希望して楽天「1期生」となった牧田 “激動の1年”を振り返る

 楽天の牧田明久外野手(34)が10月23日、球団から戦力外通告を受けた。05年の球団創設時から在籍する最後のメンバーがチームを去ることになった。

楽天の牧田

 「僕は楽天に行きたかったよ」――。今年7月に聞いた言葉だ。

 7月、オリックスに在籍していた近藤一樹投手(33)がヤクルトにトレードで移籍。オリックスには、04年に消滅した近鉄の出身者がいなくなった。牧田は当時、近鉄に在籍。オリックスとの合併、楽天の新規参入、分配ドラフト…と激動の1年を経験した。近藤の移籍を受け、牧田に当時のことを振り返ってもらうと、チームへの並々ならぬ愛情を感じる言葉が出てきた。

 福井・鯖江高から00年ドラフト5位で近鉄に入団。1年目の01年に梨田監督率いるチームは12年ぶりにリーグ優勝を果たしたが、高卒新人の牧田は2軍暮らし。リーグ優勝は球場で“観戦”した。「(北川の)代打逆転サヨナラ満塁ホームランは球場が揺れたよね。すごかった」。当時19歳の牧田にとっては遠い世界のことのようだった。

 その後、1軍に一度も昇格できずに月日が経った入団4年目の04年6月。オリックスとの合併話が浮上した。「合併の記事が報道された時はびっくりしたよ。まさかと思った」。選手やファンは合併阻止を呼びかけ署名活動を行ったが、止められなかった。「合併して選手があぶれてクビになるんじゃないか、という不安はあった」。4年間1軍出場なしとあっては、そう思うのは当然だろう。

 先行きが不透明な中、、その年の9月に楽天が新規参入に手を挙げ、11月には正式決定した。「楽天に決まったとき、僕は楽天の方がチャンスがあると思い、行きたかった」。若手にとっては既存球団より新規球団の方が出場機会に恵まれるはず――。そして分配ドラフトを経て希望通り、楽天の「1期生」となった。

 創設1年目の05年7月19日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で1軍戦初デビュー。堅実な守備と長打力を武器に徐々に出場機会を増やし、12年には自己最多となる123試合に出場した。そして、13年11月3日、巨人との日本シリーズ第7戦では沢村から本塁打を放ち、球団初の日本一に貢献した。

 04年の秋季練習。背番号もない真っ白なユニホームを手渡され「高校球児みたい」と揶揄(やゆ)されたところから始まった。05年は38勝97敗1分け。「寄せ集め集団」と言われ、首位とは50ゲーム以上も離れた断然の最下位。そこから頂点に登り詰めた歴史を知る唯一の現役選手だ。

 楽天にはもう1人、当時を知る選手がいる。後藤光尊内野手(38)だ。「オリックス・ブルーウェーブ」の後藤は分配ドラフトを経て「オリックス・バファローズ」に所属することになった。後に楽天に移籍したが「ブルーウェーブ」を知る現役選手は後藤とマーリンズ・イチローの2人しか残っていない。後藤もまた、9月に戦力外通告を受けた。

 牧田は今後について「未定です」と熟考中だが、後藤は現役続行を希望し、練習に励んでいる。あれから12年。転換期を迎えたと言ってしまうのは簡単だが「まだまだユニホーム姿を見たい」。2人に対してそう思っているのは、きっと私だけではないはずだ。(記者コラム・徳原 麗奈)