【玉野光南】「声」の大切さを再確認、代替大会でNo1を目指す
昨秋ベスト8の岡山県立玉野光南は、春夏通じて5度甲子園に出場している強豪校。チームとしても「日本一」を目標に掲げ、日々練習に励んできた。チームは7月18日から始まる代替大会にむけて少しずつ始動。甲子園という目標がなくなった今、能瀬偉月(いつき)主将(3年)は「岡山県で一番を目指したい」と抱負を語った。
グラウンドへ足を運んだのは、練習再開から6日目の週末。この日は、午前中に2、3年生、午後から1年生の練習が組まれていた。再開当初は、マスクで大きな声が思うように出なかった選手もいた。田野昌平監督は「休校中、声を出していなかったので最初は声が出にくかったが、野球の基本は声をかけ合うこと。声を出すことが大事なんです。グラウンド内では十分なソーシャルディスタンスを保って声で繋がろうよと伝えました」と話す。

休校はチームにとってプラスになる!
3月2日に臨時休校が決まったとき、田野監督は「普段から短時間で意識を高く持っている集団(チーム)だから、自分が与えられた時間が多いほど他校と差をつけることができる」と選手に話した。気になった新聞記事や動画を選手に送ったり、3年生には直接電話をして進路のことを話し合った。3月中旬から部員同士はグループLINEを使い、日々の近況を報告しあった。
「選手は休校中に河川敷や公園で練習をしていたと思います。キャッチボールの相手がいなくて兄妹でした選手もいます。こうして久しぶりに仲間とできる喜びをもっと全面に出してほしいなと。それを分かっているけど、選手はまだうまく出せていないのかもしれませんね」。田野監督自身、選手に会えないなかで葛藤もあったが、休校中の成長を選手がこれからどう活かすか楽しみにしている。
夏の甲子園中止後、能瀬主将が両親に誓ったこと
能瀬主将は家のテレビで夏の甲子園中止を知った。「報道があったときは、頭が真っ白になって目標を見失った状態でした。でも誰を責めるという話しではないので…」。心を落ち着かせたあと、両親には「キャプテンとして、最後までどんな結果になっても、自分の仕事をやり抜く」と話した。
「甲子園という目標はなくなってしまいましたが、キャプテンとして下を向いている場合ではない、後輩にもまだ伝えていくことがある。背中でチームを引っ張っていこうと切り替えました」。

中止報道の翌日が登校日だった。そこで短時間のミーティングを行い、中止を受け入れるしかないが、でも今までやってきたことは決して無駄ではないと全員で話し合った。能瀬主将も「今後は練習の質を高めて、仲間や環境に感謝して全力で毎日取り組み、新たな目標に向かって頑張ろうと思いました。そして光南生として誰からも応援されるチームでありたい」と改めて自分の気持ちを再確認した。
田野監督は「3年生には目標と目的の違いをずっと言ってきました。野球を通じて成長できたことや、チームとしてやってきた仲間がいるのは事実なので、それをこれからも大切にやっていこうと。甲子園がなくなったからと言って、自暴自棄になるような子はうちのチームにはいません」ときっぱり言った。
チームのテーマ「ぜん力(全・前・善)」を全員で意識して、優勝を目指す

今年のテーマは3つの「ぜん力」だ。
「全」=全力で何事もすること。
「前」=目標に向かって準備する前段階、前に進む力。
「善」=自ら進んで善い行いをしようと心がけること。
これは甲子園経験者でもある國定博明コーチが考えた。チームのことを常に第一に考えてきた能瀬主将は「まず代替大会を開いてくださることに感謝の気持ちを忘れないこと。そしてチームのテーマを全員が強く胸に刻んで、3年生は最後の大会になるので、岡山で1番を目指して最高の夏にしたいです」と決意を語った。
「全力、前力、善力」。3年生たちがこの夏に見せるそれぞれの姿を、後輩たちは見ているはずだ。
競争意識につながった「投票制MVP」

野球部には、道具委員、環境委員、風紀委員など9つの委員会がある。休校中は各委員がモチベーションを維持するための工夫を行った。それは、自分の所属する委員会のLINEグループに、自分が行ったメニューを毎日送るというもの。達成した内容を各委員会の中で投票し1位を決める。能瀬主将が各委員会からアップされた1位のメニューを手書きでノートにまとめ(写真)、その結果を受けて田野監督が今日のMVPを決めていた。
県立玉野光南(たまのこうなん)
1984年(昭和59年)創立の公立校。野球部も同年に創部。甲子園出場は春2度、夏3度。主なOBは元ヤクルトで龍谷大学元監督の山本樹、元日本ハム山原和敏。部員70人。3年生27人、2年生20人、1年生23人(女子マネ5人)。所在地は岡山県玉野市東七区244番地。