『監督からのラストレター』仙台第一高校/千葉厚監督
やっぱり仙台育英の壁は厚かった。しかし34年ぶりとなる夏の宮城大会4強。負けたあと「楽しかったな」、「悔いないよな」の声が広がった。甲子園がなくなっても自分を高めることに価値がある。その姿を3年生が背中で後輩たちに伝えた。歴史を繋いだ3年生に千葉監督の心は感謝と尊敬で溢れた。(書籍『監督からのラストレター』から引用)
いま、1枚の写真を見返している。
決勝進出をはばまれ、悔しさいっぱいの中で行った球場ミーティングの写真だ。あのとき、負けたあとにもかかわらず、君たちは晴れ晴れとした表情で「楽しかった」と語ってくれた。立ちはだかるいかなる試練にも、果敢に挑戦し、立ち向かっていった君たちに感動したのを覚えている。
3年前、文武両道を地でいくエース鈴木健(東京大学)たちの背中に憧れ、希望を抱いて入部してきた73回生。
思えば、君たちは大敗からのスタートだった。最初の練習試合でこてんぱんにやられたよね。そこから「勝つチーム」になるために何度も話し合い、自分を高め、対戦相手を分析し、チームとして強くなろうと努力してきた。
センバツの望みを絶たれた秋。瞬発力やボディバランスに強豪校との差を感じた主将の森拓真が「地下足袋をはいて練習させてください」と自ら申し出てきた。自分自身で弱い部分を克服しようと考え、努力してきた。一高の標語である「自発能動」を体現して練習に打ち込んできた姿が思い出される。
そうしてチームは頼もしく成長していったのに、前代未聞の禍が我々を襲った。ポジティブに物事を考え、勉強でも野球でも壁を乗り越えてきた君たちも、さすがにあのときはマイナスな言葉を漏らしていた。先にインターハイが中止になり、級友への同情もあったのかもしれない。「野球がやりたい」と素直に言えない状況だった。野球をやっていいのか? 受験勉強に切り替えたほうがいいのでは?
20人の3年生たちに、それぞれの想いがあったと思う。葛藤に苦しんだことだろう。3カ月にわたる休校が明けた6月初旬、「先生、2日間、自分たちに時間をください」と、混乱していた3年生をまとめたいと森が言ってきたとき「先生はどう思いますか?」と尋ねてきた。「正解はないと思うが、3年生全員に高校野球をやり抜いてもらいたい」と答えた。このときの言葉は、先生の心の底からの言葉だった。コロナ禍で一枚岩ではなかった3年生が、このあと2日間、熱く、ときには涙を流しながら本音で意見をぶつけあった。そして君たちは再びグラウンドに戻ってきた。
「夏、みんなの力で勝ちに行きます」、「勉強も妥協しません」。
君たちの力強い言葉に、胸が熱くなった。
気持ちをひとつにし、結束した3年たちの代替大会の活躍は見事であった。
準決勝を戦い抜いた3日後、「杜の都の早慶戦」と呼ばれる仙台二高との定期戦代替試合もでき、120年続いた伝統も見事に繋げてみせた。1年生が合流し、3学年そろって練習できたのは2カ月しかなかったけど、その間、見せてくれた3年生の姿は、頼もしかった。
12月、3年生を送る会のとき、新主将の佐藤颯大が3年生に「1年生は面白くて、バイタリティーがあります。心配いりません」と語っていたが、後輩たちも君たちのような3年生になりたいと思っているはずだ。そして、君たちのような最高の笑顔で、高校野球を終えたいと思ったに違いない。甲子園はなかったが、君たちが残してくれたものの大きさは計り知れない。胸を張って、これからの人生を歩んでいってほしい。
思い返せば、これまでも選手たちにたくさん救われてきた。中越地震と東日本大震災で暗澹たる思いに沈んでいた先生を支えてくれたのは、当時の選手たちの前向きな明るい笑顔であった。そして、今回も君たちにどれだけ救われ、勇気づけられたことか。君たちのあの笑顔を思い出しながら、もう一度、この言葉を贈りたい。
お疲れ様。ありがとう。
今年で震災から10年の節目を迎える。巨大津波に襲われたグラウンドも絶望的な状態だったが、いろいろな人のおかげで今の形まで戻ることができた。多くの方々の努力や犠牲の上に、我々の日常が支えられてきたことを忘れてはいけない。一高の校訓「自重献身」。脈々と受け継がれてきたこの精神が、本当の意味で発揮されるのはこれからである。
感謝の気持ちを忘れず、困っている人に、そっと手を差し伸べてあげられる人になってください。そんな君たちを、心から応援しています。
宮城県仙台第一高校
硬式野球部監督 千葉 厚
仙台第一高校
1892年創立、97年創部。1923、40、50年夏の甲子園出場。42年「幻の甲子園」にも出場。主な学校OBに井上ひさし、岩井俊二など。登米を創部初の東北大会に導いたOBの千葉厚監督が2017年秋に就任。