社長になった「球児」に会いにいく|米沢谷友広(秋田商業出身)グローバルポーターズ株式会社代表(2)

高校野球を頑張っている皆さんにもやがて社会に出て働く日が訪れます。まだまだ先のことかもしれません。でも今から「自分は将来どんな仕事をしたいのか?」を考えていると、進むべき道、進路がぼんやりと見えてくると思います。このコーナーでは、かつては高校野球を頑張り、現在は社長として活躍されている”高校野球の先輩”に「仕事」、そして「働く」ということについてお話を伺っています。 今回お話を聞いたのはグローバルポーターズ株式会社代表で、秋田商業で甲子園も経験している米沢谷友広さん。前回の高校時代の話に続き、社会に出て働き、その後起業に至った経緯についてお話を聞きました。

【目次】
「野球のグローブを作りたい!」という思い
働きながら、気合と根性で資格取得

▼米沢谷さんプロフィール
米沢谷友広(秋田商業出身)。神奈川大学を経てスポーツ小売業大手ゼビオ株式会社に入社。経営企画室でスポーツ事業に関わる広報活動やスポンサード、新規事業開発、M&A等の投資関連業務に従事。プロ野球独立リーグやJリーグ、アイスホッケークラブ等の運営にも関わり、スポーツ小売やスポンサーサイドからみたクラブチーム経営に携わる。その間、カリフォルニア大学にてアントレプレナーシップやビジネスインキュベーション、コーポレートファイナンス単位を取得。その後はAmazon Japanにてスポーツ&アウトドア事業部の商品戦略部統括部長などを歴任し、2017年に現在の会社グローバルポーターズ株式会社(https://www.global-porters.com)を起業。トータルベースボールカンパニー構想の実現を目指して野球界の発展に努めている。

「野球のグローブを作りたい!」という思い

ーー大学を出られていよいよ社会人生活が始まる訳ですが、新卒として働かれたのがスポーツ用品販売の大手ゼビオ(ゼビオホールディングス株式会社)ですね。ゼビオを選ばれたのはどういった理由から?
当時のゼビオは海外進出を目論んでいたというのと、大学の時に芽生えた思いなのですが「野球のグローブを作りたい!」と思っていたんです。ですのでグラブを作っているメーカーはもちろん、小売店も自社のオリジナルブランドのグローブも作り始めていましたので、メーカーか小売の二択で考えていました。当時調べたのですが、その頃はメーカーよりも小売の方が売上も利益が大きくなっていたんですね。ということはメーカーよりも小売の方が強くなる確率が高いということですし、小売業の方が店長やバイヤー、商品企画といった仕事が経験できて、トップラインからボトムまでトータルで責任をもてる仕事ができるのではないかと考えたんです。
小売業って自由度も高いですし、ユニクロとかもそうだと思うんですけど3年で店長になったりとか、若いながらも責任あるポジションを任せられたりするじゃないですか。チェーン店の原理原則はあるものの、そういう環境で自分を磨くことで、そのさきに野球用品を作れる可能性もあるし、さらに海外展開も担えるのではないかと思ってゼビオという会社を選択しました。

ーーキャリアのスタートは経営企画だったそうですね。「経営企画」と聞いてもよく分からない高校生も多いと思いますので、具体的にどんな仕事なのか教えてもらえますか?
高校生にはイメージしにくいかもしれないのですが、よく言われるのは「社長室」ですよね。社長が会社を動かす決断をするときのサポート役といいますか。

ーーもう少し具体的に言うと?
例えば社長が「韓国に出店するぞ」と決めれば韓国のスポーツ小売業のマーケットを調べたり、「中古ゴルフ市場が最近盛り上がっているらしい」と言われれば、その市場や中古ゴルフを扱っている企業を調査したりとか、その企業の価値を算定したりとか。もし買収するとなったら今度はグループ経営していくうえでの具体的な相乗効果を検討したり、国内外の投資家とコミュニケーションを取ったりとか。

ーー将来自分が起業することを見越して、そういう経験を積みたいから経営企画への配属を希望されたんですか?
それがたまたまなんです(笑)。初めは現場配属で福島県の店舗で働いていました。その頃に経営企画室の方と話す機会があったんです。そんな中でちょうど経営企画室で人員の空きが出るから来週からこれる? という感じで異動しました。1年目の10月頃から5年間、経営企画室で働き様々な経験をさせてもらうことができました。

