【明豊】変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点 

昨年春のセンバツでは横浜や龍谷大平安といった甲子園レジェンド校を撃破しての4強進出を果たした明豊(大分)。そんな明豊を率いる川崎絢平監督の著書「柔軟力」の中から、チーム強化の過程に起こった出来事、打ち出し続けた数々の策を引用し、その強さの秘密に迫ってみたい。

3月に出版した明豊・川崎絢平監督の「柔軟力」。この本を参考に、明豊がいかにして九州屈指の強豪に成長していったのかを紐解く連載もこれが最終回。「新時代・令和のリーダー候補」の思考に、もう少しだけ接近してみよう。
 
「“開き”を矯正したい時にはどうしても前足に意識が集中するものだが、僕は軸足ですべては解消されると思っている」
(第四章・川崎流「技術論」練習に仕掛けた無数のマジック~キャッチボールのポイント(2)すべては軸足に集約される~より)
 
「ボールを投げる」、「バットを振る」。こうした野球の動きの中でもっとも重要とされるのが下半身の動きであり、これを指導することがもっとも難しいという指導者も多い。下半身を指導する上で頻繁に聞かれるのが「開くな」、「インステップを治せ」といったキーワードである。しかし、川崎監督は「開き」や「インステップ」はあくまで「結果」であって、結果についてあれこれ指導したところで解決にはならないと考えている。
 
すべての結果には、原因がある。なぜ開いてしまうのか。なぜインステップしてしまうのか。その前段階にある原因の部分から解消していかなければならない。とくに「開き」を矯正したい時には、指導する側もされる側も意識は踏み込む方の前足に集中する。しかし、川崎監督によると、踏み込んだ足が着地をする前に、軸足の膝から上が前方に向かって滑っていることが多いのだという。このように、問題個所の起点になっていることを探り、指導していかなければならない。
 
「ストイックに最高の打撃を追い求めていた西川は、常に練習で良い当たりを打たなきゃいけないとも思っていなかった」
(第五章・代表的な教え子たち「超・高校級」の才能に学んだこと~打撃の求道者・西川遥輝(北海道日本ハムファイターズ)~より)
 
 智辯和歌山でのコーチ時代から現在に至るまで、川崎監督は圧倒的な才能を持った多くの教え子たちと出会ってきた。この本では、指導に携わった代表的な選手たちの高校時代も振り返っている。
 
 パ・リーグ盗塁王3度、ゴールデングラブ3度受賞と、日本を代表する外野手として活躍している西川遥輝(北海道日本ハム)もそのひとり。高校時代の西川はマシン打撃を好まず、いつも打撃投手をしていた川崎監督(当時はコーチ)のゲージにやってきては「最初に真っすぐを5球だけください。あとは(球種)ミックスで僕を崩しにきてください」と言って、黙々と打ち込みを行っていたそうだ。
 
 その姿勢は常にストイックで、常に良い当たりを打たなきゃいけないとも思っていなかった。「インコースは、こういうバットの出し方を試してみよう」と思えば、たとえボテゴロになってもお構いなしに、同じ球種を同じスイングで打ち続けたという。高校時代から「自分に必要な練習」というものを理解した選手だったのだ。
 
「『日本一になるための練習メニューがある』という人がいるかもしれない。しかし、僕はそういうことではないと思っている。どれだけ長い時間“俺たちは日本一になるんだ”という思いで過ごしたかが重要ではないだろうか」
(第六章・「日本一」宣言“歩み始めたVロード”~わずか3、4カ月で頂点には立てない――センバツ4強でも「日本一」を口に出せなかった理由~)
 昨夏の大分大会準決勝で大分商に敗れた後、3年生への最後のミーティングを行った川崎監督は、公衆の面前で「この悔しさは俺たち指導者と後輩たちで、日本一になって晴らしてやる」と、監督就任後初めて「日本一」というフレーズを用いて天下獲り宣言を行った。昨春のセンバツで4強入りし「次はいよいよ日本一だね」という周囲の期待にも、いっさい耳を貸さなかった指揮官にとっては、極めて異例の公言だった。

そもそも本気で日本一を狙うチームは、新チームが発足した瞬間から翌年夏の頂点に立つことを意識してスタートする。1年という時間をかけてチーム作りを行っている以上、その途中の4月に結果が出たからといって「じゃあ夏は日本一」と言っても、残りのわずか3、4カ月で辿り着けるものではないと川崎監督はいう。片や1年間にわたる意思統一を行い長期的目標に設定した日本一。片や「センバツで結果が出たから次は夏で日本一」。目標に達するまでのアプローチを比較した時、後者はあまりにも軽すぎる。

そして昨年のセンバツで準決勝敗退に終わったのは「最初からベスト4が目標だった。本気で日本一を目指していないから負けた」と言い切っている。日本一になるチームは、やり方うんぬんの問題ではない。「俺たちは日本一になるんだ」という思いで過ごした期間の長さこそが、目標達成に近づくための大きな原動力になると信じている。

「これは極論だが、球数制限の中で野球がしたい団体を作ればいいのではないか。球数制限しないと投げられない、投げたくないというのであれば、高野連とは別に甲子園を目指さない組織を作り、そこで全国大会を開催するというのひとつのアイデアである」
(最終章・野球界の未来へ「高校野球の力がもたらすもの」~甲子園を目指さない組織と国体のあり方~より)

本の最後で、野球界の未来に対する提言も行った川崎監督。「僕らのように甲子園を目指すことを大前提として、そこからさらに上の世界を目指す集団と、甲子園を通過せずにいきなりプロを目指す組織。これらを両立させて、いっそ選択制にしてみてはどうか」といった大胆な持論を繰り広げている。「高野連ではない別組織」。これは球数制限に関する解釈から派生したひとつのアイデアである。その過程で医学的見地や世間の風評に対して正面から向き合っているだけでなく、DH制の導入、バット規格改正、国体のあり方などについても「柔軟力」を活かした独自の見解を述べている。
 
昨夏の大分大会で準決勝敗退に終わった直後、初めて公の場で宣言した「日本一奪取」。優勝候補の一角として臨むはずだったセンバツは、残念ながら中止となったが「指導者として現状に満足しているつもりはさらさらない」と、再び思考回路を高回転させて前進を開始した明豊・川崎絢平監督。変化を続ける「柔軟力」を武器に、夏の頂点を目指す戦いが始まった。

第一回:川崎絢平監督の試行錯誤と「柔軟力」
第二回:「全力疾走は『美徳』ではない!」と川崎絢平監督が語る、その真意
第三回:変化を続ける「柔軟力」を武器に、川崎絢平監督が目指す夏の頂点 

書籍紹介

川崎 絢平
竹書房
1980円