【高校球児のための大学野球部ガイド】横浜国立大学野球部、選手座談会!

横浜国立大硬式野球部のレポート、前編では田中英登監督、キャプテンの福田耕平選手にチームを紹介してもらいましたが、今回は3人の選手に参加してもらった「横浜国立大学野球部、選手座談会」をお届けします!

座談会メンバー
関一樹(3年・外野手/教育人間科学部学校教育社会科/横浜翠嵐高校出身)
森山皓介(2年・外野手/理工学部数物電子情報系学科/県立相模原高校出身)
鵜飼康弘(写真右/1年・投手/教育人間科学部学校教育技術科/東海大付属高輪台高校出身)

横浜国立大学レポート(前編)>

――高校までの野球部と大学、横浜国立大の野球部で一番違いを感じるところはどこですか?
森山「高校までは全員が集まって揃って練習をするという感じでしたが、大学では学年でも学部でも練習に出られる時間が異なるので、より個人での取り組みが重要になるなという印象です」

「自分が一番感じるのは指導者ですね。高校までは監督、コーチに野球を『教えてもらう』という感じでしたが、うちの大学は特に自分たちで練習メニューも考えて、選手主体で取り組んでいると思います」

鵜飼「高校時代もうちの高校はピッチャーに関しては結構任されて自分たちで考えて練習していたんですけど、大学ではより目的を持って取り組めていると思います。一つのメニューでもこれは何のためにやるのか、課題を克服するためには何をするべきか、といったことを本当によく考えています」

――ちなみに三人とも横浜国立大が第一志望でしたか?
三人「はい。そうです」

――志望した理由を教えてもらえますか?
森山「僕は一年浪人していて、現役の時もここが第一志望でした。高校の同期が他にも(現在の3年生に)4人いて、その同期が練習会に行った話を聞いたのがきっかけです。大学で野球をやるかは迷っていたんですけど、雰囲気がいいチームだと聞いて、それで学力的にも頑張れば届く範囲だったので受けようと思いました」

「僕は英語教育を勉強したいというのが最初にありました。英語教育を勉強しながら、野球もちゃんとやれて、自分が頑張れば試合にも出られるという環境はどこかと考えて、地元ということもあって、ここに決めました」

――英語教育をやりたいと思った理由は?
「自分が中学、高校と英語教育を受けてきて、こういう風に伝えたら、こういう風に教えてもらったらみんなもっと分かりやすいんじゃないか? こういうニュアンスの方がいいんじゃないか? という疑問がありました。
そういうところを自分が学んで伝える側になれば、もっと英語が嫌いじゃなくて好きになる人が増えるんじゃないかなと思ったのがきっかけですね。英語が分かるようになれば人生が変わると思うので、それを公教育でやりたいと思っています」

鵜飼「凄いっすね(笑)」

関一樹(3年・外野手/教育人間科学部学校教育社会科/横浜翠嵐高校出身)
「英語教育を勉強しながら、野球もちゃんとやれて、頑張れば試合にも出られるという環境はどこかと考えてこの大学を選んだ」

――教員採用試験でそのまま話したら合格しそうですね(笑)。鵜飼君はどうですか?
鵜飼「自分はまず大学でも野球を続けたいというのが先にありました。ただ野球だけやるのであれば他の大学や社会人の話もあったんですけど、自分のいた中学の湘南ボーイズでずっと『文武両道』ということを言われていたので、勉強もしっかりしたいなと。
そう考えた時に家からも比較的近くて、勉強もできて野球もできる。そういう環境かなと思って練習会に参加させてもらったら雰囲気もいいし、大学野球のスピード感、高校までとは違うレベルを感じられたので決めました。それから推薦入試を受けて、野球をやりたくてしょうがなかったので、合格が決まってすぐに練習に参加させてもらいました(笑)」

「キャンプにも一人だけ入学前から参加してましたね。『東海大高輪台の鵜飼っていうのが来るらしい』って僕たちも聞いていました(笑)」

鵜飼「暇だったんで(笑)」

――高校時代に勉強はどれくらいしてましたか?
森山「テスト前にまとめてやる感じでした」

鵜飼「引退するまでは授業だけですね。テスト前もあまりせずに逃げてました」

「高校で出る課題の量が多くて、普段はそれに何とか食らいついて、テスト前に頑張るという感じでしたね。あとテスト前の期間と1週間に2日は部活ができないと決められていたので、その時にまとめてやっていました」

――塾に通ったりしていましたか?
森山「僕は野球部を引退してからですね」

「僕は1年生の時から週に1回か2回くらい部活が終わってから行ってました」

鵜飼「僕は引退してからも行ってないですね…。勉強してないです(笑)」

――鵜飼君は勉強していなくても、推薦をもらえるくらいだから成績は良かった?
鵜飼「東海大学の付属校の中でテストがあって、そこでの順位は割と良かったです。推薦での試験は面接と小論文だけで、先輩に聞いて小論文の書き方みたいな本を教えてもらったんですけど、教育に関する小論文は3ページくらいしかなくて10分くらいで読み終わりました(笑)。文章書くのは苦手じゃなかったので」

