【少年野球2.0】ポニーリーグの理念に沿って「楽しく勝つ野球」を目指す、上原正吾監督|沖縄中央ポニー

上原正吾氏は、41歳。沖縄中央ポニーの監督。ポニーリーグは日本の少年野球では子供を守るためのユニークなルールや仕組みを導入して注目されている。上原氏に指導者としての考え方を聞いた。

高校を出て「野球の楽しさ」に目覚める

小中学校では普通に軟式野球をしていました。本格的に野球を始めたのは、浦添商に入ってからです。当時、沖縄では沖縄水産や興南高の二強時代から那覇商、浦添商など商業高校が強くなった時代でした。僕が1年生の時の3年の代と、3年の時の1年の代が甲子園に出ましたが、僕は出ることができませんでした。
野球を続けたのは、父親の影響です。まるで星一徹のようで、家へ帰っても家の前で素振りを300回しなければ、中に入れてもらえませんでした。高校で野球を続けたのも「やめたい」と父に言う勇気がなかったからかもしれません。
だから、高校までは野球をやっても「楽しい」と思ったことはありませんでした。卒業して仲間と草野球を始めて「野球って楽しいんだ」と思いました。それから「楽しむ野球」を続けてきました。

長男のために指導者になる

21歳で長男が生まれました。僕は強制する気はなかったのですが、野球を楽しそうにする僕の姿を見て、自然と長男も野球をするようになりました。僕の時とはずいぶん違います。
団地に住んでいましたが、長男は体が大きくて目立っていたので、小1のときから、近くの学童野球チームに誘われて入団しました。
3、4年になって試合に出始めたので、本格的にサポートしようと、僕自身が土日に休みがいただける会社に転職し、学童野球のコーチにもなりました。

そして中学になって、長男が近所の沖縄ダイヤモンドポニーに入団したので僕もコーチになりました。ポニーリーグを選んだのはたまたまです。
浦添ボーイズの監督は元西武の親富祖弘也さんでした。親富祖さんは小さいころから知っていたので誘われました。また沖縄ダイヤモンドの比嘉良智さんは、沖縄出身としては初めてドラフト1位でロッテに入団した人です。この方も親しかったのですが、長男の意向で比嘉さんの沖縄ダイヤモンドポニーに入団しました。
長男が2年の時に、比嘉さんが監督を退任されたので、僕が監督になりました。
そして2年前に沖縄ダイヤモンドポニーから分離して沖縄中央ポニーを設立し、監督になりました。

ユニークなポニーリーグの理念

ポニーリーグの考え方は、
「野球は試合に出て覚えましょう」が基本です。「白い練習着のまま野球をする」という考え方がありません。
うまい子も、下手な子も、みんな試合に出て覚えましょう、マウンドに立って覚えましょうというのが、基本です。
そして、一般的な大会は、リーグ戦になっています。
トーナメント大会だと、1試合負ければそれでおしまいですが、リーグ戦は負けても気持ちを切り替えて明日頑張ろうということになります。
失敗しても次にチャンスがあるから思い切って野球ができのだと思います。
 
それからリエントリー制度。これを初めて知った時は衝撃でした。
リエントリー制度では、一度試合から退いた選手を「スタメンの9人に限り、投手以外のポジションへ」何度も使うことができます。足は速いけど守備や打撃が今一つの子供、打撃はいいけど足が遅い子供なども、自分の長所を活かして試合に出続けることができます。チャンスを与えることができます。
この話をすると、親御さんも「そんな野球もあるの?」と興味を持ってくれます。
 
またポニーでは、12名で1チームを作ります。24名いればA,Bの2チームで試合に出場します。これも「試合に出る」ことが基本という考え方からです。ベンチで応援するだけの子供はポニーにはいません。

親にも丁寧に説明する

ポニーの理念はあまり知られていないので、親御さんの中にも、戸惑う人がいます。新1年生に説明するときは
「うちのリーグはこういう風にやっています」と話します。言葉で言うだけでは伝わりにくいので、ポニーリーグの本部にお願いしてガイドブックを作成してもらいました。ポニーの歴史や考え方をこの冊子を使って説明しています。
親御さんには「ここ(ポニー)で野球のピークを持ってくる気はありません」と話します。
入ってきた子は全員、高校までプレーをしてほしいし、怪我がないように注意しています。痛そうにしていたら、無理をさせずに休ませます。

沖縄でも深刻な「野球離れ」

全国的にはポニーリーグの選手、チームは増えているようですが、沖縄では6年前に6チームあったのが今では3つになっています。沖縄県としては最近、宮古島に1チームで来たので4つです。

野球は沖縄県でもする子供が減っています。那覇地区では、学童野球では1学年で9人そろわないので、合同チームが多く見受けられるようになっています。
お母さんたちが野球を嫌いなのは、監督やコーチが怒鳴りすぎるし、朝から晩までやっているからだといいます。いまだに沖縄の現状はそうなんです。
変わって人気があるのがバスケットボール。Bリーグの琉球ゴールデンキングスは、試合のチケットが取れないほど人気です。
ポニーリーグの野球が普及すれば、野球人口も増えていくと思います。

工夫と意識改革で他流試合でも好成績

ポニーリーグ同士の試合のほかに、ボーイズやヤングのチームとの他流試合もやりますが、結構成績を残しています。最近、練習試合で沖縄のボーイズリーグのベスト4のチームといい勝負をしました。
うちのチームは練習時間も短いですが、「量より質」の工夫をしています。
最近、打者のスイングスピードや打球の速度も計測できるスピードガンを買ってもらいました。それで毎月子供のスイングを測定しています。面白いのは、スイングスピードが一番の子が、打球速度も一番とは限らないということです。スイングが早くても、しっかりボールをとらえなければ、打球速度は上がらないんです。
それをランキングにして張り出したら、みんな競争するようになりました。
それから、チームで「整理整頓しよう」と呼びかけたこともあります。整理整頓できるようになったら、野球も勝てるようになりました。
そういう小さな成功体験を積み重ねていくことが大事だと思います。
選手は最低でも3つのポジションが守れるようにしています。人数が少ないからですが、これもいい経験になっています。

工夫と意識改革で他流試合でも好成績

僕を野球指導者の道に導いてくれた長男の上原敦己は、熊本の秀岳館高校を出て、今年から四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでプレーします。ポジションは内野と捕手。厳しい道ですが、NPBを目指してチャレンジします。
僕の父は、「まさかお前が監督をするなんて」と驚いています。父とは全く違う指導法ですが、孫の挑戦を喜んでいます。

これからもポニーリーグの野球を沖縄に広めていきたいですね。

(取材・写真:広尾晃)