【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(最終回)

「流れ」についてあれこれ書いてきたこの記事も、今回が最後になります。まずは、これまでの内容を簡単に振り返ってみましょう。
第1回は「流れ」の定義や考え方について書きました。この記事での「流れ」の定義を示したあと、「流れ」を「メンタル上の流れ」と「結果上の流れ」の2つに分けて考えることを提案しました。

第2回は「流れ」の存在を検証した研究を紹介しました。「四球はヒットに比べて流れを悪くする」「ファインプレーは流れを良くする」などのよく聞く通説が、実際のデータでは必ずしも支持されないことなどを示しました。その上で、「流れ」が存在するかどうかは、現段階では結論をくだすことができず、まずはフェアな姿勢で「流れ」を考えていくことが大切だということを書きました。

第3回はデータを使った検証に対してよくある反論と、その回答について書いていきました。特定の試合を挙げたり、「〇〇選手や△△監督が言っている」といった主張をしたりしても、それは「流れ」が存在する証拠にはならないことなどを示しました。さらに、「流れ」でなんでもかんでも説明できてしまうと、もはや「流れ」はオカルトっぽい存在になり、現代野球とは相容れないものになってしまう可能性についても書きました。

実のところ、これまでの内容は「流れは存在するのか?」に関する話が中心でした。「流れ」をしっかり定義することも、データを使って客観的に検証することも、「流れ」をフェアな姿勢で考えるということも、すべて「流れは存在するのか?」を問うために重要なポイントです。

しかし、「流れ」というものは考えれば考えるほど面白く、そして奥が深い存在です。そのため、ただ「流れは存在するのか?」を問うだけでは、何かもったいない気がしますし、「流れ」という存在の理解も進まないのではないかと思います。

そこで最終回では、「流れは存在するのか?」という問いを超えて、「流れ」について今後何を考え、そしてどのように向き合っていけばよいのかについて、書いていきたいと思います。

「流れとは何か?」を深く考えることの意味

第1回の記事で、しっかりとした「流れ」の定義が必要であると書きました。しかし、わざわざ定義なんかしなくても、私たちは普段、「流れ」という言葉を何の問題もなく使えています。「うちのチームに流れが来ている」と言って、「そこでの流れはどういう意味で使ってる?」「私の考える意味では、まだ相手チームに流れがあるんだけど」なんて返されることはまずないでしょう。つまり、細かい部分はさておき、多くの人の間で「流れとはこういうもの」という、なんとなくの共通したイメージがあるということです。

そうなると、別に「流れ」の定義なんかいらないし、「流れ」についてあれこれ考える必要もなさそうな気がします。しかし、野球において「流れ」は重要であると考えるのであれば、そういうわけにもいかなくなります。その理由を、ボールの「ノビ」という表現を例に考えてみましょう。

「流れ」と同じく「ノビ」という言葉も、なんとなくのイメージが共有されている言葉です。「ノビのあるストレート」と言われれば、感覚的にはどういう球なのかがわかります。さて、ここである投手が、「ノビ」のある球を投げたいと思ったとしましょう。このとき、何を意識して、どういう練習をすればよいのでしょうか?選手に対して、どういう指導をすればよいのでしょうか?「ノビ」という表現を使っていると、具体的な答えは出てきません。なぜなら、「ノビ」という言葉がとても感覚的なものであり、実際のところ「ノビ」とは何なのかということが、全くわからないからです。

最近では、球の回転数や回転軸が、「ノビ」を生み出すために重要であることがわかってきました(詳しくはBaseball Geeksの記事、「“回転数多い=ノビのある球”ではない? データから迫る「ノビ」の正体」をご覧ください)。それによって「回転軸を地面に垂直に近づけながら、回転数の多い球を投げるにはどうしたらよいか」という、より具体的な問い、そして目標を立てられるようになりました。つまり、「ノビ」の正体がわかったことで、「ノビ」のある球を投げるために必要なことが、これまでよりも具体的な形でわかるようになったのです。

話を「流れ」に戻しましょう。「流れ」も「ノビ」と同じように、とても感覚的な言葉です。普段なにげなく使っていますが、いざその意味や正体を問われると、簡単には答えられません。しかも、人によって答えもバラバラです。そのため、「試合の流れを読めるようになれ」といった指導や、「相手の流れに飲まれないようにしよう」といった作戦は、まさに“言うは易く行うは難し”です。なぜなら、「流れ」の正体がよくわからない以上、それができるようになるためにはどうすればよいのか、具体的には何もわからないからです。「経験を積めばわかる」という意見もあるかもしれませんが、「ノビ」の話と比べると、なんとも根拠に乏しいような気がします。

