【歴代番記者が語るイチロー】最初で最後の怒り顔に見た深い夫婦愛
◇イチロー引退

【幡 篤志】「弓子が朝から泣いていたんですよ。なぜだか分かりますか?」
イチロー担当広報から携帯に連絡が入った。「イチローが話があると言っているので青濤館まで来てくれない?」。2000年10月14日の朝だった。12日に、オリックスが神戸市内のホテルで、ポスティングシステムにかけメジャー球団と交渉することを発表した。13日は本拠地最終戦。試合後は数百人のファンと握手し、別れを惜しんだ翌日だった。
神戸市にあった合宿所、旧青濤館の応接室で待った。51番がソファに腰を掛けるなり口にしたのが「弓子」だった。
各方面から情報を集め特別取材班として「大リーグ挑戦の真相」連載を3回用意した。2回目で“球団が弓子夫人を通してメジャー挑戦を説得工作した”との記事を掲載した。
「なぜ、あんなウソを書いたんですか。訂正してください」
こんなに怒った顔を見たのは最初で最後。弓子夫人への深い愛情を見た瞬間でもあった。上司に相談し、翌日紙面で誤解を招いたことをわび、訂正した。
深夜の引退会見。「感謝の思いしかない。一番頑張ってくれたと思います。妻にはゆっくりしてもらいたい」と、語った。変わらぬ夫婦愛が、希代のスーパースターを誕生させたのだと思う。(00年オリックス、01~03年マリナーズ担当、大阪本社報道部長)