【昌平】野村ID野球の申し子が、創部初の甲子園出場を目指す(前編)
埼玉県には一昨年の夏に全国制覇を成し遂げた花咲徳栄を筆頭に、甲子園常連校である浦和学院や、今春のセンバツに出場した春日部共栄など歴史のある強豪私学が多い。その中で近年頭角を現しているのが昌平だ。昨夏は春日部共栄を破り、見事ベスト4にも進出。チームを指揮する黒坂洋介監督に話を伺った。
社会人時代に書いた“野村ノート”がバイブル
桜の木が綺麗な花を咲かせる4月上旬。校舎からほど近い宮代総合運動公園のグラウンドでは春休みに行われた関西遠征から帰ってきた選手たちが黙々と練習を行っていた。チームを率いるのは同校のOBであり、駒澤大学、シダックスで活躍した黒坂監督。大学時代は同学年の高橋尚成氏(元・巨人)や、一学年下の新井貴浩氏(元・広島)など錚々たる面々と汗を流した球歴を持つ。
「当時の東都リーグには専修大学に黒田博樹さん(元・広島)、青山学院に井口資仁さん(ロッテ監督)など凄い選手ばかり。僕も最初は投手で勝負しようと思っていたのですが試合に出ることはできませんでした。ですので、2年秋に自らの意思で勝手に外野手に転向しました。そこですぐさま結果を残したのが良かったんでしょうね。社会人でも野球を続けることができて、2003年からはあの野村克也監督から指導を受けることになりました」。

ID野球と称される緻密な野球論をミーティングで頭に叩き込む毎日。プロ野球の世界で長年活躍した野村監督の教えは、今でも黒坂監督のバイブルになっている。選手として晩年を迎えていたこともあり、ベンチでは野村監督の横に立ち配球チャートを記し、代名詞ともいえる“ボヤキ”に耳を立てた。
「ミーティングで書いたノートは基本的には現役引退と同時に回収されるのですが、母校の監督に就任する際に『指導をする上でぜひノートを使わせてください!』と野村監督にお願いをすると快く承諾してもらいました。野球だけではなく、『組織の在り方』や『成功哲学』、さらに女性とは、本当のバカとは、感性とは……などが記された『雑学』など。興味深いことばかり書かれたバイブルは、ミーティングや指導において今でも大事に使わせていただいています」。

2度目の監督就任で改めた指導スタイル

手慣れた様子でパソコンを扱い、選手たちとは肩を組んで会話をし、冗談を言い合う黒坂監督。しかし、今と違って昔は威厳を保とうと厳しく接していたという。指導スタイルが変わった理由はこうだ。
「実は監督に就任したのは2度目なのです。社会人野球引退後すぐ29歳で昌平(当時の高名は『東和大昌平』)の監督になりました。荒れていた部を立て直し、県大会ベスト8に進むなど結果を残したのですが、学校の運営方針が変わったこともあり、一度野球から離れました。その後、縁あって大学の先輩から紹介された不動産管理会社へ入社しました。それまで野球漬けの毎日だったので、ビジネス用語が飛び交うサラリーマンの現場はついていくのに必死でしたね。ビジネス参考書を漁り、パソコンの技能を習得する毎日でした。そして、ちょうどサラリーマン生活に慣れた頃に、息子の少年野球のコーチを務めることになったんです」。

幼い子どもたちに厳しい言葉をかけても委縮するだけで上達をする可能性は低い。だが、野球を楽しいと感じさえすればみるみるうちに上達していく。子どもたちの成長する姿を見て黒坂監督は「これが野球の原点」だと思ったという。
「私自身厳しい指導を受けた世代なので、指導者=厳しいという固定概念に縛られていたのかもしれません。それに30歳の頃はまだ選手たちに負けない体力がありました。だから余計に『なんでできないんだ!』と憤りを感じていました。でも、それは私のエゴを押しつけていただけです。選手と対話をし、彼らの要望を聞くことが上達のカギを握っていると少年野球の指導を経て私自身気づかされました」。
指導をする上で大事なモノに気づかされた時に2度目のオファーが舞い込んできた。学校の運営が再度変わり、軌道に乗り始め運動部にも力を入れるようになった。サッカー部を始め運動部が結果を残すようになった。「あとは野球部を残すだけ」。野球部の更なる強化には黒坂監督以上に適任者はいなかった。
二強の牙城を崩す 勝負のシーズンが始まる
2017年の7月から監督に再就任し、チームは黒坂監督が想像していた以上のスピードで成長している。エースの米山魁乙は関東を代表する左腕としてプロのスカウトから注目される存在となり、リードオフマンの千田泰智や、四番の渡邉翔大など下級生ながら昨年の夏を経験した選手も多い。昨年から寮生を迎える環境も整い、新1年生には県外からも有望な選手が集まった。
吉野創士もその一人だ。関東の名だたる野球部からの誘いを受けながらも昌平を選んだ彼は「黒坂監督の自主性を重んじる指導に惹かれました。昌平でこそ一番自分が成長できると思います」と笑顔で話す。

「個々のポテンシャルではまだまだ花咲徳栄さんに勝てないかもしれないですが、選手の考える力は日に日に増し、知識や技術に関しては引けを取らないと思います。僕も大学、社会人と高いレベルでプレーをさせていただきました。教えていることには自信も持っています。駒澤大学時代の太田誠監督からは1球、1プレーに対する勝負のこだわり、シダックス時代では野村監督から教わった1点の取り方や、勝つために必要な組織力の精度は上がっています。あとは自分たちを信じ、堂々と戦うだけです」
そう語る黒坂監督の表情からは現チームの完成度の高さが読み取れる。関西遠征ではセンバツ優勝経験のある奈良県の強豪智弁学園にも勝利した。平成の埼玉県の高校野球をリードしてきた花咲徳栄と浦和学院。二強の牙城を崩すシーズンはすでに始まっている。
後編では昌平野球部の練習や、特徴的な取り組みを紹介していきます。