【高校球児のための大学野球部ガイド】和歌山大学を紹介!

高校球児のための大学野球紹介も9校目!今回は国立大学ながら17年の秋に明治神宮大会でベスト8まで駆け上がり旋風を巻き起こした、和歌山大学硬式野球部を紹介!チームを率いる大原弘監督にお話を聞きました。

「考える野球」で大きく飛躍

和歌山大硬式野球部の名が全国に知れ渡ったのは17年の秋。明治神宮大会でベスト8まで駆け上がったシーズンだ。国立大で、決して有望な選手が集まる訳ではなく、練習環境や練習時間を十分に確保できない中、チームを土台から作り上げたのが大原弘監督だ。
「あの時は、全員が初めての神宮球場で“楽しいところに来たな”という感覚の中で試合をやっていましたね。初戦では岡山商科大の近藤くん(現東北楽天)ら150キロを超える投手がいましたが、ウチでの準備や分析への意識が強烈に定着していたと感じました」。

大原監督は、15年から「考える野球」を掲げてきた。
「一般的にパワーとパワーのぶつかり合いの野球をするチームが多い中、考えてやる野球のスタイルが当時の関西にはあまりなかったんです。実力のあるチームはパワーでぶつかれるが、国立大学の野球はそうはいかない。特に近学連(近畿学生学生野球連盟)は国立大学が多いので、考えてプレーできるチーム作りをしたかったんです」。

綿密なデータ解析や、その時々に起こりうる事象を頭に入れながら、ひとつひとつのプレーを普段の練習からしっかり確認し、試合に生かす。高校野球では、いわゆる“パワー野球”をやって来た選手が実際はほとんどだが、考えながらやる野球は実に奥が深く「こういう野球をやりたかった、という選手が実は多い」と大原監督は言う。「ウチがやっている野球は高校野球を経た子なら、出来ない子はいないです。実際にパワーヒッターを揃えるよりも、2打数1安打1犠打の子が並んでいる方が試合では勝てる確率は高いんですよ」。

大原監督は和歌山の古豪・桐蔭高出身。京産大に進学後も在学中に練習の手伝いに出向くなど、常に地元に密着しながら野球に携わってきた。一般企業や塾の講師をする傍らで、母校では選手らの目線になって指導を重ねてきた。昨年急逝した竹中雅彦氏(日本高野連前事務局長)は桐蔭高校の恩師で「数あるスポーツがある中で野球を選んでくれた子どもたちを、指導者はもっと大切にしてあげてほしい」という竹中氏の言葉は遺言として常に胸に刻みながらグラウンドに立っている。
「今、行き過ぎたやり方で処分を受けている指導者のニュースを目にしますが、そういった指導者は引き出しがないところもあると思います。ウチではユニホーム、練習着を着てグラウンドにいる以上は全員がやる気があると思っています。ただ“野球をやりたい”という動機には強弱があります。動機が沈んだ子にどうアプローチできるかが指導者の腕だと思いますね」。

今では80人近くの部員を抱える大所帯となったが、かつては4学年で40人ほどの時期もあった。それでも指揮官は選手の表情をしっかりと見届けて、グラウンドでは必ず声を掛ける。時には冗談も交えて笑いを取り、選手たちの心をほぐすようにしていた。

初めは7人だった、高校生向けの練習会

全体練習ができるのは週に2度。両翼が70メートルほどの狭いグラウンド後方には、曜日によってはアメフト部が練習しており、外野ノックはできない。平日は授業を終えて選手らが集まってくるのは16時半ごろ。授業が早く終わった選手が先にアップを済ませて各自で準備をしたうえで全体練習を待つが、大原監督はある部分に着目していた。
「野球ほど無駄な練習の多いスポーツはないなと思ったんです。リーグ戦近くなると打撃練習は自主練習にして、全員が集まる時は全員でしかできない練習を優先します。先に集まった選手から順次アップをして、4時半からの全体スタートの時に全体練習をやる。空き時間をどう詰めていくかがテーマです。全員で同じ練習をしても1人ずつ置かれている状況は違うし、全員が同じスタートラインに立っている訳ではない。レギュラー選手と1年生の試合経験の浅い選手は同じスタートラインではないですから。自分の立ち位置をしっかり見る。そこから始めますね。そうすることでレギュラーとレギュラーではない選手の差が埋まっていくと思うんです」。

和歌山大硬式野球部の部員が増えたきっかけのひとつに「練習会」がある。国公立大で野球をやるとなると、一般的には東大や京大などの名前が挙がる。「これまではそういった第一志望の大学に行けなかった学生が、“じゃあ野球をやりながら和歌山大に行くか”という感覚で入学していました」と大原監督。練習会を開催するようになったのは10年前。大原監督の提案だったが、当時のキャプテンに「ウチは私立じゃないし、いい選手が来る訳でもないので練習会をやっても意味がないですよ」と苦笑されたことがあった。だが、そこで大原監督はこう言った。
「それは違うんやで。考え方や。こちらがセレクトするんじゃなくて、向こうからセレクトしてもらうんや。選択肢に入れてもらうきっかけになることをやろうや」。

1年目の参加者は7人だった。だが、大原監督のスタンスを見聞きした高校生たちが次第に惹かれていき、今では北海道から沖縄まで60人近くの高校生が練習会に来るようになった。そのスタンスとは何なのか。
「ウチではやらされる練習は一切しません。与えられた環境でどう頑張るか考えながらやっていこうと。もちろんリーグ戦で勝つことを前提で頑張りますが、教えることは野球だけではないです。大学での4年間は社会に出る前の4年間と意識して指導しているので、大学を出る時は社会人5年生の気持ちでやって欲しいんです。もちろん、それだけのことをこちらもこの4年間で教えるつもりです。社会の組織は基本的には年功序列になっています。プレーになれば先輩後輩は関係ないけれど、チーム作りに関しては、3、4回生が頑張ってもらわないといけない。リーグ戦で下級生が出ている中でも上級生が精神的支柱になる選手が必要。大人の世界なら物事の考えはこうなるよね、ということも含めて、考えながらやっていきます」。

グラウンドの雰囲気は実になごやかで、殺伐とした空気は全くない。今では第一志望で「和歌山大で野球をやりたい」という選手が急増したのは「とてもありがたいです」と指揮官は笑みをこぼす。

去年は春も秋もあと1歩のところでリーグ優勝を逃した。「3年前(の神宮大会8強)を実際に肌で感じたのは今年の新4年生のみ。そろそろそういう経験を在学している子たちにさせてあげなければ」。縛られない将来を見据えたタイルが、今の学生たちの心を掴み、そして進撃を支える和歌山大。もう、“国公立大だから”“環境面が恵まれていないから”という考えは古いのかもしれない。(取材・文/写真:沢井史)
 
次回はチームをまとめる「二田幸洋主将のインタビュー」をお届けします。