「走ることは、夢を見ること」頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと


「「走ることは、夢を見ること」頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと」の画像
©︎2019 Sushiman Photography

2018年11月、第95回箱根駅伝の開催を前にして、陸上長距離界にセンセーショナルなニュースが舞い込んだ。

立教大学の陸上競技部男子駅伝監督に2009年ベルリン世界選手権5000m日本代表の上野裕一郎が就任。同校は1968年の第44回大会から箱根駅伝出場が途絶えており、創立150周年という節目の年である2024年に開催予定の“第100回箱根駅伝出場”を目指して、チームの再建に着手した。

33歳というタイミングで現役選手から監督に転身した上野裕一郎監督に、これまでの競技キャリアの振り返りと指導者としての今後のチーム強化策について、インタビューを行った。

思い出の2レース

上野監督は小学4年から中学3年まで野球をやっていたが、佐久長聖高校に進学し、当時の駅伝部監督であった両角速監督(現・東海大駅伝監督)の指導のもと本格的に陸上を始める。高校3年の時、10000mで当時の高校記録(28分27秒39)を樹立。一気に世代の頂点に上り詰め、その頃には「世界で活躍したい」という気持ちがあり、大学入学前の世界クロスカントリー選手権で初めて日の丸を背負う。

中央大では、5000mで当時の日本歴代5位となる13分21秒49をマーク。大学3大駅伝でも3大会ともに区間賞を獲得し、トラックとロードで幅広く活躍。実業団ではエスビー食品、DeNAと10年間競技を経験。2009年には、日本選手権で1500mと5000mの2冠を達成する。同年のベルリン世界選手権の5000mに日本代表として出場した。上野監督が自身の思い出のレースの1つと語るベルリンでのレースは「全く歯が立たず、衝撃を受けたレースだった」

2014年と2016年にはマラソンを経験。「マラソン練習が今までで一番キツかった」と言いつつも「そこで得たものが多かった」。その成果をあげた。

「もう1つの思い出のレースは、2017年日本選手権の10000mです。当時は大迫(傑)に誰も勝負できないという雰囲気がありましたが、マラソン練習で持久力が上がり、その時期にいい練習が積めていたので、もしかしたら勝負できるかも……? と自信を持ってレースに臨みました」

その言葉通り、レースの残り800m地点でスパートをかけて先頭へ。最後は2連覇を果たした大迫に2秒ほど及ばず2位に終わったが、そこで「まだやれる!」という手応えを感じたレースだった。

指導者というセカンドキャリア

「僕のキャリアにとっての事件は、エスビー食品の陸上部が廃部になったことです」

2013年3月末日、エスビー食品陸上部は59年間の歴史に幕を閉じた。陸上部の選手は、竹澤健介を除いた全員が同年4月1日付でDeNAに移籍。その頃、「大人になってから、陸上だけでやれるのは長くても10年ほど。残りの人生は最低でも30年」という言葉を聞いていたこともあり、セカンドキャリアについてしっかりと考え、指導者への道を意識するようになったという。

「「走ることは、夢を見ること」頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと」の画像
©︎2019 Sushiman Photography

チームの廃部による移籍を経験してから、5年半ほど経ったある日のこと。故障が長引き、キャリアの分岐点に立たされていた男に突然、立教大からのオファーが。「このタイミングを逃すわけにはいかない」と、1週間も経たないうちに返事をしたという。

「指導者になるんだったら、新しいチームを指導したいと思っていました。ゼロからチームの基礎を築いていって、自分でチームカラーを作るには1番いいかなと。そんな時に、最高のタイミングでオファーを頂きました」

DeNAの上野裕一郎から、立教大の上野男子駅伝監督に変化を遂げた。

いつかは“引退レース”を

競技生活でのハードな練習の積み重ねの一方で、合宿で訪れた印象的なランニングコースについても伺った。高地での練習場所として有名なカリフォルニア州マンモスレイクや、アメリカ西海岸のカリフォルニア州サンディエゴ北部のミッションベイを挙げた。「ロングジョグをしながら綺麗な夕日を見られたことが心に残っています」とミッションベイでの1日を回想する。

