【沖学園】歴史を変えた甲子園出場仕掛け人は1年生監督

春夏通じて初の甲子園出場をつかんだ沖学園。これまで3度の決勝戦敗退に泣いた創部62年目の中堅校が、補食による増量でスタミナがつき、南福岡大会の「最激戦区」ブロックを勝ち上がった。仕掛け人は就任1年目の鬼塚佳幸監督。神村学園時代のスキルを「沖学流」にアレンジし、見事に成功を収めた。

利便性抜群、都会の学校、それゆえの悩みと打開策


野球部・監督鬼塚佳幸 (おにつか よしゆき)
1981年生まれ。鹿児島県出身。宮之城(現・薩摩中央)から福岡大へ進学。ホテル勤務を経て2008年神村学園の副部長。2016年沖学園部長、17年秋より監督就任。

重い扉がようやく開いた―。
創部61年目。これまで、決勝戦で3度の敗退を経験し(1991、2007、2008年)、甲子園出場を果たせていなかった沖学園が、この夏、春夏通じて初めて聖地の土を踏んだ。100回記念大会の特別枠により、南北に分かれた今年の福岡大会で、南福岡大会(参加70チーム)の頂点に立った沖学園。西日本短大附、東福岡、福岡大大濠などの甲子園経験校がひしめく「最激戦区」のブロックから、ノーシードで勝ち上がった。

沖学園は、1958年「博多商業」として創立。男女共学の私立高校で、1987年に現在の名称に改称された。92年には中高一貫コースの「隆徳館中学・高校」が併設され、校訓には、「ありがたい」という感謝の心、「はい」という素直な心、「させていただく」という奉仕の心、「すまなかった」という懺悔の心、の「四心」の教えがある。

OBには東海大から巨人に入団した久保裕也(現・楽天)や、中継ぎとして1999年ダイエーホークス初優勝に貢献した篠原貴行(現・DeNA投手コーチ)を含むプロ野球選手4人がいる。全国大会常連のゴルフ部も有名だ。

インパクトの瞬間の強さをつけるためタイヤを叩く選手たち。狭いグラウンドを有効活用して練習が行われる。

魅力的なのはその立地だ。福岡市博多区にある校舎は、JR博多駅から1駅の「竹下駅」から徒歩約8分の場所にあり、野球部のグラウンドも敷地内にある。ほぼ全員が自宅からの通学生で、電車・バスの本数も多く利便性は抜群。ただ、グラウンドの形が長方形をしており、ライト側がホームから50メートルほどしかないところが「都会の学校」の悩みと言ったところ。センターとレフトでしか外野ノックができず、練習試合も行えないため、試合を行うときは鬼塚佳幸監督(36)が運転するバスに乗って遠征に行くしかない。このように決して恵まれているとは言えない環境で優勝できた要因は、鬼塚監督が起こした1年間の積極的な意識改革にあった。

6月から始めた15時の卵かけご飯の補食。この日は48人分、9キロのごはんを鬼塚監督が「大きくなれ〜」という念を込めて一人一人によそっていた。

新しいことが好きな現代っ子にアイディア作戦


ゴルフボールを鉄の棒で打つ練習は、目を鍛える目的がある。「速読との連動なのですが、ボールをしっかり見る力をつけます」と鬼塚監督。

「今どきの子どもなのでしょうね。新しいことにはすぐ飛びつき、やってみようとノリがいい選手ばかり。その特性をうまく使い、タイミングを考えながら練習メニューに取り入れていきました」。

新チームを結成してすぐに行ったのが1週間の鹿児島・種子島合宿。砂浜アメリカンノックで士気を上げた。秋には練習試合の予定と合わせて、水害で被災した朝倉地区へ行き、泥出しや、片付け作業などのボランティアを行った。「今日はハワイに行くぞ」と言って、37キロ先の二見ヶ浦海岸までバスで行き、砂浜トレのあとランニングをして帰ってきたこともある。夏の大会中には、目を速く動かして本の文字を追う「速読」を導入。動体視力を上げるトレーニングを行った結果「ボールの縫い目が見える!」と開眼(?)した選手たちが、ホームランとタイムリーを打ったことも話題となった。


夏の練習前にしっかりご飯を食べることは、選手にとって最初は「キツイ」ことだった。しかし阿部主将は「しだいに慣れ、バテにくい身体になったので、効果はあったと思う」とふり返る。

