【履正社】全国制覇しても満足しない、毎年行うモデルチェンジ

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多田監督はコーチ時代からチームのマネジメントの多くを岡田前監督から任されてきた。昨年、監督となり“現状維持では変わらない”と様々な“戦力アレンジ”に奔走した。

多田監督は06年からコーチとして母校に赴任し、08年のセンバツで履正社が甲子園初勝利を挙げた試合もスタンドで感慨深く見守った。ただ、初勝利までに時間がかかったこと、さらに甲子園で勝ち続けるにはどうすればいいのかを考える中、甲子園は打たないと勝てない、という結論にたどり着いた。
「山田(哲人・ヤクルト)の時(10年)に夏の甲子園で1勝できましたが、初めて続けて勝てたのは坂本誠志郎(阪神)の時のセンバツベスト4(11年)なんです」。
14年と17年にセンバツで準優勝も果たした。それでも府内のライバルの大阪桐蔭は12年、18年と甲子園で2度も春夏連覇を成し遂げている。ずっと先を行くライバルの背中は、かすかに見えそうで、ずっと先を走り続けているようにも思えた。

そんな中、履正社が一貫して取り組んでいることがある。
「岡田先生が言う“打つこと”は大事だとは思います。そのための身体作りについてはかなり力を入れている方だとは思います」(多田監督)。
ほとんどの選手が自宅から通学している履正社では、常々日々の食事調査を行っている。ウエイトトレーニング、プロテインの摂り方を指導者自身が勉強し、毎年新入生にもプリントを配って1時間以上の栄養に関する講義も行う。まずは土台をしっかり作るためのレクチャーを行い、選手の保護者も一緒になって身体作りに力を添えてもらうためだ。

その甲斐があり、近年の履正社の選手の身体つきを見ると、他の名門校の選手とは見劣りしない、むしろたくましい体格の選手を多く目にするようになった。19年の夏の全国優勝時も、4番の井上広大(阪神)を筆頭に、太く、大きな強打者が並び、好投手を打ち崩した。

初の全国優勝した後も、それに満足せずに毎年モデルチェンジを試みてきた。
「学年、チームごとに長所が違うので、その長所を生かしたチーム作りをしてきました。例えば、今年のチームはシートバッティングを増やしつつ盗塁の練習をして、フリーバッティングでも一カ所だけバントの練習を必ず入れてみたり。昨年の光弘(帆高=現・明大)の学年は、とにかく打たないと勝てないと思ったので、バッティング練習が多めでした」。

一時は「打てるチーム」に特化してきたが、20年秋に府大会の3位決定戦で山田高校に1-2で敗れた試合や、一昨年の21年秋に近畿大会で京都国際のエース森下瑠大(現・横浜DeNAベイスターズ)に完封負けを喫した試合など、“打てない試合”で、どう勝ち切るべきかを考えるようになった。
「そういう状況になった時に、重視すべきは走塁なのかなと思いました。出塁して、盗塁が決まらなかったとしても、相手バッテリーに履正社は走ってくるという意識を持たせればクイックになってくれて、余計な警戒をしてくれる。打てなくても四球でランナーを出してチャンスを作るとか、そういった工夫が必要ですし、毎年同じ戦い方ではいけないと思います。今年は去年より走れる選手が多いので、そういう長所をどれだけ生かしていけるかだと思ってきました」。

監督の世代交代があり、チーム作りに隔たりが起きるのではないか、という外野の懸念の声もゼロではなかったはずだ。だが、あらゆる装備を磨きながら、今夏を迎えた。監督として2度目の夏。昨夏に続き、府大会決勝で相対した大阪桐蔭との戦いは、絶対的エース左腕の前田悠伍(ソフトバンクドラフト1位)と、一昨秋から数えて5度目の対戦だった。

試合は2回に相手の失策から先制し、4回には相手の隙を突く走塁なども絡め、適時打でこれまで抑え込まれてきたエースから、さらに2点を奪った。先発の福田が3安打完封し、夏の府大会決勝で初めてライバルに勝って甲子園出場を決めた。
試合後は顔を紅潮させながら、喜びを噛みしめた多田監督。あれから3カ月以上が経ち、あらためて分厚い壁を破った今夏を回顧する。
「過去の4戦はウチも増田を先発させていましたが、相当研究されていたはず。それでもこの夏は高木(大希=2年)を含めた3人のピッチャーをうまく回して、福田が万全な形で決勝で投げられたのは良かったです」。

だが、控えめにこう付け加える。
「連勝しているのなら話は別ですけれど、勝ったと言ってもこの夏に1回勝っただけですからね。こうしたから勝ちました、とか言えるわけではないですが…。桐蔭さん側はウチのことをどう思ってくれているのかは分かりませんけれど、少しでもライバルと思ってくれているのならありがたいです」。

今秋は夏の甲子園を経験した高木がエースとなり近畿大会まで駒を進めるも、準々決勝でその高木が打ち込まれ、京都外大西に10-7で敗れた。高木に次ぐ投手がケガ等もあり調整が間に合わず、実質高木が1人でマウンドを守り抜いたが、投手1人では厳しいとあらためて感じた秋だった。思い通りにいかないことが多かったとはいえ、作り上げたチームが夏の大会で終わっても、秋からは新たなチームが船出していく高校野球にゴールはない。工夫を凝らした試みとバージョンアップを繰り返しながら、多田監督はさらなる壁に挑んでいく。
(取材:沢井史/写真:編集部)