『監督からのラストレター』日本大学第三高校/小倉全由監督

たとえ甲子園に出られなくても「三高で野球をやれてよかった」という思いで卒業してほしい。小倉監督は毎年そんなふうに思っている。しかし、いざ甲子園という舞台を奪われると「しらけた感じになるのではないか」と心配もあった。しかし、監督の心配は杞憂に終わった。3年生たちは最後まで熱く、熱く戦った。(書籍『監督からのラストレター』から引用)

お前たちの純粋な気持ちに胸を打たれたよ……

三高で野球がやりたい、三高で甲子園に出たいという熱い思いを持ってお前たちが初めてここに来てくれた3年前。宮崎から来てくれた児玉悠紀、大阪から来てくれた西田琉之介をはじめ、遠くからもよく三高に来てくれたよな。お前たちとまたいい3年間を作って行こう、そんなふうに思ったことを覚えている。

お前たちが最上級生になって迎えた秋の東京都大会。準々決勝で帝京に逆転負け。相手の前田三夫監督は「絶対に点を取る」という野球をやっていたのに、こちらは「打ってくれるだろう」という俺の甘い考えで野球をやってしまった。負けたのは監督の責任。申し訳なかった。

夏は絶対に勝つぞという意気込みで臨んだ冬の強化合宿。1年の時は先輩たちについていくことに必死だったお前たちが下級生たちを引っ張っていた姿。誰に言われたわけでもないのに三高の伝統を引き継いでくれていたな。

さぁこれから、という時に見舞われた新型コロナ。学校に来られない、集まれない、練習もできないという誰も経験したことがない状況。練習メニューも渡していない、トレーニングの指示もしていない。ただ「お前ら頼むぞ」としか言わなかった。それでも送ってくれた練習動画を見れば各自がやれることをしっかりやっていることが分かった。休校前よりいいボールを投げている奴もいたな(笑)。「俺たちは絶対にやるんだ!」という思いが伝わってきて本当に感心した。

夏の甲子園中止が決まった時は流石にやりきれなかった。お前たちになんて言ったらいいのか、どうしたらいいのか考えた。発表があったあと全員を集めてバックネット裏で話したよな。甲子園がなくなったからといって今までやってきたことは絶対にマイナスではない。絶対それは財産にしないとダメなんだ。俺たち何のためにやってきたんだ……そういう気持ちで終わってほしくない。そんなことを話したよな。

その後の練習、熱さを失わずにいつも通りで変わりがなかった。それが嬉しかった。独自大会を迎えるにあたっては、こいつらどんな顔をして終わるのだろうか? しらけた感じになりはしないか? と少し心配もあった。でもそんなことは要らぬ心配だった。負けてワンワン泣いて、学校に帰ってきての最後のミーティングでもみんな泣いていたよな。あれは甲子園をかけて戦って泣いている姿と同じだったよ。

甲子園がなくなってもあんなに熱くやってくれた。甲子園がなくなっても最後まで熱く戦う姿勢を後輩たちに見せてくれた。お前たちの野球をやりたいという熱い思い、純粋な気持ちに胸を打たれたよ……。

その気持ちを指導者は絶対に大事にしないといけないと改めて思ったし、監督としていい勉強をさせてもらった。ありがとう。

合宿所で共に過ごした3年間。一緒に風呂に入って、一緒に食事をして、時には掃除の仕方だ、シャワーの使い方だの朝からうるさいことも言われたよな。それでも裏表なく3年間小倉と付き合ってくれた。ありがとう。

今後の人生、お前らにはかっこいい人間でいてもらいたい。かっこいい人間というのは、裏表のない人間。どこで誰に見られても恥ずかしくない人間。どこに行っても何があっても一生懸命にやる人間。そして誰からも応援される人間。それが一番かっこいいんだ。顔、形じゃない。かっこよさというのは人間の内側から出てくる。
どうか、そういう人間になってほしい。

日本大学第三高校
硬式野球部監督 小倉全由

※書籍の内容と一部異なる場合があります

日本大学第三高校

春夏通算37回甲子園出場。春は優勝1回、準優勝3回。夏は優勝2回。古くは根本陸夫、関根潤三(ともに野球殿堂)、近年では髙山俊(阪神)、坂倉将吾(広島)など多くのプロ野球選手も輩出している全国屈指の強豪校。