アイディア練習を結果につなげた鬼塚監督は、部長から昨秋に監督就任した、いわば“1年生監督”だった。それなのになぜ甲子園初出場を成し遂げることができたのか?
それは、神村学園時代に副部長としてセンバツ2回、夏の選手権2回の甲子園出場を経験しており、勝つための環境づくりや準備への知識を持っていたからだ。

夏バテ予防に始めた補食が効果を生んだ

「打ち勝つ」を目標に1年間取り組んできた。そして大阪桐蔭戦では4点を奪うパワーを見せられた。

身体作りについてもこだわりがあった。神村学園時代に寮生活を含めた食事改革を行い、一定の成果を出すことに成功していた鬼塚監督は、通いの選手たちの場合はどうやったら食の意識が変わり、勝利につながるか。考え、始めたのが6月からの「補食」だった。

「身体作り、体重アップはもちろんですが、1番の目的は夏バテ防止と、ケガ予防でした。気温がだんだん上がってくる時期、選手たちのお弁当を見ると、コンビニでざるそばを買ってきたり、300円くらいの小さい丼モノ弁当を買ってきたりと偏りがありました。そこで、まず全員で補食を食べて、体重が減るのを防ごうと。学校の食堂にも協力してもらい、練習前の15時に、茶わん1杯、約500グラムのご飯に生卵やふりかけをかけて全員で食べることにしました。食の重要性は食トレ専門家のセミナーで全員がインプットしていたので、自分たちで考えて行動できた。自宅での食生活も変わりました」。最もモチベーションの上がる6月に敢えてスタート。「新しいモノ好き」な選手たちのヤル気に火をつけた。

主将の阿部剛大選手は「始めたころは本当に効果があるのかな?と思ったけど、去年は夏に体重が5キロ減ってしまったのが、今年は減らなかった。福岡大会で足がつったり、熱中症になる人が一人もいなかったことも補食のお陰だと思いました」と話す。他にも「強化食と補食の食トレで打球が伸びるようになった。疲れも早くとれるようになった」(三浦慧太選手)、「補食を始めてから、食の意識が高まって、家でも夜に山かけご飯を食べるようになった」(柴田仁魁選手)、エースの斉藤礼選手も「トータルで3キロくらい体重が増えた。チームで取り組んだので、次第に習慣化されて食べることが当たり前になっていった」と効果を語った。選手の多くは「体重が増えても、動きのキレは変わらなかった」と喜んだ。

部員数は3学年で67人。これからは「甲子園出場校」としての歴史が始まる。

食べることの重要性を知った選手たちは、甲子園でも食欲が落ちず、体重維持も成功し、北照戦で勝利を手にすることができた。2回戦の大阪桐蔭戦は4–10で敗れたが、森島渉選手、阿部選手が根尾昂投手から本塁打を放ち、速球に打ち負けないパワーを見せた。

「采配をしていて、力の差も感じたし、足りない点が明確になった。強豪校の立ち振る舞いを見たことも、大きな財産になりました。この経験をこれからどう活かすか。それが今後の課題ですね」。

補食は新チームになっても続けている。現チームは先輩たちから良いものを引き継ぎ、新たな「沖学」の伝統を作ろうとしている。一冬越えて身体がどう変わっていくのか。春の進化が楽しみだ。

甲子園の思い出

大会前から「大阪桐蔭と対戦したい」と話していた選手たち。試合に向けて宿舎での生活を引き締め、1回戦の北照戦に勝利した。敗れたが大阪桐蔭戦の健闘にスタンドからは万雷の拍手。「ありがとう」の声が響いた。

管理栄養士の食事チェック

牧田涼太郎選手(2年)のお弁当。メニューはひじきとゴマのふりかけご飯、鶏むねのからあげ、青のりの卵焼き、オクラのおかか和え、ちくわと魚肉ソーセージ、塩さば、いんげんとパプリカの豚肉巻き、大根の煮物、梨。

沖学園高校DATE

所在地:福岡県福岡市博多区竹下2-1-33
学校設立:1958年
直近の戦績:
2018年夏・南福岡大会優勝、全国高校野球選手権2回戦
2018年春・県大会2回戦(初戦)
2017年秋・県大会4回戦

(文・写真:食トレマガジン#7より)

橋亮大朗(益田東)|食トレClose Up Player2018.11.7

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