そんな上野監督は、今後も走ることを継続していくという。故障で苦しんだ2018年のシーズン中にオファーを引き受けたが、選手としてはまだやり残していることがある。“引退レース”で、最後の花道を飾るということだ。そこには「納得する形で引退してほしい」という、彼を長年支え続けてきた妻からの助言があったという。

「「走ることは、夢を見ること」頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと」の画像
©︎2019 Sushiman Photography

「中途半端な終わり方が1番良くないので、大きなレースで自分の競技生活を終えたいと思っています」

監督業をこなしながらではあるが、自身がこれまで活躍してきたトップレベルの舞台に「(選手として)もう1度立ち、引退したい」という思いを持っている。

「そこに向けては、時間をかけてやってきたいと思っています。春先は選手の競技力向上やスカウトなどに注力しますが、“楽しく、強くなろう!”が僕たちのチームのモットーです。チームのみんなと楽しい気持ちになれるように、できる限り自分の走りでも選手を先導していきたいと思っています」

立教大の学生と年齢もそう離れていない上野監督。ともに汗を流してコミュニケーションをとりながら、独自の方法でチームの強化を図っていく構えだ。

自信をつけてくことが大切

5年後の第100回箱根駅伝出場を目指す立教大。この秋の箱根駅伝予選会では28位とその道のりはまだ遠いが、今後のスカウト強化は欠かせない。2019年度末には選手寮が完成する予定で、上野監督は「自分がこれからスカウトする選手は、基本的には全員が寮に入ることになります。1つずつ積み上げていって、予選会で着実に順位を上げていきたいですね」と意気込む。

「今は土台を作っている段階で、3月の立川ハーフがまずは最初のレースになります。この2ヶ月、彼らの練習を見てきて感じたのは、今まで彼らは“できそうな練習”を継続してきたということです。でも、クリアできそうな目標よりも2段階3段階の上の目標を立てて、練習からどんどんチャレンジしていこうという気持ちや姿勢が必要だと感じています」

「「走ることは、夢を見ること」頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと」の画像
©︎2019 Sushiman Photography

監督の目から見て、一般受験を経て入学した多くの立教大の学生は「自分で考える能力や応用力がある」。あとは1つ1つの練習をしっかりとこなして「自信をつけていくことが重要」だと説く。

今回のインタビューの最後に、“上野監督にとって走ることとは何か?”という問いをぶつけた。

「自分にとって走ることは“夢を見ること”です。自分が若い時から夢を持って競技をやってきて、途中で新しい夢ができて、1つ1つの夢に向かってやっていくことで、次の夢へと繋がっていきました。立教大の選手には、自分の夢を持って競技に取り組んで欲しいと思っています」

指導者としてのスタートを切った新人監督は、また新たな夢を見ていることだろう。立教大のグラウンドに咲く梅の木のように、今後、多くの花となり得る選手たちを咲かせることができるだろうか。立教大にとっても、そして上野監督にとっても楽しみな春がこれから始まる。

「「走ることは、夢を見ること」頂点を経験した上野裕一郎氏が次世代に伝えたいこと」の画像
©︎2019 Sushiman Photography

上野 裕一郎(うえの ゆういちろう)1985年7月29日生まれ、長野県出身。立教大学陸上競技部男子駅伝監督。佐久長聖高 - 中央大 - エスビー食品 - DeNAにてトラック種目・駅伝で活躍。2009年日本選手権で1500mと5000mの2冠を達成し、同年のベルリン世界選手権の5000mに日本代表として出場。2018年11月末にDeNAを退団し、同年12月1日付で立教大学陸上競技部男子駅伝監督に就任。