撃指導についても触れている。
高嶋監督の場合、無死一塁からヒッティングのサインが出れば、その意図は「7カ所のどこかに打て」という指示だという。7カ所とはレフト線、レフトオーバー、左中間、センターオーバー、右中間、ライトオーバー、ライト線を指している。つまり「長打を打て」という指示になる。このサインが出れば、自ずと選手は「ゴロを打ってはいけない」、「低めの球には手を出してはいけない」と考える。ゴロではまずセンターオーバーはない。だから「空中に打ち返せ」という、ごくシンプルな理論である。逆に無死一塁で確実に走者を進めたい時には「進塁打を打てというぐらいならバントをさせる」というのも高嶋理論。こうした恩師の教えも、現在の明豊の練習にはふんだんに見て取れる。
ちなみに入学後の5月から優勝した夏の決勝まで無安打だった川崎監督は、当然送りバントのサインが送られることが多かったという。
第一回:川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」
第二回:「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その本意
第三回:変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点