星稜の4番を打つ1年生・内山壮真「軟式出身でもスタイルを変える必要はない」
1年春に公式戦初出場以降、20試合を戦っている内山壮真は、すべての試合でヒットを打っている。つまり、高校に入学してから無安打だった試合がないのだ。前チームではすでに3番を打ち、現チームでは4番。長打力、勝負強さ、どれを取っても上級生に引けを取らない打撃センスを持ち合わせている。
空手で鍛えられた体幹とボディバランス
野球を始めたのは小学校3年生の時。だが、野球を同時にずっと続けていたことがある。2歳の時から始めた空手だ。全国大会で優勝経験のある父を持ち、道場に通い続けた。「昼間は野球で夜の7時からは空手。その頃はどこかに遊びに行った記憶がないんです」と本人。空手は小学校5年まで続けたが、10年近く鍛えたお陰で体幹が強くなっただけでなく反射神経も磨かれ、周りと比べてボディバランスが良くなったという。
中学は「野球をもっと極めたい」と地元の富山を離れて星稜中に進んだ。入学直後はショート。初打席でヒットを放って、以降ショートのレギュラーを掴んだ。
2年生になると正捕手としてマスクを被る機会が増えた。捕手と遊撃手。小学校時から捕手は頭と体を使う重要なポジションだと自負。「捕手は1人だけ違う方向を向いていて、野球の見方が変わりました」とむしろやりがいを感じている。昨年は正捕手としてU15日本代表に選ばれた。「世界にはすごい選手がたくさんいるなと。初めての海外のチームとの試合だったのですごく楽しかったです。すごい投手もいましたが、そんな投手を相手にいい打球も飛ばせていましたし自信になりました」。大会では世界一に輝き、ベストナインにも選出された。
星稜高校に入学後は主に遊撃手としてスタメンに名を連ねている。今夏は入学していきなり甲子園も経験した。中学時代は世界だけでなく2度日本一になるなど大舞台を経験しているが、やはり甲子園は特別な場所だった。
元々あまり緊張しない方だが「開幕戦だったし人の多さに圧倒されました。体が固まってうまく動かなかったです」と大舞台の余韻を振り返る。それでも冷静さを取り戻し、3回には適時打となる一塁線への二塁打を放った。ただ、甲子園で実感したのは自分の力のなさだ。
「ゴロに対する動きもバッティングも、自分の力のなさを感じました。悔しい思いしかなかったです」。
2回戦の済美戦では野球の怖さも味わった。「(エースの)奥川さんが足をつったり、最後の回にああいう展開(逆転サヨナラ満塁ホームランを浴びた)になったり、予想していないことがたくさん起きたので色んなことを想定していかないといけないです」と振り返った。
慣れるのに苦労した硬式球

新チーム結成後は打撃フォームを少しずつ変えながら、打球の伸びをチェック。硬球への対応力は「少しずつ上がってきた」と本人は話すが、長打力や打率など自分が納得する域にはまだまだ達していないという。「いずれはホームランや逆方向に低い打球を打てる打者が目標です」。理想は山田哲人(ヤクルト)のような、長打だけでなく鋭く野手の間を抜く打球も飛ばせる強打者だ。
この秋の石川大会では準決勝の鵬学園戦で高校入学後公式戦初のスタメンマスクも被った。しかも、ほとんど練習をせずに、ぶっつけ本番だったという。だが、先発の荻原、2番手の寺沢を好リードした。「(練習はしていなくても)勘がすぐに戻ってきたので何とかこなせました。今年はショートとして試合に出ると思いますが、将来のことを考えるとキャッチャーもありかなと思います」。“投手と野手”ではなく“捕手と野手”の二刀流ぶりを今後も発揮していけるのか、可能性は膨らむ。
星稜中までは軟式に所属していたが、高校から硬式に。慣れるのには苦労も多かった。
「軟式と違って硬式はボールの跳ね方が違うし、ゴロへの入り方もまったく変わるので、入学直後は苦労しました」。ボールの伸びや重さの違いに、正確に送球するまでも時間がかかった。打球への入り方に戸惑いトンネルすることも多かったが、とにかく土の上でノックを受け続け、跳ね方や打球の質などを肌に染み込ませた。慣れるには約1カ月を要したが、県大会が本格化する5月頃にようやく送球が落ち着いてきた。ただ、前チームの4番で三塁手の南保良太郎(3年)は「入学した時からノック(での守備)がうまくて、3年になってからやっとできることを1年の春の段階でほぼこなしていた」と内山の軽快な動きに一目置く。身のこなしの早さや吸収力の良さはチーム内で群を抜いているが、言葉の節々に謙虚さもあり人間性の高さもうかがえる。
「硬式と軟式。確かに違いはありますが、かと言って自分のスタイルを変える必要はないと思います。自分の力強さを磨いていけば高校でもやっていけます」。
軟式の星から名門・星稜の星へ—。ステージに立つごとに、内山の存在感は増し続けている。(取材・写真:沢井史)