【県立相模原】吉井大樹監督|定時制野球部で学んだ、子どもと向き合うことの大切さ

全国でも屈指の激戦区である神奈川にあって、2015年春には県大会準優勝、2019年夏には横浜高校を破ってベスト4に進出するなど公立高校としては屈指の実績を残している県立相模原。しかし2014年からチームを指揮してきた佐相眞澄監督が、がんの闘病を理由に昨年12月に退任(今年1月に逝去)となった。佐相監督時代にもチームの取り組みを紹介しているが、現在の相模原はどうなっているのか。新たに就任した吉井大樹監督に話を聞いた。

吉井監督は岡山県の出身で高校時代は岡山県立岡山城東高校でプレー。卒業後は愛媛大学に進んでいる。縁もゆかりもなかった神奈川で教員、野球の指導者になった経緯をこう話してくれた。

「大学に進学する時から教員、指導者になりたいという思いはありました。ずっと神奈川の高校野球は横浜高校を筆頭に全国の中でもレベルが高いというイメージを持っていて、どうせやるならそういうところでやりたいと思って採用試験を受けました。同じ理由で愛知も受けて、ありがたいことに両方合格したのですが、最終的にはやはり神奈川でやろうと思って神奈川に決めました」

今年春にこのTimely!WEBの取材で話を聞いた川和高校の平野太一監督も大分の出身で大学は岡山の川崎医療福祉大に進んでいるが、同じ理由で神奈川の採用試験を受けたと話していた。そういう指導者はそこまで多くはないかもしれないが、改めて神奈川の高校野球のレベルの高さを感じるエピソードと言えるだろう。

数年はコーチ、部長などで野球を勉強して監督にと考えていたそうだが、そんな吉井監督の思いとは裏腹に、チームの指揮を執る日はすぐ訪れたという。

「初任は秦野曽屋高校でしたが、1年間部長を務めた後に当時の監督が退任することになって2年目には監督になりました。思っていたよりも早かったですね。ただなかなか結果が出なくて、改めて神奈川のレベルは高いなと思いました。5年で異動となりましたが、振り返ってみればあっという間でした」

なかなか結果が出なかったという吉井監督だが、2016年夏には初戦で実力校である相洋を相手に延長14回の末に勝利をおさめている。ただ上位進出はならず、監督として4年間で結果を残すのは簡単なことではなかっただろう。そして異動した先は、あまりない環境だったそうだ。

「秦野曽屋の後に異動したのが相模向陽館で、少し変わった“昼間定時制”の学校でした。定時制というと夜間のイメージが強いと思うのですが、午前中だけ来る生徒と午後だけ来る生徒がいて、4年間で卒業という仕組みです。中学時代に色んな事情で学校に通うのが難しかった生徒が、半日なら何とかということで通ってくるケースも多いです。だからそれまでの全日制とは全然違いましたし、野球部員も当然少なかったです」秦野曽屋でもなかなか勝つことができなかったが、相模向陽館は人数的にもそれ以上にチームを作るのが難しい環境だったことは間違いない。しかしそんな中で学ぶことは多かったと吉井監督は話す。

「3学年合わせても9人に満たず、連合チームになることもありましたが、何とか他の部活から助っ人を出してもらって単独チームで出場していました。ただそんな少ない人数でも野球をやりたいという子は本当に野球が好きな子なんですね。また家庭環境が大変で、なかなか親に向き合ってもらえていないという子もいました。だからこそ一人ひとりとしっかり向き合うことの大切さを学んだと思います。しっかりこちらが向き合えば、生徒も向き合ってくれる。そんな子たちを何とか少しでも上達させてあげたいなという気持ちでやっていましたね。一人ひとりに向き合うというのは相模原に異動してからも変わらずにやっているつもりです」

実際にこの日の練習を見ても、何かプレーを止めるタイミングなどで選手に個別に指導する様子が見られた。部員数が多いとどうしても力のある選手が優先されるというチームの話もよく聞くが、そうではないところも相模原の魅力と言えるのではないだろうか。

そしてそんな吉井監督が相模原に異動してきたのは昨年4月。前任の佐相監督は県内でも名の知れた指導者であり、その下で学ぶことが多いと楽しみにしていたという。しかし実際は冒頭で触れた通り、佐相監督は病に倒れ、早々に吉井監督が引き継ぐこととなった。どのようにチームを引き継いだのか、新たな体制では何を重視しているかなどは後編で紹介する。(取材:西尾典文/写真:編集部)

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