まだ知られてないBリーグの裏側…教師から社長に転身した阿久澤毅の「ホンネとリアル」

実際にあったハプニングや、「こんなことスポーツ業界でしか経験できない!」というエピソードを赤裸々に語っていただく企画「スポーツ業界の本音とリアル」。

今回は、Bリーグ・群馬クレインサンダーズの代表取締役社長・阿久澤毅さんです。実は元甲子園球児であり、前職は県立高校の体育教師で野球部の監督も務められていました。59歳にして異業界への転職という、定年間近に人生を左右する大きな決断をされた阿久澤さんに、新しい世界で感じた思いや景色を率直にお話しいただきました。

(取材日・2023年7月27日)

高校教師からBリーグチームの社長に

―現役の高校教師の方が、プロバスケットボールチームの代表取締役になるというケースは、あまり聞いたことがありません。就任までの経緯から教えてください。

自分自身も寝耳に水というか、突然いただいたお話でびっくりしました。退職まであと1年というタイミングでのお誘いでした。

プロバスケットボール業界については全く知らなかったです。群馬にプロチームがあることは認識していましたが、どんな選手がいるのか、どのようにリーグが構成されているのかは知りませんでした。むしろプロバスケは知名度が低いというイメージがあり、正直なところ、興味がなかったのです。

―バスケ業界に入られて、驚いたことは何ですか?

野球とバスケ、競技がそもそも違うのですが、競い合うというのは共通項であり、精神的には同じだと思うんです。そのうえで驚いたことはまず、バスケは屋内スポーツでありながら、意外と温度を重要視している点ですね。日差しの強弱や温度差はそれほどないと思っていましたが、エアコン等の設備環境が割と高いハードルなんです。

―エアコンが完備されていない体育館ってまだまだありますよね。加えて座席数不足など、これらの問題はBリーグのチームにとって大きな壁ですよね。

そうですね、お客様を呼んで興行するわけですから、もう少し頑張らなければいけないことがたくさんあると思いました。

ただ、私が入社したのは2020年7月で、チームがオープンハウスグループの子会社となり1年経ったタイミングだったので、経営の観点では心配はしていませんでした。とはいえ、今までやったことのない社長という仕事ができるのかな…と、もちろん考えましたし不安もありました。

とにかく群馬クレインサンダーズの名を地元に広めようと、応援してくれる人をひとりでも多く増やすという使命に基づいてひたすら動いてきました。この3年間は、ずっとそれを心がけて取り組みましたね。

前橋市から太田市へ。ホームタウンを移転した理由

―就任翌年にホームタウンを前橋市から太田市に移転されました。思い切った決断だったのではないですか?

前橋市でも、B1リーグ基準を満たすために体育館の改修計画を立てていました。ですが、太田市の清水聖義市長とオープンハウスの荒井正昭社長との間で、移転を前提とした取り組みとしてアリーナ建設についての話し合いが行われていたようです。

もちろん前橋市で活動させていただいた御恩はありますし、地元の方々にどう説明するのかという話もありましたが、最終的にいちばんの決め手となったのは駐車場問題でした。駐車場を全面的に変えない限り、観客の動員は難しいのではないか、ということになったんです。

―アクセスが悪いということですか?

それよりは駐車台数の問題です。前橋の駐車場は400台程度がMAXでした。観客が1000人を超えると、もう会場周辺は大パニック。案の定、チケットはあるのに駐車場に車を停められないお客様が発生しました。どうか帰らないでくださいとお願いをして、駐車場を急遽用意したというケースもあったんです。

過去にもいろいろな施策を行なったようですが、あまりうまくいかなかったそうです。ほぼ全ての人が、車で会場近くに来てサッと入場したいと考えていますから、会場近くに広いスペースを確保できない限り駐車場問題は解決しにくいんです。

新しいアリーナができて「生まれた変化」

―都市部と郊外では、客層や観客の方に求められることが違うとすごく感じます。車社会というのは大事なテーマだと考えさせられますね。そこから、今回の取材場所でもある素晴らしいアリーナが作られました。何か変化を感じますか?

