【慶應義塾】森林監督に聞く、「高校野球の3つの価値」

昼は慶應義塾幼稚舎の教員をしながら夕方からは慶應義塾高校野球部を率いている森林貴彦監督。2018年には文武両道を掲げたチームを春夏甲子園出場に導き、現在も「選手個々の将来を見据えた指導」と「目の前の試合に勝つこと」のいずれも実現させるという困難なミッションに挑み続けている。そんな森林監督が出された著書『Thinking Baseball――慶應義塾高校が目指す”野球を通じて引き出す価値”』についてお話を聞きました。

(1)困難を乗り越えた先の成長を経験する価値

――本の中で、「高校野球の3つの価値」というお話をされています。順番に伺わせてください。一つ目が「困難を乗り越えた先の成長を経験する価値」ということですが。
プレーヤーとしてなかなか上手くいかない、メンバーに入れない、レギュラーになれない。エースにはなったけどなかなか勝てない、いつも打たれてしまう。個人としてもチームとしてもなかなか上手くいかない、思ったように勝てない。先輩たちは甲子園に行ったのに俺たちは全然ダメだとか。それから体のコンディション、怪我もそうですよね。
高校野球を例にとれば、こういったありとあらゆる困難があると思います。こういったことが全部上手くいっている人もチームもないはずなんですよね。大阪桐蔭さんだって多分大変なはずなんです(笑)。
困難が訪れるのは高校野球に限らずだと思いますが、それでも高校野球ではそれが分かりやすく表れてくることが多いと思います。その困難が目の前にあった時に、向かっていくのか? 逃げるのか? 諦めるのか? そういう人間として(姿勢が)問われる場面の連続だと思うんです。
 
――たしかに高校野球は困難の連続というイメージがありますね。
困難をなんとかして乗り越える。そういったことを高校野球を通じて経験してもらいたいと思っています。それは教室の授業では経験できないことだと思いますし、そういうことを経験できる教育の場、経験の場になるのが高校野球であり、高校野球をすることの大きな価値なんじゃないでしょうか。
 
――監督として選手たちが困難を乗り越えて成長が見えた場面などはありますか?
たくさんあります。例えば私が監督1年目のチームが今年の大学4年生で瀬戸西純(慶應義塾大学主将)や木澤尚文(慶應義塾大学→東京ヤクルト/ドラフト1位)たちがいた学年なんですけども、彼らの新チームで秋の大会がなかなか上手くいかなくて神奈川県大会初戦で横浜隼人に負けたんです。色々とミーティングなどを行なって非常に危機感もあった中で、彼らが「変わらなきゃ」と言って、選手同士で厳しく声を掛け合うとか、盛り上げるとか、メリハリをつけて練習をやっていくという今に至る練習の原型を作り上げてくれたということがありました。
そんな彼らも優勝までは手が届かなかったですが、春にベスト4に入って夏の第一シードを取ってくれて、夏も藤平尚真(現東北楽天)のいた横浜に負けはしましたけど決勝まで行ってくれました。「こうやってチーム力が上がっていく」というのは見せてくれましたので、チームとしてはこの代の成長ぶりが印象に残っています。
 
――前に練習を取材させていただい時も選手たちが厳しく声を掛け合っているなと感じたのですが、今の大学4年生たちの代がその原型を築いたんですね。
そうですね。あとは2年前に春夏甲子園に出たときですが、選抜で逆転ホームランを打たれて負けてどん底に突き落とされたんです。「甲子園で負けるというのはこんなに辛いのか…」という経験も、「この思いを晴らすためには夏に甲子園に戻ってきて勝たないとダメだ」という思いも、私も選手も一緒に持っていました。ですので練習の中でもう一段厳しさを加えたりだとか、新しいメニューを取り入れたりだとか、そういうふうにしてチームとして困難を乗り越えていきましたね。
 
――困難を乗り越えたことで成長を感じた、印象に残っている選手はいますか?
その選抜で強烈な負け方をした生井惇己(現慶應義塾大学2年)と善波力(現慶應義塾大学1年)のバッテリーですね。ピッチャーの生井がチェンジアップのサインに首を振ってストレートを投げて逆転ホームランを打たれたんですけど、それはチェンジアップに自信がなかったからなんですね。じゃあ夏までに自信を持って投げられるように練習をしなければならないねということで、生井は練習に取り組みました。
善波は下級生のキャッチャーでしたから、先輩に首を振られて仕方なくインコースの真っ直ぐを要求したら打たれたんです。彼にとってもすごく悔いの残るリードをしたわけです。先輩といえども遠慮せずに自分の思いを伝えてリードしなければいけない。夏までにそれをできるように努力していた彼のことも印象に残っています。こうやってチームなり、個人なりは成長していくんだなと思い知らされました。
その時に、困難や悔しさというのは必要なんだなと思いました。そういったものがなくて、気がついたらこんなに凄くなっていたなんていうことはないと思うんですよね。困難や悔しさがあるからこそ、それを乗り越えることによって成長したチームや自分に出会えると思います。
「あれがあったから」「あれを乗り越えたから俺たちここまでこれた」とか、高校野球を通じてそういう経験をぜひして欲しいと思っています。
 
