【共栄学園】原田健輔監督|きっかけは選手の拒否反応、見直した体作り

強豪校を指導する監督に過去の失敗や後悔を現在の指導にどう生かしているかを聞く企画。 26歳の若さで共栄学園の監督に就任した原田健輔監督は、知識も経験もなかったことから失敗の連続だったということを前編では紹介した。後編ではそこからいかにして激戦区である東東京で甲子園出場を果たしたかについて聞いた。

部室も日陰もない河川敷のグラウンド

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一方的な指導から選手に任せる部分を増やして2019年秋には都大会で準々決勝に進出した共栄学園。しかし翌年のコロナ禍で活動できなかった焦りなどから再び一方的な指導に戻り、また結果が出なくなったという。そこからチームが上向くきっかけとなったのは、またしても手痛い敗戦だった。

「2022年は夏に5回戦まで勝ち進んだんですけど、秋はブロック予選の初戦で負けて、都大会にも出ることができませんでした。この試合の時にちょっと選手たちが自分に対して拒否反応みたいなのが出ているなと思ったんですね。こっちが一方的にやらせて、それで結果が出ないんだから当然と言えば当然だと思います。そこでちょっとまたやり方を変えてみようと思って、外のグラウンドでやる練習を減らして、まずは体作りを見直そうと思いました。学校の食堂にもお願いして食事もしっかりとるようにして、トレーニングと外での練習を半々くらいにしたんですね。トレーニングは成果も見えやすいじゃないですか。体作りが進んだことで選手も自信を持ってできるようになりましたし、こちらからも押し付けるようなことはしなくていいんだなと改めて思いました」

時期にもよるが、トレーニングの時間とグラウンドでの練習が半々というのはかなり思い切った変更ではないだろうか。ただそれが上手くいった背景には、共栄学園のおかれている環境も密接に関係している。
学校は東京都葛飾区にあるものの、野球をできるようなグラウンドは一切なく、平日は自転車で30分かけて埼玉県三郷市の河川敷にある中学クラブチームのグラウンドへ移動して練習しているのだ。

ある程度の広さはあるものの、設備的にはかなり限られている。そのため、まずはトレーニングで土台となる部分に注力した方がパフォーマンス向上にも繋がったという面もあったはずである。このような環境での苦労を原田監督はこう話す。
「正直ないものだらけですよね。建物を置くことができない。高い防球ネットもない。風が強いんですけど、逃げる場所もない。日陰もない。電源もない。だからマシンや照明のために発電機は欠かせません。
室内練習場もないので、雨が降ったら練習もできないのでいつも天気予報を見ながらその日どうするかを決めています。雨の日が続くようであれば、民間の室内練習場を借りたりもします。このグラウンドを使わせてもらっているだけでもありがたいですけど、見学に来た選手はビックリしているかもしれませんね」

恵まれない環境で日々試行錯誤

取材当日も原田監督自身が2トントラックであらゆる用具を運んできており、それを設置するのにもだいぶ時間をとられていた。また、19時には河川敷の入り口が施錠されてしまうため、それまでには道具を運び出す必要もあるという。恵まれない環境で練習していることは伝わったと思うが、その中でも昨年夏に甲子園出場を果たせたことについて、原田監督はどう感じたのだろうか。

「去年のチームはその前の秋に負けてから、こちらが変に勝ちに執着しなかったのが良かったのかなと思います。春以降は自然体で臨んでいましたし、こちらの想像をはるかに超えてくれました。ただ、ミラクルみたいな部分はありましたけど、決して偶然ではないなと思います。トレーニングに関しては体重とか数字を決めて、なかなかクリアできない選手もいたんですけど、何とかギリギリまで頑張ってクリアした選手が夏の大会でもいいところで仕事をしてくれました。ただ、今年のチームは去年と同じようにやっていても、なかなか上手くいきません。日々どうしたらいいのかまた考えながらやっているところです」

そう話す原田監督だが、練習の様子を見てもかつての失敗だと語るような一方的な指導は全く見られず、選手たちが考えて動いているように見えた。また半分の選手は学校に残ってトレーニングをしているとのことで、グラウンドで練習している選手たちも、体つきはしっかりしている印象を受けた。
甲子園常連校と比べるとまだまだ力の差はあるかもしれないが、恵まれない環境でも勝てることを示したのはチームにとって大きな財産となったはずである。そんな共栄学園の今後の戦いぶりにぜひ注目してもらいたい。(取材・西尾典文/写真・編集部)

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