「自分らしく走るため」プロになった下門美春選手が孤独と戦う理由
(写真 Eliana)
今年5月に、プロに転向した下門美春選手。
7月のゴールドコーストマラソンでは、早速、プロとして結果を出す。2時間29分38秒のタイムで、4位(日本人1位)となった。9月には、米国のランニング専門店市場でシェア・ナンバーワンを誇る『ブルックス』と、カリフォルニア発のソックスブランド『スタンス』との契約を結んだ。目下、2020年東京オリンピックのマラソン代表を目指し、トレーニングに打ち込んでいる。
ただ、競技者人生は、決して平たんではなかった。一時期、陸上から離れ、フリーター生活を送っていたことも。駅ナカでの呼び込みも経験した。しかし、その期間が、下門選手を、競技者のみならず、人としても成長させる。愛らしいルックスと、陸上選手らしからぬファッションセンスで、華やかなイメージがある下門選手だが、その裏には、挫折を乗り越えた強さがあるのだ。
来年9月に行われるMGC(マラソン・グランド・チャンピオンシップ、東京オリンピックの選考会)の出場権がかかるアムステルダムマラソン(10月21日)が迫るある日、下門選手にじっくり話を聞いた。
自ら競技人生に終止符を打つも、不完全燃焼だったと気付く
順風満帆―。下門選手のアスリート人生は、これそのものだった。
中学時代は、ソフトボール部に所属し駅伝チームに駆り出された。高校は、その脚力を見込まれ、全国高校駅伝の常連校として知られる、栃木・那須拓陽高へ(先輩には女子マラソンで日本歴代2位の記録保持者・渋井陽子さんがいる)。都道府県対抗女子駅伝にも出場した。高校を卒業すると、実業団の第一生命に入社。3年目の2011年には、第31回全日本実業団女子駅伝で優勝の美酒を味わう。自己記録を順調に伸ばしていた下門選手は、ゆくゆくはエース区間を、とチームから期待をかけられていた。
ところがそんな中、入社4年目を前に、陸上生活に別れを告げる。何があったのか?下門選手は、その時の心境をこう語る。
「確かに競技者生活は順調でした。チームの雰囲気も良かったですし、コーチとのコミュニケーションもうまく取れていました。その一方で、朝練習からひたすら追い込む毎日の繰り返し。だんだんと息が詰まってきて……。それでも、同僚の選手に負けたくないと、朝は1時間前から自主的に体を動かしていましたが、しまいには、朝が来るのが怖くなってしまったんです。体重管理も厳しかったですね。それと、目に見えないプレッシャーが、私にはきつかった。第一生命は、マラソンでも駅伝でも実績を残していたので、選手は結果を出すのが当たり前、だったんです」
競技者という鎧を脱いだ下門選手は、しばらくは解放感に浸った。
テレビでマラソンや駅伝を見ることもなかった。だが、陸上をやめて1年が過ぎた頃、「自分の体を持て余している感じがするようになった」という。
ハーフマラソンで日本歴代3位の記録を持つ、コニカミノルタの宇賀地強選手と話をする機会があったのは、そんな時だった。練習ではとことんまで自分に挑んでいる、と聞かされた下門選手は、第一生命時代を振り返り、もっとできたのでは…という思いに駆られた。
「与えられたメニューをこなすので精一杯だったところはありますが、自分で工夫することがなかったので…マンネリ感があったのは、ただこなしていただけだったからかもしれません」
自分らしく走れなければ、復帰した意味がない
再び陸上への情熱が頭をもたげてきた下門選手は、その年(2013年)11月の東日本女子駅伝に、栃木チームのスタッフとして帯同。大会で再会した第一生命の山下佐知子監督(日本陸上競技連盟・2020年東京オリンピックナショナルチーム女子強化コーチ担当)の理解を得て、しまむらに移籍という形で、2014年の春に復帰した。
とはいえ、ブランクを取り戻すのは生半可なことではなかった。走っていなかった約2年の間に、体重は15㎏も増え、筋力も落ちていた。下門選手は、全体練習の後も1人で黙々と走り、時に5時間、バイクを漕ぎ続けた。
「もう必死でしたね。会社からは、秋の段階でしっかり走れる状態でなければ、翌年の契約はない、と言われていたので」
まともに走れるようになるまで、4か月近くを要したが、秋口の記録会では、5000mを15分台で走り、完全復活を印象づける。駅伝の表舞台へも返り咲いた。
しまむらでカムバックを果たした下門選手は、マラソンへの挑戦を始める。2016年の青梅マラソン(30キロ)の女子総合で優勝を果たすと、2017年の第6回大会名古屋ウィメンズマラソンでは6位と健闘。マラソンに専念するため、その年からニトリへと移った。
だが、やがて、組織の一員であることにジレンマを感じるようになり、「チームという枠組みを超えて勝負したい」という気持ちがふくらんでくる。
「なんのために復帰したのか…と考えるようになって、〝自分らしく〟走れなければ、復帰した意味がない、と」
自分らしくあるために、下門選手はプロになることを決断した。「年齢的にも今しかない、というのもありました」。
飛び込んだプロの世界は、予期していた通り、とてもシビアだった。レースで結果を出さなければ、金銭は得られず、スポンサーも獲得できない。
