【東福岡】強豪復活を期す、東福岡の練習メニュー

村田修一(元横浜、巨人)や、田中賢介(日本ハム)ら多くのプロ野球選手を輩出し、6度の甲子園出場(春2、夏4)を誇る東福岡。2017年6月にOBでセンバツ8強エース、下野輝章副部長が監督に就任し、葛谷修前監督からバトンを引きついだ。県内屈指の名門の再建を託された下野監督は「復活ではなく、新生」と掲げ、今の時代に合った、新しい伝統作りに取り組んでいる。就任から1年半が経った今、その取り組みと、練習内容を取材した。

福岡市博多区の校舎から、車で約20分。博多湾を臨む高台に、2000年9月完成の「香椎自由が丘グラウンド」がある。右翼100m、左翼93m、中堅125mと十分な広さを持つ専用グラウンドで、室内練習場、ブルペン、トレーニングルーム、ナイター5機を備えた抜群の野球環境だ。高台にあるため、グラウンド周辺は階段や坂で囲まれている。この環境を生かし、選手たちが階段登り(108段)や、坂道トレーニングで下半身を鍛えるのが名物練習になっている。

付属の自彊館(じきょうかん)中学野球部出身の選手も多く、中高一貫で甲子園を目指す

高校時代、この坂で走り込みをしてきた下野輝章監督(35)は、エースとしてセンバツで8強入り。3試合連続本塁打の大会タイ記録も樹立し、投打にわたって大活躍した。1学年下に横浜ベイスターズ(当時)に入団した吉村裕基選手、武蔵大から阪神に入団した上園啓史投手がおり、選手たちは個の力を磨きながら全国制覇を目指した時代だった。その時の伝統を下野監督が呼び起こしつつ、今どきの手法で選手たちにやる気を起こさせている。

平日の練習は、授業と移動を終えて、17時ごろから練習開始となる。この日は2日後に1年生大会を控えていたため、イレギュラーな練習メニューの日だったが、アップから打撃練習までの流れを、素早く無駄のない動きで行っていた。特徴的だったのは、アップ後すぐに走塁練習を行っていたことだ。
「身体が温まって来た流れで、そのまま試合形式の走塁練習に入ります。この流れの方が時間短縮になり、効率的なんです」。

2000年9月に作られた専用グラウンドは右翼100m、左翼93、中堅125m、照明5機とナイターにも対応可能

打球判断や、第二リード、帰塁の仕方などを確認し合った。「プロがやっている良い練習はどんどん参考にします」と話す下野監督は、YouTubeで広島東洋カープの走塁練習を取り入れることもあると言う。キャッチボール、トスバッティングと、ボールを使った練習へと進み、打撃練習は竹バットで打つロングティー、最後に5カ所バッティングを行い20時ごろ全体練習が終わる。

ゲームノックでは、ミスを怒るのではなく、意図のないプレーを反省し合って行われる

5カ所で同時に行われる打撃練習。大所帯のチームで数を多く打つために行っている

この日の練習メニュー(平日/約3時間)

【1】アップ
【2】走塁練習
【3】キャッチボール
【4】トスバッティング
【5】ゲームノック
【6】ロングティー(竹バット)
【7】打撃練習(5カ所)
【8】補強(自主)練習

選手に求める「1球への集中力」、「根拠のない1球はいらない」

幻想的な夕焼けの中でノックを受ける選手たち

下野監督が目指しているのは「自主・自立」のチーム作りだ。最近の高校野球で頻繁に使われる言葉だが、下野監督も「考えさせる野球」で、技術を教えすぎない指導を心がけている。
その典型的なシーンがあった。ゲームノック中、選手だけを集めて課題を指摘し合う場面があった。中継~バックホームの流れの中で気付いた点を、捕手全員が発言していったのだ。

「中継プレーのときにラインを崩さない」
「カットする選手は早めについてほしい。そうじゃないと投げる方が投げにくい」
「声を掛け合ってコミュニケーションをもっと強くとろう」