――逆にいえば、例えば善波くんが「自分は悪くない。サインに首を振った生井さんが悪いんだ」と困難から逃げていたら、夏の成長も甲子園もなかったかもしれないですね。
そうかもしれないですね。いつも話しているんですけど、どんな経験もプラスにしなければいけない、次に活かさないといけないと思っています。サインに首を振ってホームランを打たれたことも、リードしきれなくてホームランを打たれたことも取り返せないですよね。取り返すとしたら「あれがあったから僕はこうなれました」となるしかないんですよね。そんなふうにして彼らが夏に向けてやりきったんです。
上手くいかなかったことを誰かのせいにするのは簡単なんです。誰かのせいにして自分を正当化するのはいくらでもできます。でもそれだと自分を成長させることはできません。きちんとベクトルを自分に向けて「自分はあのとき何ができたんだろう」「自分は次、どうしたらいいんだろう」と自分に向き合うことがすごく大切です。そういう意味でも失敗や困難はあった方がいいと私は思います。だからそういう失敗や困難があると「これを使ってどうやって成長させていこうかな」とか、そんなことばかり考えています(笑)。

(2)自分自身で考えることの楽しさを知る価値

写真提供:東洋館出版社

――2つ目の価値が「自分自身で考えることの楽しさを知る価値」。森林監督が現役時代に当時の上田誠監督から「自分たちでセカンドの牽制のサインを考えてみなさい」と言われたことで考えることの楽しさを知ったそうですね。選手たちにも同じように話されているのでしょうか?
数限りなく色々とありますが、練習方法とか自分たちで考えて提案して欲しいとはよく言っています。ついこの前も2週間はコーチが考えたメニューを行って、そのあとの2週間は選手中心に考えたメニューで2週間練習を行ったところです。

――大学野球を取材していると選手達から「大学で初めて自分自身で考えることの楽しさを知りました」という声をよく聞きます。そういった声が高校であまり聞かれないのはなぜだと思いますか?
考えて野球をやることの楽しさ、あるいは野球の難しさを考える環境に生徒たちを置いていないからだと思います。指導者に2年半でチームとしても選手としても結果を出させたいという思いがあるからですよね。
大学にもよりますけど選手たちの自由度が増しますし、指導者やスタッフが潤沢ではないところもありますよね。そうやって自分たちでやらざるを得ない状況になって、そこで初めて練習メニューを考えるとか、練習方法を考えるとかになった時、「自分たちで考えるのって面白いな」って気付くと思うんですよね。
自分でしっかり考える習慣とか考える力というものは、野球に限らず、その後の人生において要らないわけがないんです。ですからそういう経験は高校時代からどんどんさせてあげたいと思っています。
逆に大学、社会人になって使わないことは教えたくないですね。野球界でしか通用しない挨拶とかに代表される「野球界の常識、社会の非常識」みたいなことは一切教えたくないです。世の中でそのまま使える、社会に出たらそのまま使えるよということはちょっとでも早く教えるべきだと思います。その一つが「自分で考える」ということだと思います。そういうことを高校という早い段階で教えてあげないことは、すごく罪深いことだと思いますね。

(3)スポーツマンシップを身につける価値

写真提供:東洋館出版社

――3つ目が「スポーツマンシップを身につける価値」ということですが、森林監督の考えるスポーツマンシップとはどういうものになりますか?
すごくざっくりした言い方ですが、「よい人間になる」ということだと思っています。スポーツを通じてどのように人間性を高めていくかということだと思いますし、スポーツをやっている時にだけ役に立つとか、そういうことではなくて、高校野球を終えてその後70年の人生があるとして、先ほどの「考える力」と一緒でスポーツマンシップを身につけていて損することなんて絶対にないんです。
野球であれば相手を尊重する、ルールを尊重する、審判を尊重する。それが社会に出れば仕事のパートナーを尊重するとか、ライバル企業でさえ尊重するとか、顧客を尊重するとか、そういうことにつながると思います。スポーツマンシップが身についているということは、その人の人生において必ず武器になると思います。
 
――高校野球では昨年の選抜大会で「サイン盗み」が問題になりました。現状の高校野球は他のスポーツに比べてスポーツマンシップの浸透度は高いと思いますか、低いと思いますか?
どう考えても高校野球はスポーツマンシップの精神が足りていないと思います。その弊害が勝利至上主義だと思います。勝てばいい、勝ちさえすれば手段は選ばない。バレなきゃいい、見つからなきゃいい。サイン盗みは学校の先生が生徒にカンニングを勧めているのと同じですよね。「バレないようにカンニングしろよ」「俺は知らないことになってるから上手くやれよ」と言っているのと同じです。
サインを盗んで打てるようになっても、そんな力で大学やプロ野球では通用しないですよね。高校時代だけ通用すること、今だけ勝てるようにするためにそういうことをする。それはその子の人生で活きないですしマイナスにしかならないですよね。指導者がその子の「今」を食い物にして「将来」を奪っている、とさえ言えると思います。(取材・写真/永松欣也)

森林貴彦
慶應義塾高校野球部監督。慶應義塾幼稚舎教諭。
1973年生まれ。慶應義塾大学卒。大学では慶應義塾高校の大学生コーチを務める。卒業後、NTT勤務を経て、指導者を志し筑波大学大学院にてコーチングを学ぶ。慶應義塾幼稚舎教員をしながら、慶應義塾高校コーチ、助監督を経て、2015年8月から同校監督に就任。2018年春、9年ぶりにセンバツ出場、同年夏10年ぶりに甲子園(夏)出場を果たす。