「サーフシティー・マラソン」4日前に1人で走った42.195km
カリフォルニアと言えば何を思い浮かべるだろうか。そう問われたとしたら、青い空、ビーチ、サーファー、パームツリー、というような言葉を挙げる人は多いのではないだろうか。
その意味では、ハンティングトン・ビーチは最もカリフォルニアのイメージに相応しい街だと言えるかもしれない。ロサンゼルス空港から南へ30分ほど車を走らせると、この海岸沿いの街に着く。広大な砂浜と大きな波を持つビーチ以外には、特に観光の目玉と言えるものはない街だが、全米サーフィン大会が例年開催されることで多少は世間から知られている。なにしろ、市の別名称として『サーフシティーUSA』が公式に商標登録されているぐらいだ。ここには海以外に何もないぞ、という市当局の開き直りすら感じられる。
毎年スーパーボウルが行われる日曜日の朝に、この街でサーフシティー・マラソンが開催される。今年は2月3日だ。ハーフとフルの部門があって、フルの参加者は2000人程度。ロサンゼルス・マラソンなどの大都市レースと比べると、はるかに小規模でのんびりしていて、コースもフラットで走りやすい。
ぼくは、このサーフシティー・マラソンを過去に6回走っている。家から20分ほどしか離れていないので便利だということもあるが、それだけではない。地元には他にもたくさんレースがあるけど、そんなに何回も走ったレースは他にはない。なぜそこまでこのレースが好きなのかと言うと、実はこのサーフシティーはぼくの故郷でもあるからなのだ。故郷と言っても中3から高校までの4年間を過ごしただけなのだが、ぼくがアメリカに来て初めて住んだ場所でもあり、色々な意味で忘れられない土地である。
だからこのレースではコースのどこを切り取っても懐かしい場所ばかりだ。一番近い所では、ぼくら家族が住んでいた家から1キロぐらいまで接近するし、ぼくが通っていた高校のすぐ近くも通る。コースの半分以上を占めるパシフィック・コースト・ハイウェイも、あの頃毎日のように車を走らせていた。
10代の頃は、将来ここでマラソンなどを走るなんて想像もしなかった。ぼくにとってサーフシティー・マラソンを走るということは、無垢で純粋で汚れを知らない美しい少年だったあの頃に戻るセンチメンタル・ジャーニーなのだ。何がおかしいんだい?
今年もこのサーフシティー・マラソンに参加するつもりでいたのだが、思うところがあって、レースが行われる日曜日ではなく、その4日前の水曜日に1人だけで42キロを走ってみることにした。
公道を自分でいわば勝手に走るわけだけだから、色々な不便や不都合はある。交通規制などはもちろんないから、赤信号では立ち止まらないといけない。給水などのサポートもないし、道沿いに立って応援してくれる人達もいない。完走しても、Tシャツもメダルも何もない。
こうしてあらためて思うことだけど、マラソン・レースは大勢のボランティアによって運営されている。その厚意と献身に甘えて、走らせてもらうのが我々ランナーだ。あえてそのような心地良い場所から抜け出し、一人っきりで42キロを走ることによって、孤独に立ち向かい、自分自身を見つめ直してみようと思ったのだ、というのは嘘で、天気予報ではレース当日が雨だったからだ。マラソンは好きだけど、雨の中を走るまでの根性はぼくにはない。どうせコースは隅から隅まで知っているのだから、道に迷う心配はない。天気が良いうちに走っちゃおうと思ったのが水曜日だったというわけだ。

そんなわけで、この日スタート地点についたのは午前9時ごろ。ビーチに沿った駐車場にイベント用テントが張られ、メインストリートに建つホテルの前からレースはスタートする。レース開始時刻は6時半で、この季節だとまだうす暗い。いつもならそれに合わせて午前4時には起きていた。それをしなくて済むのはありがたい。
気温は15度ぐらいで薄曇り。暑くも寒くもなく、走るには絶好のコンディションだ。もっとも、走っているうちにどんどん暑くなって快適とは言えなくなったのだが、それはまた後の話だ。
水と食料を詰めたバックパックを担いで走り出す。そのせいか、やはりいつもより脚が重い。意識してペースを落とす。公式タイムもないし、特に急ぐ必要はないから気にはならない。もし足でも攣ったりしたら、助けを求める人もいないわけだから、慎重にならざるを得ないということもある。