選手の間で、そんな意見が交わされた。

「試合で起こることへの準備をしているわけだから。1球に集中して。もっと声を出そう」。下野監督が実戦練習にこだわる理由。それは、試合で起こる、1球の大切さ、怖さを知っているからだ。「社会人野球時代、都市対抗を目指すトーナメント戦で30,40代の大人が涙を流すほどの真剣勝負を経験してきました。日ごろの準備が明暗を分けます。投手には特に、『根拠のない1球はいらない』と言い聞かせています」と話す。

下級生チームを担当する伊藤広コーチ

今年の夏は、第100回記念大会で福岡大会が南北に分かれ、2校が甲子園に出場できるチャンスだった。しかし東福岡は準々決勝・沖学園戦でシーソーゲームの末、1点差で敗れた。7回表、打撃妨害で進めた走者をワンチャンスで逆転につなげた沖学園の集中力が上回った。ほとんどの選手が「あのときもっとああしておけば…」で終わるのが高校野球。下野監督も最後の夏は準々決勝で福岡工に敗れ、甲子園に行けなかった。だからこそ、最善の準備にこだわっている。

「昨年の現役大学合格率93.1%と、進学に力を入れている東福岡なので、野球部も大学で活躍している選手が多いんです。甲子園に行けなくても、野球を続けて、活躍してくれていることはうれしいですね。ただ、高校野球をやるなら貪欲に甲子園を目指して欲しい。僕自身も甲子園に出て、その素晴らしさを体験できたし、人生観が変わりましたからね」。
 
取材に訪れた日、引退した3年生の多くが自主練習をしにグラウンドに現れ、汗を流していた。大学野球での活躍に向けて次の目標に向かっているのだ。自主自立の考えと、最善の準備。東福岡の野球は、こうやって高校野球から上のステージへとつながっていく。

前主将・大西龍聖選手の話

目標達成のため、次のステージに向けて準備!

前主将・大西龍聖くん(東京新大学リーグ1部・駿河台大野球部に進学予定)

「現役のときは5カ所バッティングで、マシンと打撃投手の混合で、変化球、速球に対応しながら自分の課題に合わせて練習してきました。ホームランを狙うのではなく、アベレージを求めて、野手の間を抜けるようなヒットを常にイメージしています。3年生になってなかなか結果が出ず、夏の沖学園戦で敗戦。試合後は茫然としてしまいました。負けたことをすぐに受け入れられなかったですが、そのあと沖学園の沖島和樹君と仲良くなって、甲子園での活躍を応援していました。卒業後は大学で野球を続けます。プロ出身の監督、指導者がいる駿河台大に進むので、活躍してリーグ優勝(東京新大学リーグ)に貢献できるよう、卒業までの時間、練習に参加して頑張ります」(取材・写真:樫本ゆき)

東福岡野球部

1955年(昭和30)創立・創部。甲子園出場6回(春2、夏4)。部員数=2年34人、1年35人。女子マネージャー=0人。永山大輔部長、下野輝章監督、伊藤広副部長。スローガン=自主・自立。主なOB=村田修一(元横浜、巨人)、大野隆治(元ソフトバンク)、田中賢介(日本ハム)、吉村裕基(元ソフトバンク)、森雄大(楽天)ほか。所在地=福岡県福岡市博多区東比恵2―24―1。http://www.higashifukuoka.ed.jp/

監督PROFILE

下野輝章(しもの・てるあき)
1983年(昭58)8月22日生まれ。福岡県北九州市出身。浅川中(軟式)から東福岡に入学。1年夏に甲子園出場。2年秋にエースで九州大会優勝、神宮大会優勝。3年春のセンバツで3試合連続本塁打(大会記録タイ)などの活躍で8強入り。日体大へ進み3年秋にベストナイン(投手)、神宮大会4強。2日本生命でも投手を務め6年間で全ての都市対抗(6回)、選手権出場(6回)を果たす。28歳で引退したのち社業専念を経て、2011年4月から母校の副部長に就任。2017年6月より監督に。家族構成は妻、1男。保健体育科教諭。O型。