【桐蔭学園】小倉丞太郎監督|監督から心を開き、話しやすい雰囲気を作る

名門再建を託された新監督

春夏12度の甲子園出場を誇る神奈川の名門・桐蔭学園。森敬斗(ベイスターズ)を擁して、2019年春に16年ぶりのセンバツに出場したが、夏の神奈川を制したのは1999年が最後。いつしか、「古豪」という枕詞がつくようになり、県大会でも2022年春に準優勝を果たして以来、準々決勝の舞台に勝ち上がれていない。

2025年秋は、県大会3回戦で川和に敗戦。ここ数年の成績に対する責任を取る形で、2017年秋から指揮を執っていた片桐健一監督が辞任。約20年に渡り、硬式野球部のコーチや部長を務めていたOBの小倉丞太郎氏が後任に就いた。

2025年で49歳の小倉監督。桐蔭学園との出会いは、中学1年生のときにまで遡る。夢は建築家。理系に強い桐蔭学園中に受験で入り、野球部の大川和正監督に出会ったことで野球の面白さに目覚めた。

内部進学した桐蔭学園では、160センチ代後半の身長から140キロを超えるストレートを投げ込み、3年生の春にはエースとしてセンバツ甲子園に出場(初戦で北陽に敗戦)。大学は青山学院大から誘いを受けていたが、推薦試験で不合格となり、勉強で東京学芸大に進学した。
「東京学芸大の教育学部と、横浜国大の建築学科を受験しました。横国に受かっていれば、本気で建築家を目指していたと思います。横国は不合格。神様から『まだ野球をやりなさい』と言われているようでした」

東京学芸大でも主戦投手となり、その後は朝日生命、日立製作所でプレー。2005年に、恩師である土屋恵三郎監督(現・星槎国際)からの誘いもあって、母校の保健体育科の教員として採用された。そこから野球部との関わりが始まり、21年目の秋に「考えてもいなかった」という監督職に就くことになった。

指導者も選手もファーストネームで

学校長から監督の打診を受けたとき、「家族に相談させてください」と頭を下げた。帰宅後、奥さんに伝えると何の迷いもなく「あなたがやったほうが絶対にいい。桐蔭のためにも、引き受けたほうがいい!」と力強く背中を押されたという。
「おれの何がわかっているんだと思ったんですけど(笑)」

正式な就任は10月21日。土屋監督に電話で報告を入れると、胸に響く言葉をくれた。
「丞太郎くんが、高校生で入学してきたときに、いろんな不安や期待を持っていたと思います。あのときの気持ちを絶対に忘れないで、生徒に接してください」

初心を忘るべからず。

まず、49歳の新人監督が着手したのは、選手とのコミュニケーションを増やすことだった。監督から心を開き、話しやすい雰囲気を作る。
ひとつのルールとして、スタッフも選手もファーストネームで呼び合うことを決めた。小倉監督は「丞(ジョウ)さん」と呼ばれている。
「選手にはこんな話をしました。『誰と甲子園に行くのか。知らないおじさんと行くよりも、一緒に苦労や喜びを分かち合ってきた仲間といったほうが価値は上がる』。監督と選手ではなく、一緒に頑張ってきた仲間と戦いたいと思っています」

寮には週4日泊まり、寮生とひとり20分ほどの面談を毎日している。
「グラウンドだけの時間では、『この選手と話し切れていないなぁ』と思うことがでてきます。それを補うために、『最近どうなの?』という話をよく聞くようにしています」

水曜日の朝には、講義室で全体ミーティングの時間を設けて、1週間のフィードバックと、次の1週間に向けてやるべきことを必ず確認するようになった。小倉監督はこの日に向けて、毎回資料を作成している。
「必ず、先のステップを伝えるようにしています。『今はこの段階だけど、来年4月にはこうなっていてほしいんだ』って。『これができたらこれ』と進んでいきたい」

見通しがなければ、今の練習がどこにつながっているのがわからない。すべての日々は、夏の神奈川で勝つためにある。
「ただ、『甲子園』という言葉はまだ出していません。今の彼らには現実的ではない。まずはひとつひとつ土台を作って、どれだけ堅実な野球ができるかどうか」

選手とともに熱く戦い、名門の強さをもう一度取り戻す。(取材・文:大利実/写真:編集部)

後編に続きます。

関連記事