【報徳学園】大角健二監督|メンバーもメンバー外もどちらにも全力でぶつかる
春2回、夏1回の甲子園優勝を誇り、全国でも屈指の激戦区である兵庫県でもコンスタントに結果を残し続けている報徳学園。昨年と今年も2年連続で選抜準優勝を果たし、改めてその強さを全国に示した。そんな報徳学園で2017年から指揮を執る大角健二監督にこれまでの指導者生活を振り返りながらこれまでの失敗談や、そこから現在の指導に生かしていることなどを聞いた。
大きかった大学での挫折経験
大角監督も報徳学園野球部OBで、捕手として2年春から4季連続で甲子園に出場。卒業後は立命館大に進学し、4年時は主将も務めている。大学では怪我もあって選手として目立った結果を残してはいないが、野球界では十分な経歴の持ち主と言えるだろう。しかし大角監督本人は指導者になることは全く考えていなかったという。
「プロになりたいと思って大学に進んで、自分の上の代も下の代も凄い選手がたくさんいました。ただ怪我で思うようにプレーできなくて、練習中にボールをぶちまけたりして、当時は相当荒れていましたね(笑)。自分の代がちょうど狭間という感じで、キャプテンを任されたという感じで、実力ではありません。だから野球部を引退した時は本当に解放されたと思っていて、指導者になろうとは全く思っていませんでした」
大学で野球を引退する。永田裕治監督(現・日大三島監督)と、部長の竹村洋一先生に電話で報告した。
「竹村先生が電話に出られなかったんです。そうしたら数日後に癌で亡くなったと聞かされて。それで永田監督から『ちょっと野球部を手伝ってくれ』と言われたのがはじまりです。単位もギリギリで教職もとっていなかったので、1年大学に残って必要な単位を取って5年目で卒業して、足らない分を後から通信教育でとりました。ただ『ちょっと手伝う』くらいの感じだと思っていたので、まさかこんなに長く残って監督にまでなるとは夢にも思っていなかったです」
思わぬ形で高校野球の指導者となったが、コーチ就任当時はとにかく経験と若さに任せた指導だったと当時を振り返る。
「急な話でしたから、こちらも何も教えられないですよね。だからひたすら自分が経験してきたことを同じように選手にやらせるだけでした。20代の頃は自分の指導が上手できているとか、上手くできていないとか、そんなことも何も考えずにひたすら走っていた感じですね。当時の選手からしたら無茶苦茶だったと思います」
立場としてもコーチで、年齢的にも若くて選手と近いということもあり、そういう役割を求められていた部分もあったと思われるが、指導についてそこまで色々と考える余裕もなかったという。ただ、当時も現在も変わらない指導者としての方針もあるそうだ。
「ポリシーというか、当時も今もずっと変わらないという点では、メンバーもメンバー外もどちらに対しても全力でぶつかるということですね。レギュラーだけに集中してやるということはずっとありません。大学の時に自分も怪我でメンバーを外れる経験もして、そういうやり方になったのかもしれませんね。今も部員数は1学年で50人くらいいるんですけど、みんな同じように接して同じように上手くなってもらいたいという気持ちは持っています」
報徳学園は高校から直接プロ入りするような選手もいるが、中には高校時代に控えでも大学で伸びているケースも目立つ。高校の時点で試合に出られる選手だけを鍛えるのではなく、全員を同じように扱う指導がその要因の一つと言えそうだ。
興南戦の敗戦をきっかけに変えたこと
20代は若さでとにかく走ってきたという大角監督。コーチ時代はそこまで深く考えることもなかったというが、それまでのやり方に疑問を覚えることもあったという。その一つのきっかけとなったのが2010年に出場した夏の甲子園だ。チームは準決勝まで勝ち上がるが、そこでこの年に春夏連覇を達成する興南に逆転負けを喫する。この時の敗戦が強く印象に残っているという。
「試合が終わった後にベンチの横に並んで興南の選手が引き上げていくのを待っているじゃないですか。その時に相手の体の大きさがうちの選手とは全然違って、ちょっと衝撃を受けました。よくよく考えてみると、入学してきた1年生にはとにかく走らせて体力をつけて、根性もつけるみたいなやり方だったんですね。その間に体重は激減する、怪我もする選手も出てくる。ようやく秋くらいから元気になってみたいな感じでした。自分たちもそうだったので疑問も感じていなかったですけど、2年半しかない高校野球で3年生の時にしっかりピークを持っていくにはこのやり方はおかしいんじゃないかなと。興南に負けてからそういうことを考えるようになりましたね」
2017年に監督に就任すると、新入生へのアプローチも変更。トレーニングなども見直して体作りや筋力アップにもそれまで以上に取り組むようになったという。しかしそちらに目を向けても上手くいかない部分もあったそうだ。
「監督になってしっかりトレーニングもやって、パワーアップしてという取り組みはやりました。ただパワーをつけて打ち勝ちたいという気持ちが出てきた半面、逆にそれまでのチームの強みだった守備とか細かい野球が疎かになった部分があったと思います。今の大学4年生、3年生の代は能力の高い選手も多くて、そういうところができていたらもっと勝たせてあげられたというのはありますね。コロナもあってなかなか練習できなかったというのもありますけど、こちらの意識も低かったですね。だからその一つ下の今の大学2年生の代でもう一度守備と走塁をしっかりやろうと。結果的に甲子園には出られませんでしたが、春は県大会でも優勝して、それで勝ち方みたいなのが少し見えたのはありますね」
昨年と今年の選抜でも長打はそれほど多くなかったが、堅い守備と相手の隙を突く走塁が目立つシーンも多かった。チームの伝統と言える部分に再度注目できたことが、結果に繋がった部分もあったのではないだろうか。
後編では普段の指導で変わった部分や、試合の采配で悔やんでいる話などを紹介する。(取材・西尾典文/写真・編集部)
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