【仙台育英】「センスがないね」から始まった猿橋部長との出会い

仙台育英を率いる須江航監督に、この春から共に日本一を目指すことになった猿橋善宏部長についてお話を聞きました。かつては宮城県の中学軟式野球の監督として日本一を目指し、切磋琢磨した間柄である二人。高校野球に舞台を移し、仙台育英高校硬式野球部でどのような化学反応を見せてくれるのでしょうか?

仙台育英を率いる須江航監督は、八戸大(現・八戸学院大)を卒業後、2006年から仙台育英秀光中等教育学校の軟式野球部の監督に就任。その年の冬、複数の地区選抜が集まった強化練習会で、利府町立しらかし台中(当時)を率いていた猿橋善宏先生に初めて会った。須江監督は、地区選抜の指揮を執る立場だった。
「試合後に、『(采配)どうでしたか?』と聞いたら、猿橋先生から『センスがないね』とはっきりと言われました。そのことは、今でもよく覚えています」

痛烈な一言だった。

須江監督は、「どういう意味ですか? 教えてください」とすぐに質問を投げかけた。
当時の采配について、猿橋先生はこう振り返る。
「仙台育英、八戸大と、強豪で野球を学んできたこともあって、定石通りの采配でした。だから、『センスがない』。でも、須江先生は怒ることも、苦笑いでごまかすこともせずに、『教えてもらえませんか?』と聞いてきました。なかなかできることではないと思います」

この日以来、22歳の年齢が離れた2人の戦いが始まっていった。公式戦でぶつかったこともあれば、2016年には東北代表としてともに全中に出場したこともある。

須江監督から見た猿橋先生は、どんな指導者だったのか。
「秀光中に対して、一番本気で挑んできた人です。野球の能力の差があったとしても、考え方や判断力でそこを埋めてこようとしている。猿橋先生のお話しをさまざまなところで聞かせていただいて、『自分が50代になったときに、先生のような教養のある大人になりたい』と思える人でもありました」

須江監督は、2018年1月に仙台育英の野球部監督に就任。戦いの舞台は中学校と高校で分かれたが、猿橋先生にチーム作りの相談に乗ってもらうこともあった。

かゆいところに手が届く指導

「2019年頃から、猿橋先生に高校のスタッフに加わってほしいと、密かに思っていました。定年を迎える年に、正式にオファーを出させていただいた流れです」

この春、部長として迎え入れることになったが、猿橋先生に望む役割とは何か。
「中学生の勧誘、チームの強化、コーチ陣の育成、大学やプロに送り出すことを、ほぼ一人でやってきましたが、どうしても細かいところで抜け落ちてしまうところがありました。それを補ってもらえる方は、今は猿橋先生しかいません。『かゆいところに手が届く』という表現が適切かわかりませんが、ぼくが見落としがちなところを、フォローしてもらえる。監督と選手の間に立つ通訳の役割もできますし、猿橋先生の言動や行動によって、若いコーチ陣が学ぶこともたくさんあるはずです」

試合中は、須江監督が采配に集中し、猿橋先生は選手に対する声かけやケアに回る。春季県大会では、パワーピッチングで勝負を挑もうとするピッチャーに対して、「フィジカルで勝負するんじゃなくて、考え方で勝負するように」と、猿橋先生が声をかけた。須江監督もまさに同じことを感じていたところで、「そうした言葉のひとつひとつがありがたいです」と語る。
「猿橋先生と一緒にいて感じることは、生徒目線に下りて、いろいろな話をしてくれるので、非常に助かっています。正直、ぼくはそこが苦手なので……。生徒からすると、“近所のおっちゃん”とまでは言えないですが、それに近い感覚はあると思います」

厳しさの中にも「愛」がある

では、選手側は「猿橋部長」をどう受け止めているのか。キャプテンの佐藤悠斗に聞いた。
「この春から公式戦のベンチに入っていますが、表面的なところではなく、心理的なところで言葉をかけてもらえるので、非常に楽に試合ができています。コントロールが乱れ始めたピッチャーに、冗談交じりで、『期待していないから思い切り投げてこい』とアドバイスを送っていました。些細なことですけど、今までにはなかった声なので、いい効果を生んでいます」

まだ、選手の前で一度も声を荒げたことがないそうだが、佐藤キャプテンは、「オーラがあります。厳しさの中にも愛がある感じがします」と、高校生とは思えぬ表現で形容した。

なお、「須江監督はどんな指導者?」と聞くと、「野球哲学者です。でも、理論やデータだけでなく、言葉のひとつひとつに熱いものがあって、データの中にも根性野球が入っています」。なかなか、表現力が豊かなキャプテンだ。

この春、チームは宮城大会で優勝を飾るも、東北大会では初戦で弘前聖愛に延長のすえに惜敗。主力にケガ人が相次ぎ、ベストメンバーが組めない状況の中で、「夏に向けて、手応えと課題が見えた春の大会でした」と、須江監督は総括する。

7月に入ってからは、大阪桐蔭や横浜など、全国区の強豪との練習試合が組まれている。悲願の日本一に向けたテーマは、「守り勝つ」だ。1対0のスコアでも、圧倒的な内容で守り勝つ。

須江監督は、「猿橋先生が加わってから、常にスイッチが入った状態で、寝る3秒前まで野球のことを考えるようになりました。休む時間がないので、結構困っています」と笑う。

中学軟式野球で日本一を目指し、互いに高め合ってきた猿橋先生と須江監督。「日本一」のエンディングに向けて、ともに戦い続ける。(取材・文:大利実/写真:大利実・編集部)