【脱・流れ論】野球の「流れ」を再考する(1)
1月に紹介した「野球に“流れ”は本当にあるのか? 大学准教授が研究!?」で大きな反響を呼んだ「野球の流れ」に関する研究。鹿児島大学の榊原良太准教授に、今回からシリーズでより詳しく紹介していただきます!
「野球は流れのスポーツである」。この言葉に賛同する野球人は多いのではないでしょうか。プロ野球や高校野球の試合を観ていても、実況や解説の方がしきりに「流れ」という言葉を使いますし、選手や監督が試合の「流れ」に言及することも少なくありません。実際、1つのプレーから一気に形勢が逆転する展開を目の当たりにして、「流れ」の恐ろしさを感じることもあるでしょう。もはや「流れ」は、野球を語る上では欠かせない存在と言えるのかもしれません。
ところで、もしも今、「実は流れなんてものは存在しない」と言われたらどうしますか?「ああ、やっぱりそうだよね」と思う人はおそらく少ないでしょう。多くの人が「そんなわけはない、流れは存在するに決まっている」と、少しの怒りとともに反論するのではないでしょうか。
しかし、後々ご紹介するように、野球の「流れ」は、多くの人が思うほど「絶対に存在する」ものではなさそうです。むしろ、「流れは存在しない」という意見が正しい可能性すらあるかもしれません。「ワケのわからないことを言うな」「そんなの絶対に信じない」と思った人にこそ、ぜひこの記事を読んでいただければと思います。
この記事では、今までの常識や個人の見解などにはとらわれず、できる限り客観的な、そして科学的な視点から、野球の「流れ」の存在について考えていきたいと思います。
そもそも「流れ」とは何なのか?
多くの人が「流れ」という言葉を使っていますが、いざそれが何なのかと問われると、うまく説明するのは難しいのではないでしょうか。「1つのプレーで雰囲気が変わるあの感じ」「チームが盛り上がったり、逆に落ち込んだりしたときに生まれるもの」「何をやってもうまくいく、あるいはうまくいかない状態」など、いろいろな表現の仕方があるかもしれません。100人いれば100通りの「流れ論」があると言っても過言ではないでしょう。
人によって「流れ」の見方、考え方が違うのは自然なことです。ただ、もし「流れとは何か」ということを本気で問うのであれば、ある程度の共通理解が得られる「流れ」の定義が必要となるでしょう。おのおのが自分の「流れ論」をもとに好き勝手言い合うだけでは、「流れ」の本質に迫ることはできなくなってしまいます。
それでは、「流れ」というものをどのように定義すればよいのでしょうか?まず、それが空気のように、たとえ目には見えなくとも、何らかの物質としてこの世に存在するかどうかを考えてみましょう。つまり、目には見えない「流れ」という物質が存在し、ときに選手のプレーを後押ししたり、逆に妨害したり、さらには審判の体内に入り込んで、判定に影響を与えたりする、という見方です。
おそらく、こういう意味で「流れ」という言葉を使っている人は、ほとんどいないでしょう。もちろん、「流れ」という物質がこの世に存在する可能性も0ではないのかもしれません。ただ、下手をするとオカルトのような話にもなりかねないので、この意味で「流れ」という言葉を使うのは、この記事では控えることにします。
そうなると、次に考えられるのは、「流れ」という物質は存在しないけれど、試合の状況や展開によって「何か」が変化し、その後のプレーや結果に影響を与えている、という見方です。たとえば、ダブルプレーは「流れ」を悪くすると言いますが、それはダブルプレーによって「何か」が変化し、後のプレーや結果に影響を与えるから、となります。おそらく、多くの人がこちらの意味で「流れ」という言葉を使っているのではないでしょうか。そして、ここで「何か」となっている部分で考えられるのは、「よし、いける!」「これはまずい、しまった…」といった、選手の心理的な要素、つまり「メンタル」ではないでしょうか。
なぜここで「メンタル」を想定するかと言えば、試合の状況や展開によって変化するものが、ほかには想定しづらいためです。ファインプレーやダブルプレーで「何か」が変わるといっても、ボールの大きさや塁間の距離はそのままですし、風向きがどちらかのチームに有利になるということもありません(偶然そうなることはありますが)。選手やチームの能力が上がるといっても、それが何を通して起きるかと言えば、ファインプレーやダブルプレーを見たり、経験したりして生まれる心の中の変化、つまり「メンタル」であると考えるのが自然です。もし「メンタル」を通さずに能力が上がるとなると、先ほどの物質としての「流れ」を想定することにもなりかねません(目を閉じて耳をふさいでベンチにいる選手の能力が、味方のファインプレーの後に上昇するか、を考えてもらえばわかりやすいと思います)。
少し長くなりましたが、ここまでの話を踏まえると、「流れ」とは、「試合状況や展開によるメンタルの変化によって、その後のプレーや試合の結果に影響が出ること」と定義できるかと思います。ちなみに、ここでは球場の雰囲気などもメンタルに含めています(球場の雰囲気も結局は心の変化を通して影響するものだからです)。もちろん、これが完璧な「流れ」の定義であるとは思っていませんし、もっと別の定義があるという意見もあると思います。ひとまずこの記事では「流れ」をこのように定義する、ということであって、定義のあり方自体も今後たくさん議論されるべきでしょう。
