【星稜】内山壮真キャプテン「今度こそ日本一になりたいんです」

準優勝した夏の甲子園からわずか2日。準優勝の余韻に浸る間もなく、内山壮真は早朝の星稜グラウンドにいた。新チームの初練習が、この日にスタートしたのだ。

「甲子園の決勝があって翌日に石川に帰ってきて、その翌日には新チームの練習が始まりました。あの頃は…いっぱいいっぱいという感じでした。キャプテンになってからは、何かをするというより、自分が何でも進んでやらないと、という気持ちでやってきました」。

先日のドラフト会議でヤクルトから1位指名を受けた奥川恭伸と同じく巨人から5位指名を受けた山瀬慎之助とのバッテリーが中心となり、前チームは昨秋の明治神宮大会では準優勝。センバツは2回戦で敗退したが、夏の甲子園は準優勝。そして茨城国体にも出場した。すべての全国大会を経験したチームからバトンを受けた内山は、1年生だった昨春から遊撃手のレギュラーで、下級生ながら好守でチームを支えてきた。

今夏の甲子園では準々決勝の仙台育英戦で2本のホームランを打ったことは記憶に新しい。ただ、それまでの2度の甲子園では苦い思い出しかないという。1年夏は3番、2年春は4番打者だった。だが「過去の大会は自分のバッティングが全然できなかったんです。でも、この夏ひとつの大会を通して自分のバッティングができたことは良かったです」。

172cm、72kgと決して体は大きい方ではない。だが、打席を見るたびにしっかり振り切れる力強いスイングが目を引く。全国優勝の経験を持つ父のもとで2歳から小学校5年生まで空手を続けてきた経歴があり、体幹は人一倍強い。俊敏性が高められたのも空手のお陰だと自負しながら、守り続けてきたポリシーもある。
「どのボールに対しても自分の形で振ることを心掛けています。自分の中で決めたスイングのかたち、感覚があるので、それをやり通せているかが結果に左右する。振り切るのもそうですが、インパクトまでの感覚を大事にしています。体を前に出したり後ろに残したり、ポイントも意識しながら振るようにしています」。

夏までは先輩がいる中でバットを振り続けてきたため、プレッシャーはほとんど感じなかったという。この秋からは最上級生になり、自分が引っ張らないといけないという責任感も生まれた。下級生時からチームの軸となった選手は、いざ最上級生になるとプレッシャーに押されて、秋は鳴かず飛ばず…という選手は過去に何度も見てきたが、内山はただシンプルに「思い切りやるだけ」と腹をくくった。その甲斐あってか、この秋の北信越大会は4試合で.470の打率を残した。ただ、自然と意識してしまうのは他校のライバルたちの動向だ。
「特に下級生時から試合に出ている小深田(=大地・履正社)や来田(=涼斗・明石商)はすごく意識しますね。この間、国体で話す機会があったんですけれど、あの2人は夏も結果を残していたし、やっぱり負けられない。秋の大会の結果とか、自然とチェックしてしまいます」。

そんな闘志を常に燃やしながらも、内山は滅多に感情を表に出さない。ピンチを抑えた時も、ホームランを打った時も。奥川と山瀬はピンチを抑えれば、ベンチに戻る時に必ずハイタッチをしていたが、この秋からマスクを被るようになった内山は、ピンチを切り抜けてもピッチャーとは全くそういうアクションすらしない。だが、これも内山のスタイルなのだ。クールかつ内に秘めた闘志をエネルギーにして、この秋も不動の北陸王者となった。
「自分が活躍するかで、チームが勝ち進んでいくかが決まると思います。夏までのチームも一番経験のあった奥川さんが活躍してあそこまで勝ち進めたし、夏の甲子園で準優勝できた。打つ方は内容も大事ですが、結果にはこだわっていきたいです」。

試合中は常にチームのことを考え、時には自分のことを犠牲にする時もあるが、練習では、グラウンドに立てば自分が先頭に立つと言わんばかりに常に大きな声を出す。特に試合前日は不安な時ほど気が済むまでバットを振り続けてきた。「やれることはやって試合に臨んできた」(本人)とチームの柱が自負してきたからこそ、星稜の進撃は続いている。北信越大会で優勝したことでチームは3年連続のセンバツ出場が有力視されているが、同時に内山も4度目の甲子園出場もほぼ手中におさめている。だが、その瞬間も内山の表情はやはりクールなままだった。

「今度こそ日本一になりたいんです」。その言葉を胸に、まずは明治神宮大会、そして来春センバツと、奥川、山瀬らですら果たせなかった悲願へ、チーム一丸となって突き進む。(文・写真:沢井史)