海沿いの道を走り、4キロほど過ぎたところで、T字路を曲がって、海から離れて街の中に入っていく。ゆるやかな坂を上って、セントラル・パークと言う名の公園を一回りする。ニューヨークにある同名の公園とは広さは比べ物にはならないが、それでも池や樹に囲まれた、南カリフォルニアでは珍しく緑に恵まれた場所だ。
公園の中には図書館もあって、高校時代にはよく通ったものだ。あのころのぼくは、学校の勉強になじめないものを感じていた。授業は退屈だったし、クラスメートとも話が合わなかった。だから、図書館で1人過ごす時間が長かった。ぼくはここでカントやヘーゲルを知り、ニーチェやサルトルに傾倒した、というのは嘘で、宿題のレポートのために百科事典を丸写しするために来ていたのだ。なにしろインターネットもウィキペディアもない時代の話である。

ハンティングトン・ビーチは愛知県の安城市と姉妹都市協定を結んでいて、公園内には同市寄贈の桜の木が何本か植えられている。もちろん今はまだ花が咲いていないが、毎年シーズンには桜まつりが行われ、安城市からも訪問団がやってくる(これは本当)。

コースは公園を1周して、未だに稼働中の油田(これも本当)の脇を通り、また海沿いの道に戻ってくる。この時点で16キロ。そろそろ疲れてくるころだ。


ここから先はゴールまでずっと海岸沿いのルートになる。パシフィック・コースト・ハイウェイをある地点まで北へ走り、折り返して南下する。さらにビーチに面した歩道に移り、もう一度同じ距離を往復する。見えるのは砂浜と波とパームツリーだけ、というサーフシティーの名に相応しいコースだ。
ハンティングトン・ビーチの砂浜はとても広い。だからいつ来ても人影はまばらだ。このレースの起点でもあるメインストリート一帯だけを唯一の例外として、ビーチの周りには売店もレストランも何もない。海の家もなければ、サザンオールスターズの曲を大音量で流すスピーカーもない。聞こえるのは波の音だけだ。
あの頃つきあっていたガールフレンドとよく散歩に来たのも、このあたりの海岸だ。いつもは陽気にふざけてばかりいたのに、波打ち際に近づくとぼくらは何故かいつも無口になった。言いたいことはいくらでもあったはずなのに、海を見ていると何も口に出せなくなってしまうのだ。彼女も同じ気持ちらしく、うつむき加減で時々長い髪をかきあげていた。手を繋いで、ぼくらはいつまでも歩き続けた、というのは嘘で、いつもむさ苦しい男ばっかりでタバコやらを吸ったり、焚火を囲んで大騒ぎしたりしていたビーチだ。
ここからゴールまでの道は、特に書くことはない。ただひたすら海を眺めつつ走っただけだ。ランナーによっては、このコースはきれいだけど、景色が単調過ぎてつまらないと言う人もいる。ぼくはもともと海が大好きで波を眺めているだけで時間がつぶせる人間なので、何回走っても飽きることはない。
そもそも、20キロ、30キロ、と距離が進むにつれ、ぼくレベルのランナーだと脚が痛くなっているか、疲れて果てているか、あるいはその両方で、景色に退屈しているような余裕さえもなくなっている。この日もそうだった。いつもの場所でいつものように苦しんで、「早くゴールして、ビールを飲みたいなあ」といつものように考えていた。
いつもと違うのは、周りには同じように苦しんでいる仲間のランナーが1人もいないことだ。応援してくれる人もいない。ゆっくりジョグや散歩やサイクリングを楽しんでいた人達は、1人でゼイゼイ言ってよたよた走ってるぼくを見て一体何事だと思ったことだろう。
ゴールが設定される場所は、メインストリートのもっとも賑やかな交差点だ。ハンティングトン・ビーチのシンボルでもあるピアーが海に向かって突き出している。
レースの日は道路の両側にぎっしりと大勢の人が並んで、ゴール直前でよれよれになったランナーを大声で応援してくれる。ランナーはそこで最後の力を振り絞ってゴールする。
この日のぼくには祝福してくれる人はだれもいなかったわけだけど、それでもゴールしたときはやはり嬉しかったし、心底ほっとした。来年はちゃんとレースを走るかどうかはわからない。でも、またこの場所に帰ってくることだけは間違いないと確信している。
サーフシティー・マラソン公式サイト:https://www.motivrunning.com/run-surf-city/