「実業団では、たとえケガで走れなくてもお給料がもらえました。遠征では、チケットや宿泊の手配まで全て、やってもらっていましたし。離れてみて、いかに手厚くサポートされていたか、よくわかりました」
コーチを持たない下門選手は、練習メニューも自分で考える。それは、自分しか知り得ないコンディションに応じたトレーニングができるメリットはあるものの、孤独との戦いだ。「気がついたら、3日間、誰とも話さなかったこともあります(苦笑)」。
スピード練習で、1000メートルを10本走る時は、妥協してもいいんだよ、という〝悪魔のささやき〟も聞こえてくる。
プロは自立していなければ、やっていけないところだ。
「フリーターだった2年間がなかったら、果たしてどうだったか……陸上を一度やめたことは、1つの挫折でしたが、それがあったから、自分の意志で走りたい、と思うようになり、競技の世界とは違うところに身を置いたことで、社会性も身に付いた気がします」
ちなみにフリーター時代に、下門選手がやっていた上野の駅ナカの呼び込みは、面接に合格したのが42人中で6人という、狭き門だった。業務に就いてからも「1か月に1度は、声の出し方から笑顔の作り方まで、厳しくチェックされました」。そう、プロであることを求められたのだ。
ただし、ストイック過ぎては息が詰まる。だから、プロランナーとなった今は、オンとオフはしっかり切り替える。下門選手は「日常生活の時と、練習の時では全く人格が変わります。ふだんはわりといい加減ですが(笑)、ランニングウェアになると、スイッチが入るんです」と言う。
ボストンマラソンで感じた歴史ある大会の魅力
プロとして結果を追い求める一方で、下門選手には、ただ泥臭く結果にこだわるだけでは……という思いもある。
「女性アスリートならではの輝き方、があるのではと思います。結果はもちろん大切ですが、それ一辺倒なら、男性と変わらない。女性は、美しくありたい、というのが許されるので、華やかな存在でいたいのです」
たとえば、取材日の下門選手は、さり気なく、流行りのブランドのパーカーに身を包んでいた。そして、ランニングウェアになっての撮影では、アスリートとしての存在感を醸し出しながらも、足元にはアクセントを。女性ならかわいいと感じるピンク色のブルックスのシューズを履き、その色に合ったスタンスのソックスをチョイスしていた。
もっとも、見た目にこだわるのであれば、結果が伴わなければならない。下門選手は「プロとして、応援される存在になるには、両方が必要だと思っています」。
10月21日のアムステルダムマラソンは、下門選手にとって3回目の海外レースになる。初めての海外レースは2016年のボストン(この時は女子で日本人最上位の12位)。力走する中で、1897年(明治30年)創立と、歴史あるこの大会の魅力に触れたという。
「応援がお祭りのようでした。特にスタートから28キロほどのところの交差点では、四方八方からものすごい応援で…カウベルの音が響き渡っていました。これには元気づけられましたね。今年は川内優輝さんが優勝し、アメリカではずいぶん騒がれたようですが、実際にボストンを走ってみると、その意味がよくわかります。やはり、ボストンマラソンは特別な大会なのでしょう」
アムステルダムマラソンで、MGCの出場権を得るには、最低でも2時間26分22秒で走らなければならない。これは自己ベストを1分32秒上回るタイムだ。
ハードルは高いが、下門選手には気負いはない。数字にとらわれず、レースで勝つことを目標に、あくまでも自分らしい走りをするつもりだ。
下門美春(しもかど・みはる)1990年4月24日生まれ。栃木県出身。162cm。栃木・片岡中時代はソフトボール部に所属し、栃木県立那須拓陽高校で本格的に陸上を始める。2年、3年時は全国高校駅伝に出場。高校卒業後、第一生命に入社し、2011年の第31回全日本実業団女子駅伝で優勝を経験。翌年退社し、約2年間のフリーター生活を経て、2014年にしまむらに移籍。2017年よりマラソンに専念するためニトリへ。今年2018年5月にプロに転向し、7月のゴールドコーストマラソンでは4位と健闘(日本人1位)。9月には「ブルックス」、「スタンス」と契約した。PB:10000m 33’04” /ハーフ 1°11’48” /フルマラソン2°27’54”
サポート
シューズ: BLOOKS
ソックス: STANCE
ネックレス/ブレスレット: SEV
アイウェア: BLIZ
マネージメント契約: セブスポーツ
・シューズ
Road: BROOKS LAUNCH5 /Race: BROOKS HYPERION・ウォッチ
SEIKO Superrunners EX/ GARMIN・イヤホン
走るときは音楽なし/普段はBeats・好きなランニングコース
彩湖道満グリーンパーク周辺 −信号が無く止まらずに走れるから−・好きな音楽(練習前、試合前)
Let’s take it someday/ONE OK ROCK
ピースサイン/米津玄師
在るべき形 /UVERworld
フロントメモリー/鈴木瑛美子 & 亀田誠治
This Is Me/Keala Settle