【浦和実】辻川正彦監督|自分は一生行けないだろうと思っていた甲子園

1988年に22歳の若さで就任した浦和実の辻川正彦監督。就任5年目の秋には県大会で準優勝、その8年後には秋の関東大会でベスト8に進出したものの、あと一歩で甲子園に届かない時期が続いた。そこから昨年秋、今年春の快進撃にどう繋がっていったのだろうか。

一生甲子園に行けないだろうな

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2000年秋には関東大会でベスト8に進出しながら選抜出場を逃した辻川監督。その後のチームも度々上位に進出しているが、甲子園には届かないシーズンが続いた。そんな日々を辻川監督はこう振り返る。

「2008年の90回大会の時は埼玉が南北2つに分かれてチャンスも多くて、うちも力のあるチームでした。ベスト4まで勝ち進んで相手は浦和学院。今の森大監督がエースの時です。浦和学院にはいつも圧倒されて負けることが多いのですが、この時は五分五分とは言わないまでもうちにも45%くらい勝つチャンスがあるくらいの力の差でした。ただそれでも中盤に先制されて2対4で負けました。
次にチャンスがあると思ったのは豆田(泰志・現西武)がいた2020年。前年春に関東大会にも出ています。ところがこの年はコロナで大会が中止。この時に自分は一生甲子園に行けないだろうなと思いましたね」

その後一度監督を退いた時期もあったが、2023年に復帰。そして昨年の秋には県大会で宿敵の浦和学院を破ると関東大会でも準決勝に進出して初の選抜出場を果たすことになる。それまでと何か違ったところはあったのだろうか。

「少し前まで聖望学園の監督をしていた岡本(幹成・現東日本国際大監督)に『辻川は運がない。だから運があるやつにお願いしろ』と言われたことがあったんですね。今年のチームのキャプテンの小野(蓮)は組み合わせ抽選なんかでも運があると思ったので、とにかく頼むぞということを言いました(笑)。県大会で浦和学院に勝って関東大会を決めた時は何とか執念で勝とうという気持ちはありました。
ただ試合でも以前なら自分が何とか勝たせないといけないと思って上手くいかないことが多かったですけど、そういうものが少しなくなったのが良かったのかもしれませんね」

関東大会の準決勝でも優勝した横浜を相手に2対3と接戦を演じると、選抜でも滋賀学園、東海大札幌、聖光学院を次々と破って準決勝に進出。この結果には辻川監督自身も驚かされたという。

「滋賀学園は近畿大会を見てもかなり強いと思いましたし、自分も厳しい試合になると思っていました。ところが部長の田畑とエースの石戸は『大丈夫ですよ』と凄く落ち着いていたんですね。次の試合以降も選手たちが本当にこれまでになかったようなバッティングをする。石戸はある程度抑えてくれるかなと思っていましたけど、打線は全くあそこまで想像していませんでした。それも小野にお願いしたのが良かったのかもしれませんね(笑)」

取材当日の練習も辻川監督やコーチの指示はなくても、小野キャプテンが中心となって選手が声を掛け合いながら取り組んでいる様子が見られた。

辻川監督は「昔のようにこちらが手取り足取り指導はできない世の中になっている」と話すが、リーダーシップを発揮できるキャプテンにあらゆる面を任せることができたというのも結果に繋がった要因ではないだろうか。

最後に辻川監督は「今年は結果が出ましたが、まだ今年の夏も来年以降もチャンスは来ると思っています。それを逃さずに何とかモノにしたいですね」と話してくれた。甲子園での経験を経て浦和実がどんな戦いを見せてくれるのか。夏以降の戦いぶりにも注目してもらいたい。(取材・写真:西尾典文)

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