大いに感じます。新アリーナの最大の特徴は、民間・行政・スポーツが三位一体となって作り出した地域共創型施設であること。試合当日は、会場周辺でマルシェや音楽イベントを開催するなど、試合だけではない楽しみを地域の方々に提供しています。

アリーナには、日本最大級の可動式ビジョンがセンターから吊るされていて、世界最高峰の音響システムによるサウンドと劇場型ライティングにより、非常に臨場感溢れる観戦体験をしていただけます。お客様も選手も、会場に足を一歩踏み入れた瞬間から、みんな嬉しそうな顔をしてくれるんです。

―僕もNBAに来たんじゃないかと錯覚しました。ただ、思ったよりコンパクトだなという印象もあります。

そうなんですよ。5000人収容とかなりコンパクトです。もちろん予算もありますが、この地方都市で例えば1万人を超える規模のアリーナを作った場合、日常的にすべての席を埋めるのは相当大変だろうなと。ですから、「スモールアリーナ、ビッグビジョン」をコンセプトに、5000人を常に満席にしようということを目標に掲げています。

―選手も、群馬に行きたいなってなりますね。

ぜひそう思っていただきたいです。最新設備を整え、ロッカールームも良くなりました。働く環境を改善することで、選手のクオリティは当然上がりますし、ゲームに対する集中力や意欲も高まると思うんです。そうした大事な整備をすることができて、本当に安心しています。

―いろいろなアリーナを見ましたが、これだけ圧倒される空間はいいなぁと思います。

今後も続々と新しいアリーナができますよね。リーグをあげて会場整備の方向性を作ったことは立派だと思います。

社長就任後、最も大変だったこと

―就任されてから今まで、一番大変だったエピソードを教えてください。

コロナ禍ですね。転職しようと決意した2020年1月末に新型コロナが騒がれ始めて、感染拡大防止のため3月にリーグ戦が中止になりました。ちょうど、高崎アリーナでのゲームをビックイベントにしようということで、グッズをたくさん用意していたんです。

実は社長就任前の4月から入社させていただいており、当時事務所の倉庫を見たのですが、グッズの山ができていました。しかも、その試合のために作ったものなので安易に販売できず、在庫を減らすのに大変だったと思います。

試合は中止になりましたが、広場での『OTAマルシェ』は開催したんです。子ども向けに普段は降りられないコートで練習できるというイベントも開催し、5000人もの方に来ていただいて好評でした。すごく市長に褒められたんですよ、冗談で「サンダーズ要らないね」って(笑)。

―それも含めてチームですよね。

そうなんですよ。だから、マルシェの重要性というのは、その時に気づきましたね。試合がなくても楽しめるのだから、試合があったら尚更です。

―阿久澤社長も地元が群馬とのことで、訪問する先々で教え子や知人の方々に声をかけられるそうですね。市役所では、歓迎されるようだったと広報さんからお聞きしました。

はい、群馬で生まれました。地元の人達と接する機会が多く、さまざまなご意見をいただくのですが、お会いする方が知り合いだったというケースは多いですね。

高校教師の頃、最初に赴任したのが偶然にも太田だったんです。当時の高校生達が、この30数年間で部長に昇進したり、会社の経営者になっていたり、経済団体の中枢部にいたりするんですね。今は、その方々に助けていただいています。

スポーツ業界で働くうえで「心がけたこと」

―そのようなことは想定していなかったですよね。同じように、業界に入って想像と全く違っていたことはありますか?

未知の世界ですから、あまり考えてはいませんでしたね。ですから全てにおいて、「毎日、勉強」ということを心がけていました。

例えば、人との接し方です。私は30数年間、子ども達と接していましたが、全く逆になるわけです。会社を経営されていたり、パートナーさんであったり、ファンクラブの方であったり、ほとんど全員が大人になります。

そういった方々と私はどのように関われば、チームを応援してもらえるか。それを常に考えながら、失礼のないように話すことを意識しました。

―就任されてから、チームはB2からB1に昇格し、そしてアリーナができて、順調にステップアップされていると思います。今後、どんなチームにしていきたいですか?

まずは、バスケットボールで結果を出すことがいちばんです。それと同時に、応援していて楽しい気持ちになれるようなチームにしたいですね。その大事なもののひとつが、このアリーナだと思っています。今季は、チャンピオンシップ(CS)まで行きたいですね。

※コメントは2023年7月27日時点/2023-24シーズンの結果は東地区4位

―今後の群馬クレインサンダーズの飛躍を期待しています!本日はありがとうございました。

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