ここで、仮に「流れ」を「試合状況や展開によるメンタルの変化によって、その後のプレーや試合の結果に影響が出ること」と定義するとしましょう(第1回の記事参照)。すると、重要なのはメンタルの部分だということがわかり、「流れ」という言葉を使うよりも、具体的な指導や作戦につなげることができるようになります。たとえば「相手の流れに飲まれないようにしよう」は、「ピンチの場面では動揺しがちだから、平常心を保つような工夫をしよう」などのようになると思います。

繰り返しになりますが、「流れ」に対する考え方は人それぞれで、上のメンタルの例が必ずしも正しいわけではありません。それでも、「流れ」は試合を左右する重要な存在であり、「流れ」にかかわる力を鍛えていきたいのであれば、「流れ」とは具体的にどういうものなのかということを、深く考え続けていく必要があるでしょう。何も考えずに「流れ」と言っているだけでは、もはや何も言っていないのと同じです。

「流れ」の影響はどれくらい?

冒頭にも書いたように、この記事は「流れは存在するのか?」という話が中心でした。しかし、もし「流れ」というものが存在して、実際にプレーや結果に影響を与えているのであれば、その影響の大きさがどれくらいなのかということを考える必要があるでしょう。

たとえば、攻撃チームが「流れ」に乗っているとき、打者の打率が上がることがわかったとします。このとき、同じ「打率が上がる」であっても、平均して1割(10%)上がるのか、それとも1厘(0.1%)上がるのかによって、大きな違いがあります。1割も上がるのであれば、まさに試合を左右するとても重要な存在だと言えますし、1厘しか上がらないのであれば、もはや無視してしまって、もっと他のことを考えた方が良さそうです。

「流れ」の存在やその重要性についてはよく議論になりますが、実際のプレーや結果にどれくらいの影響があるのかということは、あまり話題に上りません。もちろん、試合の状況や選手の能力などによっても変わってくると思いますが、ある程度でも影響の大きさが把握できるようになれば、試合中の作戦を立てる上でも役に立つのではないでしょうか。

「メンタル上の流れ」に目を向ける

この記事では、選手の成績や試合の勝敗にかかわるという理由から、主に「結果上の流れ」の方に注目してきました。一方で、「メンタル上の流れ」はどうでもいいのかというと、そんなことはありません。現に、多くの選手が「流れ」の存在を信じ、ときに「流れ」に乗ったり、「流れ」に飲まれたりといった感覚を経験しています。これ自体はまぎれもない事実です。

客観的なデータはとても価値のある情報を与えてくれますが、それは実際にプレーしている選手たちに受け入れられて、はじめて意味を成すものです。選手たちが主観的に何を感じ、何を経験しているかを無視して、一方的に情報を押し付けてしまうと、それが受け入れられなかったり、反発を招いてしまったりします。そうならないためにも、いかに選手の主観に寄り添いながら、客観的なデータに基づく情報を伝えていくかが、重要となるでしょう。

また、試合中に「流れ」を感じたとき、どのような感情が沸き起こり、どのようなことを考えるのかといった、選手の主観的な経験は、それ自体がとても興味深いものです。「結果上の流れ」のように数値化して考えることはできないかもしれませんが、いろいろな選手の語りなどを参考にしながら、「メンタル上の流れ」を追究していく試みがあってもいいのかもしれません。

ただ野球を楽しみたいだけなのに…

この記事は、真剣に「流れとは何か?」を考えてみようという目的があったので、細かくて理屈っぽい話が続き、ときに腹立たしさを覚えた人もいるかもしれません。特に、余計なことは考えず「とにかく野球を楽しみたい!」という人にとっては、野球が楽しくなくなるような話もあったでしょう。私自身、「すごく野暮なことを書いているのでは…」と感じることもあり、その点はとても申し訳なく感じています。そのため、もし「流れがあった方が、野球は楽しい!」と思う方がいたら、ぜひそのまま、細かいことは気にせず、「流れ」の存在を感じて野球を楽しんでください。やっぱり野球は、楽しく観る・プレーするのが一番ですから。

おわりに

全4回にわたって、「流れ」について書く機会をいただきました。「流れ」は、野球人にとってどこか特別な存在で、下手に語ると強い反感を買ってしまう、そんなイメージがありました。そのため、野球界では全くの無名である私のようなものが、はたして「流れ」について書いていいものかと、正直不安になることもありました。しかし、学生の頃に『野球人の錯覚』という本に出会い、そこから客観的・科学的に「流れ」について考えることの面白さを知った私にとって、今回の連載はとても楽しく、そして貴重な機会となりました。内容については賛否さまざまな意見があると思いますが(経験的には圧倒的に否の方が多い気がしますが…)、野球における「流れ」の存在について、また野球そのものについて深く考えるきっかけになれば嬉しいです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。(鹿児島大学准教授/榊原良太)