赤鬼スタンカさん死去 外国人初の100勝投手 張本氏&王さんが故人偲ぶ
南海(現ソフトバンク)などでプレーし、1964年にシーズンと日本シリーズでMVPに輝いたジョー・スタンカ氏が死去したことが19日、分かった。米国現地メディアの報道などによると、15日夜(日本時間16日)、テキサス州ケイティ市で死去した。87歳。死因は分かっていない。

オクラホマ農工大(現オクラホマ州立大)からドジャースなどマイナー球団を経て、59年ホワイトソックスで大リーグ昇格。2試合に投げ1勝。鶴岡一人監督が熱望して60年、南海に入団した。
異名は「赤鬼」。1メートル96とも98とも言われる長身から投げ下ろす速球とカーブ、シンカーで大洋(現DeNA)に移籍した66年まで7年間で264試合に投げ外国人投手初の100勝を挙げた。
61年、巨人との日本シリーズ第4戦では1点リードの9回2死満塁で追い込んでからの直球を円城寺満球審にボールと判定されたのに激高。後に逆転サヨナラ負けを喫し「円城寺 あれがボールか 秋の空」と川柳が詠まれ、語り草となった。
64年には26勝でリーグMVP。阪神との日本シリーズでも3完封でMVPを受賞した。
▼張本勲氏(東映時代に対戦。スポニチ本紙評論家)懐かしいねえ。87歳か…。巨漢でね。上から重たいボールを投げてきて、闘争心のある投手だった。一度、大阪球場で乱闘になりそうになったこともある。私が2安打ぐらいしていて、次に体の近くにボールが来た。文句を言ったら、言い返されて…。野村さんが止めてくれたんで乱闘にはならなかったけど。気質も日本人のようで、義理人情に厚い男だった。彼が引退した後、鶴岡監督がアメリカに旅行に行った。「スタンカに会いたい」と訪れたら、彼は抱きついて大泣きしたと聞いたことがある。
▼ソフトバンク・王貞治球団会長 背の大きい人だった。静かだけど中に秘めた闘志があった。