【富島】私学に負けない強さを生む地域一体で取り組む食トレ

県内弱小校から瞬く間に急成長を遂げ、ここ数年で春と夏の甲子園初出場を経験した富島。その背景にあったのは保護者も一緒になって取り組んだ食トレだ。生徒と一緒に保護者も学ぶ効果は想像以上に大きなものだった。

短期間で急成長!宮崎屈指の強豪に

2018年春に悲願の甲子園初出場を果たした富島は、学校創立100年を超える宮崎県の公立校だ。硬式野球部は1948(昭和23)年に現校名に変更されると同時に誕生。長らく宮崎県1、2回戦を行ったり来たりする状態が続いたが、13年に宮崎商から転任した濵田登監督が就任すると状況が一変。08年に宮崎商を率いて夏の甲子園に出場するなど、濵田監督の手腕を知る近隣の中学生やその保護者が、実績を求めて続々と集まり、就任から1年半後に初の1年生大会優勝を果たす。

15年秋には九州大会に初出場し、翌春には公式戦で初めて宮崎県を制覇すると、2季連続で九州大会に進出した。17年秋には九州大会準優勝で翌春のセンバツ出場を掴み取り、19年には夏の初出場を達成している。

短期間で県屈指の強豪へと台頭した富島だが、その背景には濵田監督が宮崎商時代から取り組んでいる食トレの効果がある。それも、ただ必要な栄養を摂取しているだけのものではない。

濵田監督が「私学に勝つためには独自性を打ち出していかないと」という富島ならではの強みが加味されているのだ。

「毎年4〜5月に専門の方に来ていただき、全学年の部員と保護者に向けた講習会を行ないます。内容は毎年一緒ですが、家庭ごとに1年、2年と食トレを経験していくなかで、同じ話であっても受け止め方が違ってきます。そこでは朝、昼、夜はこういう食事が必要、寝る前のこういうタイミングでこういうものを摂取した方がいい、という話をしていただきます」と語る濵田監督。

濵田登監督 1967年生まれ、宮崎県出身。宮崎商〜九州国際大。母校監督として2008年夏の甲子園に出場。同年ヤクルトドラフト1位の赤川克紀を育てた。富島転勤後は17年秋に九州大会準優勝。18年春、19年夏に甲子園へと導いた。

保護者には、学業成績や練習内容を説明するために定例会を毎月実施しているのだが、この1年間はそこに専門の栄養士を招き、深い食トレの知識をつけてもらう機会を設けている。

「以前は生徒だけで食トレ講習会を行なっていましたが、受講した子供から保護者に詳細が伝わっていないこともありました。そこでまずは生徒向けの講習を練習オフ日の夕方に行ない、夜の定例前に保護者向けの話をしていただく。そのおかげで保護者も疑問に思ったことを直接質問できるようになりました」。

濵田監督は強調する。

「平日の仕事終わりに、ほぼすべての保護者が集合できる。これも近隣の生徒たちばかりが集まる富島だから実現することであり、それが公立高校ならではの強みです」。

甲子園初勝利に向けて刷り込まれた食への意識

「食事面をいかに管理すればいいのか、何をどれぐらい食べればいいのか。いつ食べればいいのか。それをチーム単位で学べるということが、導入に踏み切った一番の理由です。我々が栄養指導できるようになるにはかなりの時間と労力を要します。それを専門家が直接管理、指導してくれるというのは、チーム運営上、とても助かっています」。

夏の宮崎大会では、試合中にベンチ内でアーモンドを口に運ぶ選手の姿があった。アーモンドには足がつることを防ぐ効果があるという。

選手が自主的に目的に合わせた栄養を摂取している姿を見て、選手たちの中には学んだ栄養学がしっかりと蓄積されていると濱田監督は実感した。

「チーム全員で取り組むことに大きな意味があると思っています。生徒や保護者、我々スタッフも含めてひとつになれる。食トレは保護者と生徒、生徒同士、保護者同士のコミュニケーションツールにもなりました」。

3度目の甲子園出場、そして学校悲願の聖地初勝利に向けて、宮崎に現われた公立の雄は食トレの成果を武器に、さらに前進を続けていく。(取材・文:加来慶祐/写真:上田章博)

宮崎県立富島高校
所在地 宮崎県日向市鶴町3-1-43
学校設立 1916年
直近の戦績 2019年夏・県大会優勝、全国高校野球選手権1回戦