【明豊】「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意
昨年春のセンバツでは横浜や龍谷大平安といった甲子園レジェンド校を撃破しての4強進出を果たした明豊(大分)。そんな明豊を率いる川崎絢平監督の著書「柔軟力」の中から、チーム強化の過程に起こった出来事、打ち出し続けた数々の策を引用し、その強さの秘密に迫ってみたい。
「大会前にメンバーに選ばれた選手に『お前はいったい誰のために頑張るのか』と聞くと、だいたいは『親やいつも応援してくれる人、支えてくれる人たちのために頑張ります』と言う。それは決して間違いではない。しかし、僕が一番に求めたいのは『試合に出られない仲間のために頑張りたい』という返答である。(中略)ホームランを打って思わず飛び出すガッツポーズは、ベンチに向かってではなく、応援席にいる仲間に向けてであってほしいと思う」
(第二章・明豊のチーム作り「あの手この手」で形作られた九州最強軍団~全力疾走は「美徳」ではない! 選手が全力プレーを怠ってはいけない理由~より)
スタンドには同じように苦しい練習をしてきたにも関わらず、応援に回った生徒がいる。ともに生活し、ともに苦しみを乗り越えてきた仲間たちがいる。グラウンドでプレーする生徒は、そんな仲間に対する思いを何より優先しなければならない。
それは“高校野球の象徴”として語られることの多い全力疾走についても言える。たしかに全力疾走は見栄えもいいし、見ている方も気持ちがいい。しかし、本当に重要なのは「見た目」であったり「高校野球は爽やかじゃなきゃいけない」といった外部からの視線ではない。スタンドには「全力疾走すれば試合に使ってもらえるのなら、俺は喜んで全力疾走する」と思いながらも、それができない部員がいるのだ。どんな平凡なゴロでも“なんとかセーフになりたい”と思いながら全力で一塁を駆け抜けることが、試合に出ている者が果たすべき100%の責任だと川崎監督は言うのである。
「『今日の練習ではお前たちに好きなことをやらせてやる。ただし、UNOはマウンドのプレート上でやってくれ』と言って、彼らには2時間ほどUNOをさせた。おそらくマウンド上でUNOをした高校球児は全国を探しても存在しないだろう」
(第二章・明豊のチーム作り「あの手この手」で形作られた九州最強軍団~全力疾走は「美徳」ではない! 選手が全力プレーを怠ってはいけない理由~より)
秋季大会の開幕を間近に控えたある日、寮のある部屋で消灯時間の23時を過ぎてカードゲームのUNOで遊ぶ生徒たちがいた。報告を受けた川崎監督は、彼らに対して「練習にUNOを持ってくるように」と伝えた。
新チームになって部屋替えをした後に、気分が高揚するのは理解できる。UNOをすること自体は別に問題でもない。しかし、チームの約束を破ることが、ゆくゆくはチーム力の低下に繋がっていく。こうした小さな積み重ねが、団体生活を送っているチーム全体に迷惑をかける結果になってしまうことだけは、生徒にも理解してもらわないと困る。
そこで川崎監督は、彼らに「マウンド上でUNOをするように」と指示した。彼らがマウンド上を占拠していることで、ノックもフリー打撃もできない。春の甲子園に繋がる秋の大会を目前に控えた大事な時期に、他の選手は練習がしたくてもできないのである。ルールを破ることが最終的には組織に悪影響を及ぼすことになるということを、川崎監督は“斬新な手法”で伝えようとしたのだ。「僕が迎えに行くと、髪の毛は真っ金金で、耳にはピアスも付けていた。短パンに金髪にピアスという、まるで高校野球のグラウンドには似つかわしくないいで立ちに一瞬躊躇したところはあったが、それでも僕は彼をグラウンドの中に引き入れた」
(第二章・明豊のチーム作り「あの手この手」で形作られた九州最強軍団~金髪にピアスの打撃投手~より)
かつて「ドラフト候補」と目された圧倒的能力を備えながら退部した生徒がいた。その部員を助けることができず、結果的に辞めさせてしまったという負い目を感じていた川崎監督は、夏の大分大会初戦直前になってその生徒に「打撃投手をやりに来ないか」と申し出ている。ド派手ないで立ちで登場したかつてのチームメイトにグラウンドは騒然。しかし、同級生は久しぶりの再会を喜び練習も大いに盛り上がった。これが夏の大会初戦の前日のことだ。
チームはここから加速し、この大会を制して甲子園出場を果たした。この夏は決勝で森下暢仁(広島)を擁する大分商に1-0で辛くも勝利し、川崎監督にとっても甲子園初指揮が叶ったのだが、決勝戦でタイムリーヒットを打ったのが、生徒の退部によって出番が回ってきた選手だった。すべては巡り合わせの一環だった。川崎監督にとっても一生忘れられない年代となった。
「甲子園の経験が重なっていくと、次第に時間がいくらあっても足りないと感じるようになる」
(第三章・負け=進化の時、敗戦をいかに挽回してきたのか~“なんとかなる”は“なんともならない”~より)
センバツの懸かった秋の九州大会では少なくとも2勝が必要になる。以前の川崎監督は「たった2勝」と感じていたが、その「たったふたつ」が果てしなく遠い。また、夏に臨む上で「県内ではウチが一番練習しているんだから、なんとかなるでしょ」という甘い考えがなかったといえば嘘になる。そして、その「あとひとつ」に何度跳ね返され続けたことかとも語っている。
そうした甘い考えは、甲子園を経験するたびにどこかへ消え失せていった。甲子園の経験値が増すほど「時間が足りない」と感じるようになり、準備に余念がなくなることから、以前のような甘いことを考える時間すら惜しくなるのだという。川崎監督も「僕自身に甲子園の経験がなかったら、立ち位置を見誤っていた可能性は充分にあった」というだけに、経験値の大小は非常に大きなポイントになってくるのである。
第一回:川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」
第二回:「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意
第三回:変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点