「メンタル上の流れ」と「結果上の流れ」
「流れ」の定義の中に、「メンタル」と「結果」という言葉が入っていますが、ここで1つ、重要な提案があります。それは、この2つの言葉を使って、「流れ」を「メンタル上の流れ」と「結果上の流れ」に分けるということです。どういうことかと言いますと、たとえばファインプレーがあったとき、多くの場合、味方選手の士気は高まり、「次の攻撃につながる!」というチームの良い雰囲気が生まれます。まさに「メンタル上の流れ」の存在を感じるわけです。一方で、実際にその後の攻撃で得点が入ったのか、また勝敗に何か影響を与えたのか、という点は、「メンタル上の流れ」とは別の話になります。これが「結果上の流れ」です。図で表すと以下のような関係になります。
メンタルと結果の2つに「流れ」を分けるのは、非常に重要だと思います。そもそも「メンタル上の流れ」は、間違いなく存在すると言えるでしょう。誰だってファインプレーがあれば喜びますし、エラーやバント失敗があれば落ち込みます。ピンチを三者三振で切り抜ければ、当然チームの雰囲気は良くなり、次の攻撃で点が取れそうな気もしてきます。一方で、こうした「メンタル上の流れ」が、実際にその後のプレーや結果に何か影響を与えるのか、つまり「結果上の流れ」が存在するのかについては、実際のデータを見てみないとわかりません。
この2つの違いを意識しておかないと、ときに議論がかみ合わないことがあります。ちょうど先日、「送りバントの効果」に関する記事が話題になりました。送りバントは得点の確率や期待値を下げるため、基本的にはあまり効果的な作戦ではない、という趣旨の内容です。この記事にはさまざまなコメントが寄せられていたのですが、その中には「流れ」に関するものも多くありました。たとえば「たしかに得点の確率や期待値を下げるかもしれないけど、流れの存在を踏まえると必ずしも効果がないとは言えない」といったものです。バントを決めるとチームの雰囲気が良くなる、ダブルプレーを回避することで相手に流れを渡さずに済む、ということなのでしょう。
ここで、メンタルと結果、2つの「流れ」を分けておかないと、バントの効果をめぐる議論がうまくいかなくなります。「結果上の流れ」を考えている人にとっては、「バントでチームの雰囲気が良くなろうと、ダブルプレーを回避できようと、得点の確率と期待値を下げているのであれば、バントは効果的な作戦とはいえないし、流れについて考えるのは無駄である」となるでしょう。しかし、「メンタル上の流れ」を考えている人にとっては、「たとえ得点の確率と期待値を下げるとしても、チームに流れをもたらし、相手に流れを渡さないのだから、効果がないとは言えない」となります。両者の主張は割れていますが、これはメンタルと結果、どちらの「流れ」を考えているかの違いによるものです。2つの「流れ」が混同したままでは、バントの効果について実りある議論はできないでしょう。こうした事態を避けるためにも、メンタルと結果、2つの「流れ」を区別しておく必要があるわけです。
どちらの「流れ」について考えていく必要があるのか?
それでは、メンタルと結果、どちらの「流れ」についてより考えていく必要があるのでしょうか?これは野球に携わるスタンスによっても変わってくると思いますが、ここでは「結果上の流れ」について、より考えていくべきだという立場を取りたいと思います。
先にも述べたように、「メンタル上の流れ」は、間違いなく存在すると言えます。いわば個人が「ある」と感じれば「ある」、それが「メンタル上の流れ」です。しかし、多くの野球人の関心は、そこにはないでしょう。そうではなく、「流れ」というものが、実際のプレーや勝敗にまで影響を及ぼすのか、そこが知りたいわけです。
たとえば今、「水曜日には打力が下がっていつもより打率が低くなる」という「水曜日の魔力」を信じてやまない選手たちがいたとしましょう。「水曜日の魔力」は、少なくともそれを信じている選手たちにとっては存在するものであって、その意味では「メンタル上の流れ」と同じです。しかし、実際に彼らの打率を見てみると、曜日による違いは全くないことがわかったとします。あなたは彼らにどのようなアドバイスをするでしょうか?おそらく、「データ上は水曜日の魔力なんてないんだから、曜日なんて気にしなくていい」とアドバイスするのではないでしょうか。
「流れ」も同じで、「メンタル上の流れ」は存在するとしても、結局のところ、それが実際のプレーや勝敗に影響するのかが問題となります。バントを1球目で決められないとき、嫌な雰囲気が生まれるとしても、得点の確率や期待値、さらにはチームの勝率が、2・3球目で決めたときと変わらないのであれば、もはや1球目うんぬんの話は気にする必要がありません。
もちろん、それでもなお、「メンタル上の流れ」の方を重視するという立場もあるでしょう。選手のプレーや勝敗はさておき、とにかく試合中に感じるものを大切にしてほしいというスタンスは、特に教育的な場面では重要なこともあるかもしれません。
ただ、今回の記事では、あくまで実際の結果に「流れ」の影響が見られるのか、つまり「結果上の流れ」が存在するのかという点に注目していきたいと思います。
次回は、実際に行われている「流れ」に関する研究を見ていくこととしましょう。
(鹿児島大学准教授/榊原良太)