【享栄】大藤敏行監督|仕掛けなかった、挑戦しなかったことに対する悔い

強豪校、名門校を率いる監督たちも、かつては手痛い失敗を経験し、後悔したことがありました。その失敗や後悔はその後の指導にどのように生かされたのでしょうか? 2009年夏の甲子園で母校である中京大中京を43年ぶりの優勝に導き、2018年8月からは享栄を指導している大藤敏行監督にお話を聞きました。(聞き手:西尾典文)

仕掛けなかった、挑戦しなかったことに対する悔い

——今回は実績のある監督の失敗談や後悔、そしてそれをどのように現在の指導に生かしているかということについて伺います。

失敗だらけですよ(笑)。あの時こうしておけば良かったと振り返って思うことばかりです。

——そうはおっしゃいますが、監督として最初に出場した1997年の選抜ではいきなり準優勝していますし、その結果が自信になった部分も大きかったのではないですか?

あの時は力もなかったし、そんなことは全く思わなかったですね。秋の県大会の初戦で打ったヒット2本ですよ。県大会の前の名古屋地区の予選では(進学校の)東海高校にも負けていましたからね。ピッチャーもキャッチャーも1人しかいなくて、秋の大会ではキャッチャーは怪我するし、ピッチャーも甲子園前の検診に引っかかるような状態でした。学校としても甲子園も久しぶりでしたから、力があって勝ったわけではなかったですね。

——その後はコンスタントに甲子園にも出場して、名門が復活した印象が強いです。でも逆に甲子園では惜しくも負ける試合も多かったですね。

失敗は多いですけど、悔いが残るのはこちらから仕掛けなかった、挑戦しなかったことに対してですね。こっちから仕掛けて失敗したのは仕方ないと思えます。ただ、そうではない時は何でできなかったかなという悔いが後々まで残りますね。

——具体的な試合や場面で思い浮かぶものはありますか?

2004年夏の済美(愛媛)戦ですね(甲子園の準々決勝)。1対1で9回表、うちの攻撃でワンアウト二・三塁。当時はセーフティスクイズ(三塁走者はバントの打球の行方を見てからスタートするスクイズ。打者はストライクだけをバントする)をやっていたので、絶好の場面でした。バッターも2番で、バントもチームで一番上手い。初球からセーフティスクイズのサインを出しました。ボール球だったので見送ったんですけど、その後に相手のショートが「セーフティスクイズだぞ!」って言ったんですよ。それを聞いてなぜか次のボールからセーフティスクイズのサインを出さなかったんですね。スリーボール、ワンストライクの絶好のカウントにまでなったのに出せなかった。
結局打てなくて、点が入らなくてその裏にサヨナラ負けです。相手のショートの声を聞いて何でサインが出せなかったのか、自分がどういう心境だったのか、今考えても分かりません。あれだけ練習もしてきて、一番バントが上手い選手だったのに・・・・・・。
監督になって20年が終わった時に振り返ったのですが、一番悔いが残ったのはこの時にセーフティスクイズのサインを出せなかったことですね。

——この時の悔いがその後の采配に生かされたことはありますか?

生かされたかは分かりませんが、仕掛けることに躊躇はなくなったかもしれませんね。優勝した年の関西学院(兵庫)戦。1点を勝っていた8回に追加点を狙ってスクイズを仕掛けて、結果として失敗したんですね。その後の9回表に追いつかれる展開だったのですが、仕掛けての失敗だったので引きずることはありませんでした。そうしたら裏に河合完治(元トヨタ自動車)がサヨナラホームランを打って勝った。この時にも済美戦でセーフティスクイズのサインを出さなかったことを思い出しましたね。

——監督の気持ちが選手にも伝わる部分はありそうですね。

他にもいっぱいスクイズやエンドランのサイン出して失敗していますけど、チャレンジして失敗したら技術が足りないんだから練習すればいいって思えるんですね。ただチャレンジしなかったことの失敗はその後に繋がらない。
あとよく思うのは、自分たちが思った以上のところまでしか行けないということですね。済美に負けた2004年も3番で一番当たっていた亀谷(信吾・元トヨタ自動車)が大会直前に髄膜炎になって試合に出られなくなって、それもあって何とか準々決勝まで行ければいいかなと思っていたんですよ。でも代わりに入った選手もよく打っていたし、後で思えばもっと上まで狙えたなと。思い返してみると常に自信がなかったんですよね。

記者に言われた「あなたに監督をやる資格はない!」

もう少し前なんですけど2000年の夏でよく覚えていることがあります。1回戦で郡山(奈良)の12対0で勝って、次が智弁和歌山だったんですね。
対戦が決まった時に取材で自信はあるかと聞かれて、半分謙遜もありましたけど、「うちなんか智弁和歌山さんに比べると全然力はないですよ」と言ったんですね。
そうしたら囲み取材が終わった後に、地元の女性記者から「あなたのような指導者に教えられている生徒はかわいそうだ。練習を見ていても力はあるし、決して相手にも劣っていない。隣でキャプテンも話を聞いているのに、そんな自信のないことを言うあなたに監督をやる資格はない!」って叱られましてね。
その時は「何を言うか!」って頭に来ましたけど、後から冷静になって考えればその通りだったんですよね。
結局1点差で負けて、智弁和歌山はそのまま優勝しました。このことも今思い返せば、選手たちに自信を持たせてあげられなかったという意味で失敗ですよね。

——なかなか外部の人にそこまで言われることは珍しいですよね。

2000年にもそんなこと言われていたのに、2004年も3番バッターが怪我をしていたとはいえ、甲子園でいい勝ち方をしていたのに自信を持って戦えなかった。本当に進歩しないなと当時は凄く反省しましたよ。(取材・西尾典文/写真:編集部)

後編ではそんな失敗を乗り越えての全国制覇、また、学校が変わってからの監督自身の変化などを紹介します。