――自宅は神奈川県藤沢市と聞きましたが、高校時代は練習グラウンドのあるさいたま新都心までの電車の中で勉強とかはしなかった?
鵜飼「寝てましたね」

関・森山「(笑)」

鵜飼「でも授業は寝ずにちゃんと受けてました!」――一方の森山君は1年浪人したとのことですが、浪人時代はどれくらい勉強してましたか?
森山「浪人時代は予備校も行かずに自分で勉強してました。8時くらいに起きて、休憩とか挟みながら18時くらいまで勉強して、夕方からはウエイトとか筋トレをしてました。高校時代は体が細かったので、予備校に行かない分のお金で器具を買ってもらいました」

――予備校に行かずに自分だけで勉強するのは大変じゃなかった?
森山「自分の場合は逆に周りを気にせずに自分のペースでやれたのが良かったと思います。勉強をしながら体も動かしていたので、ストレスなくできました。体を動かすのは本当にリフレッシュになりましたね」

森山皓介(2年・外野手/理工学部数物電子情報系学科/県立相模原高校出身)
「やってみたら何とかなる! 迷うなら是非大学でも野球を続けてもらいたいです」

――大学生活の話になりますが、今は授業、練習の合間にアルバイトはしていますか?
森山・鵜飼「はい」

「今期はしてないですけど、前はしていました」

――ちなみにどんなバイトをしてますか?
森山「僕はファミレスのデリバリーです」

「僕は塾の講師とポスティングのバイトをしていました」

鵜飼「自分は週一で(出身チームでもある中学硬式野球チームの)湘南クラブでスタッフとして野球と勉強を教えてます」

「自分が勉強してなかったのに勉強教えてて大丈夫?」

鵜飼「中学時代の貯金で何とかなってます(笑)」

――中学時代は勉強も厳しかった?
鵜飼「そうですね。学校の成績も全部チーム(湘南クラブ)に提出しないといけなくて、成績が悪いとトップチームの試合に出してもらえないという感じでした」――大学野球をやってみて良かったなと思う部分はどんなところですか?
鵜飼「さっきも言いましたけど、何のためにこれをやるのかということを高校時代よりもよく考えるようになりました。野球についてもっと知りたいという気持ちが出てきました」

森山「自分は大学で続けようか迷っていたんですけど、その割には本気で取り組めていると思います。あと高校までは親や周囲に助けられていた部分が多かったですが、当時に比べていろんな面で自立できていると思います」

「自分は教員になって野球部を指導することになった時に高校時代までの経験ではろくに教えられないなというのが大学でも続ける動機としてありました。ですので、自分の力を試しながら野球の勉強をしたいという気持ちも強かったです。
技術的に足りなくてしんどいことも多かったですけど、続ける中で関東大会に出た県立相模原高校(神奈川)とかレベルの高い選手と意見交換したりして、野球に対する見識が増えたということは確実にあると思います」

鵜飼康弘(1年・投手/教育人間科学部学校教育技術科/東海大付属高輪台高校出身)
「高校の2年半は時間が限られていてやりたいこともなかなかできない。大学では野球をやりながら色んな事に時間がかけられる」

――野球以外の生活面で高校までと違うと感じるところはどこですか?
鵜飼「(授業のない)空きコマの時間があることですね。その時間をやりたいことに有効活用できれば充実してくるなと思います。野球をやりながらでもバイトをしてお金も稼げるので、時間もお金も自由にできる部分が多いです」

森山「自分は理工学部なんでクラスというものがないんですけど、野球部以外に深くかかわる人が少なくて高校時代より友達が減ったと思います(笑)」

――友達少なくて苦労しない?
森山「最近は一周回って逆に楽になりました(笑)。引きずられずにスッと部活に向かえるので。3年になったらゼミがあるのでまた変わるかもしれません」

「自分がもともと興味のあった分野のことを勉強できているので楽しいですね。特に専攻に分かれてからは同じ志向の人たちと情報交換できるので、刺激になっています」

――これまでに野球を辞めたいと思ったことはないですか?
鵜飼「中学の時はありました。特に冬の練習とかしんどくて、何のためにやってるんだろうと思って。それでも続けられたのは仲間がやっていて、自分もやらなきゃいけないと思った部分が大きいですね」

「大学でも全然上手くいかない時にちょっと考えたこともありました。でもそういう時は野球部の仲間とサッカ―をしたりしてリフレッシュしたり。そのうちまた野球も楽しくなってという風に続けられましたね」

森山「自分は野球を始めた当時は嫌でした。親に無理やりやらされたというか、幼稚園の頃泣きながらキャッチボールをやっていたのを覚えています(笑)。でもやっているうちに楽しくなって、それからは野球が嫌になったことはないです。高校でも苦しい練習はありましたけど、今思い返すと楽しかった気持ちしか残っていないですね」

――最後にこれから大学生になる高校球児に向けて、大学野球をやるといいぞ、そして横浜国立大はこんないいところがあるよ、ということがあればメッセージをお願いします。
森山「自分は大学でも続けるか迷いましたけど、やってみたら何とかなるので、迷うなら是非続けてもらいたいですね」

「自分は高校時代に力を出せなかった思いが強かったですが、大学では野球をまた学べて成長できた部分が大きいです。そういう思いを持った選手にとってうちの大学はまたチャレンジして人としても成長できるいい環境だと思います」

鵜飼「高校の2年半は時間が限られていてやりたいこともなかなかできないと思いますけど、大学では野球をやりながら色んな事に時間がかけられます。野球に限らず、やりたいことを見つけてそれに時間をかけてやると充実した大学生活になると思います」

貴重なお話ありがとうございました!

(聞き手:西尾典文/写真:編集部)