ーー経営企画室で働きながら「グローブを作りたい」という思いはどのようになっていったんですか?
経営企画室のあと2年は東日本大震災の影響もあって、宇都宮市に一部の本部機能を移したこともあって、店舗のマネジャーを兼任しながら野球用品の商品リーダーとしてバイヤーアシスタントをしていたんですが、色んなメーカーのグラブを仕入れたり、各店舗に売場編集の指示をしたりとかやっていたんですけど、なかなか売れなかったんですね。Amazon的に言うと、お客様が購買決断する情報サポートが出来ておらず、さらに品質と価格のアンマッチが原因だったりして、結局自分で作った方が売れるんじゃないかと思ったんです。自分でプレイヤーのことを第一に考えてデザインして品質を高めて価格も考えて。結局、それをダイレクトに実現させるためにはどうしようかというのと、グローバルで活躍したいという思いもあり、転職をすることしたんです。

働きながら、気合と根性で資格取得

ーー次に選ばれたのがAmazonですね。とてもグローバルな感じがしますが英語は喋れたんですか?
いえいえ、全くダメでした。

ーーそれはゼビオの時から?
はい、英検で言うと3級程度でした。

ーーどのように英語を習得されたんですか?
ゼビオにいた頃の後半から少しずつ勉強していました。経営企画室で事業開発やグループ投融資チームに所属している中で米国公認会計士に興味をもったのがきっかけで、オンラインで単位取得ができるカリフォルニア大学のクラスを受け始めたんです。そこで事業投資やファイナンスなど25単位を取得しないと受験資格すらなかったので必要に駆られて。仕事が終わって帰宅してから勉強するというのを2年くらい続けていました。

ーー授業は当然英語ですよね? 初めから分かりました?
そりゃ、全くわかりませんよ(笑)。学校では簿記会計しか真面目に勉強してないですから。分からない時はネットで調べたり、留学経験のある友人に教えてもらったりしていました。

ーー秋田商業野球部で培われた気合と根性でやり切ったんですね。
(笑)。でも本当にそうだと思います。伝統校で朝から晩まで厳しく鍛えられたから頑張れたんだと思いますよ。

ーー転職先としてAmazonを選ばれた理由は?
ゼビオは店、リアルな店舗ですよね。対してAmazonは対極のネットの世界で急成長している。リアル店舗のことはある意味やりきったので次はネットの世界でナンバー1の企業に行きたいと。そこで(将来自分が)ものを作ったときのために、リアル店舗でも売れる、ネットでも売れるというそのノウハウを学びたかったからですね。

ーー将来、自分でグローブを作って起業するということを前提にAmazonを選ばれたということですね。
そうですね。ただAmazonでは最初は野球用品や他のスポーツ用品じゃなかったですね。まさかの釣具の担当だったんですけど、得意じゃない分野のものをネットで売ることがとても勉強になりましたね。スポーツとは商慣習も全然違いますし、商品数も数十万点あって最初は苦労しましたが、いずれ得意な分野のものを売れる様になったらもっと結果を出せるだろうとも思って前向きに頑張れました。

ーー何年くらい働かれたのですか?
6年くらいですね。色々と経験をさせていただいて、ネットでものが売れるメカニズムを学ぶことができました。それに加えて、自分が作りたいものではなく、お客様に求められているものを作る。少しだけ今より便利になるもの、喜んでもらえるものを作る。マーケティングの基本ですよね。そして商品ページを使ってお客様に分かりやすく伝える。このプロセスを在籍中に色々なメーカーさんと取り組ませていただきました。自分が得意な野球用品以外で成功や失敗を繰り返す中で、いよいよずっと思い描いてきた野球用品を海外工場で作って輸入すれば多分売れるなと自信が芽生えてきたんです。それで「これは起業のタイミングだ」と思って辞めて現在の会社(グローバルポーターズ株式会社)を立上げました。

次回に続きます。

(取材・構成/永松欣也)

▼プロフィール

米沢谷友広(秋田商業出身)
神奈川大学を経てスポーツ小売業大手ゼビオ株式会社に入社。経営企画室でスポーツ事業に関わる広報活動やスポンサード、新規事業開発、M&A等の投資関連業務に従事。プロ野球独立リーグやJリーグ、アイスホッケークラブ等の運営にも関わり、スポーツ小売やスポンサーサイドからみたクラブチーム経営に携わる。その間、カリフォルニア大学にてアントレプレナーシップやビジネスインキュベーション、コーポレートファイナンス単位を取得。その後はAmazon Japanにてスポーツ&アウトドア事業部の商品戦略部統括部長などを歴任し、2017年に現在の会社グローバルポーターズ株式会社(https://www.global-porters.com)を起業。トータルベースボールカンパニー構想の実現を目指して野球界の発展に努めている。