【習志野】小林徹監督「子どもの頃は『競技』よりも『遊び』の野球でいい」

2011年夏の甲子園ではベスト8に進出し、今月23日に開幕するセンバツにも10年ぶりに出場する市立習志野高校。千葉県内の公立校では常に安定して上位進出を果たしている伝統校で、迫力あるブラスバンドの応援でも知られています。自身も同校のOBであり、市立船橋の監督時代には3年連続夏の甲子園出場経験もある小林徹監督に学童野球、中学野球についてお話を聞きました。

子どもの頃は「競技」よりも「遊び」の野球

――まず野球をやる子ども達にこういうことを大事にしてほしいというものはありますか?
「まずはスポーツ、競技としてとらえずに、野球を“遊び道具”として遊んでもらいたいですね。今の若い方と僕はジェネレーションギャップがありますけど、僕たちが子どもの頃は3人しかいなければ3人で野球をしたんですよ。そうなると18人でやる野球とは違うルールを作らないといけない。ルールを作るには創造性が必要になる。そうやっていくことで単純な技術ではない感性、センスが養われると思うんです。そういうものが子どもの間は一番大事だと思いますね」

――今、子どもの野球人口が減っているとよく言われていますが、その点についてはどう感じられていますか?
「これは自然の流れかなとは思います。子どもの数は減っている。一方でスポーツでも他の選択肢が増えている。また競技として野球をやろうとすると道具が多くてお金もかかる。今までが野球(をする子ども)が多すぎたのであって、現在の流れはごくごく自然なことではないのでしょうか。
そんな中でも野球を選ぶような子どもはまず自分が得意だと思える子だと思うんですよね。他の子より上手にできる、その分野でヒーローになれる、そう思えたら続けたくなるじゃないですか。だからこそ入り口のところでは遊びから入って、優越感が持てるようになることが重要じゃないですかね」

――最初は遊びとのことですが、だんだん競技としてチームに入っていく中で大事だと思われるポイントがあればお願いします。
「たまに少年野球や中学校の指導者と高野連のイベントなどでお会いすることもあるのですが、野球自体も多様化しているなと思います。
中学の軟式のチームは人数が減っている、一方でトップレベルと呼ばれるような選手が出るようなチームは多くの選手がいる。仕方のない部分はあると思うんですけど、やっぱり試合に出ることが大事だと思います。子どもの頃に補欠で全く試合に出られないような経験をしてしまうと、なかなか野球が面白い、続けたいと思わないだろうなと。
繰り返しになりますけど、子どもの頃はそういう試合もある程度遊びの中でやればいいと思うんです。下手だと気づいても遊びだったら笑って終わるじゃないですか。野球が下手だからって別に何かを否定されるわけじゃない。他に得意なことを見つけてもいいし、下手だと気づくことで頑張ることもある。試合に出ないことにはそれも気づけないんじゃないですかね。
最初から規格を固めすぎてしまわないような環境があるといいと思います。ただ僕には(小さい年代の)子どもに野球を教えた経験もないですし、実際はどのようにすればいいかというのは本当に難しいですね」

色んな選択肢を与えてあげて、子どもが選んだものをやればいい

――監督が実際に高校に入ってくる選手を指導するうえで心がけていること、気をつけていることはどんなことでしょうか?
「(高校1年生の)15歳でも長い子は10年近いキャリアがあるので、それを否定するようなことはしません。体格も経験も違いますから、まずとにかく選手をよく見ることを重視しています。他人と違うと否定したくなるかもしれませんが、選手は全員特徴が違いますから。
あとはこちらで見た感覚、イメージと本人の感覚をすり合わせていく。『こっちが見てるとこう見えるんだけど、自分の中ではどうなの?』と聞いたりして、共通認識を持って、それを増やしていくことですね。高校生くらいだと言葉も伝わりやすいですし、僕でも何とかサポートできるかなという思いでやってますね。それに比べると小さい子どもを教えるのはより難しいと思います」

――野球をやっている、野球をこれからやろうとしている子どもを持つ保護者の方に対して伝えたいことなどはありますか?
「僕は息子がいるんですけど、5歳くらいの時に祖父である自分の父親がグラブを買い与えたんですね。それで近所の公園で近くから『捕ってごらん』と軽くボールを投げたんですけど、2球目に顔にぶつけて泣いたんですよ。それからは無理に野球をやらせませんでしたし、本人も野球に興味を示さなかったので結局野球はやりませんでした。逆に言うと自分も野球をやらされたつもりもありません。親としてはレールを敷いてあげることもいいと思いますけど、色んな選択肢を与えてあげて、その中で子どもが選んだものをやればいいんじゃないですかね。
環境が許すのであれば野球に限らず他のことでもまずは色んな選択肢を示してあげる。それである程度やっても本人がやりたいと思わないのであれば辞めるのもありだと思います。
以前、外国人のプロ野球選手でも引退した後に大学の医学部に戻って医者になったっていう話もありましたよね。特化を早くし過ぎるのではなく、色んな経験をしてそういう例が日本でも出てくるといいと思いますね」

貴重なお話、ありがとうございました!

(取材:西尾典文/写真:小沢朋範)

小林徹監督プロフィール

1962年生まれ。習志野高校3年時にエースとして夏の甲子園に出場し、青山学院大でも投手として活躍。1991年に市立船橋の監督に就任すると、1995年からは3年連続で夏の甲子園出場を果たすなど同校を強豪に押し上げた。2008年に母校である習志野の監督に就任し2009年春、2011年夏に甲子園出場。昨年秋の関東大会でベスト4に進出し、今春のセンバツにも出場する。