【鳥取城北】春の大敗を乗り越えて鳥取の頂に立った夏

3年ぶり5度目の甲子園出場を果たした鳥取城北。県下最多の部員数を誇り選手層も厚く、個性派揃い。特に今年は何度もチームとして「ひとつになる」ことの意味を監督は選手たちに伝えてきた。春の県大会での大敗、エースの台頭など、さまざまな出来事を通して少しずつ選手の意識が変わっていった。

食トレの重要性を知り全員で情報を共有


野球部・監督 山木博之 (やまき ひろゆき)
1975年生まれ。大阪府出身。鳥取城北から大阪体育大学へ進学。卒業後、江の川(現・石見智翠館)を経て、2009年に母校へ。同年の秋から監督就任。体育教諭。

近年アクティブラーニング型の授業を取り入れるなど、独自の取り組みが実を結び、現役で難関大に合格する生徒が出ている鳥取城北。部活動も盛んで、全国有数の強豪である相撲部は照ノ富士、逸ノ城などを輩出。野球部は能見篤史選手(阪神タイガース)、藤原良平選手(埼玉西武ライオンズ)らをプロ野球界に送り出している。

鳥取城北が食トレを始めたのは、山木監督が江の川高(現・石見智翠館)時代に栄養指導を導入していたことがきっかけ。食べる力をつけることによって野球の力もついてくると監督は考えている。日々の食トレの重要性を前任校で実感していたので、母校に赴任後も取り入れることにした。県下でもトップクラスの135名の部員がいるが、全員が専門家のサポートを受けているわけではない。お金がかかることなので、強制はしていない。だが栄養指導の講義を受けていない選手にも学んだことを共有し、全員で食トレを意識している。

マネージャーお手製のカレーは味もボリュームも満点。


投手陣は代々、練習場に花を植えたり、昼食に使う野菜の畑を手入れをしたりするのが伝統。これには思いやりの心を育んだり、視野を広げ周りをよく見ることができる人になれるように、という意図がある。マリーゴールドの柵は、花の周りについた足跡に気づいた難波投手によって立てられた。

新チームになって感じたひとつになることの難しさ

現3年生の一学年上は70名もの先輩がおり、チームを引っ張っていく力のある選手が多かった。現3年生が最上級生になったとき、責任感を持ってチームのために動ける選手が現れるのか不安を感じた監督は、練習を学年ごとで分けることに。そこで一人でも多くチームの中心となる選手が育ってくれればと願った。

新チームになり初の公式戦でもある秋の県大会は、決勝で米子松陰に負け準優勝。結果だけをみれば悪くはないが、試合内容をみれば力で勝っているとは言い難かった。続く中国大会では、初戦の尾道(広島県4位)戦に1点差で敗れた。甲子園のかかった試合で、チームとしての脆さや弱さが出てしまった。


食後の食器洗いは選手たちの役目。

なぜ、自分ではなくて他の選手が試合に出ているのか。なぜ、真面目に練習している自分が出られないのか。そんな不満がチーム内に不和を生じさせた。
「秋の県大会に負けてから、チームがまとまっていないのが顕著に表れてきました。だから選手には何回もひとつにならなアカンでと伝えました」。

一度チームをリセットして冬に向けて過ごそうと監督は考えていたが、なかなか前に進むことができずにいた。春に向けて明確なビジョンを持ち、チームとして、そして一選手としてどのように冬を過ごすかを意識的に考え動ける選手は僅かだった。

春の県大会での大敗エースの台頭


3年生45名、2年生37名、1年生53名。県下でもトップクラスの部員数を誇る。

冬の間もチームは今ひとつまとまりに欠けていた。そんな状況のままむかえた春の県大会。準々決勝で米子北に12対0で大敗を喫した。
「このままでは絶対に甲子園には行けない」そう思った選手たちは米子北戦のスコアを目につく場所に貼り、悔しさを忘れないように練習に励んだ。練習に精を出す中で、選手たちは気がついた。他人のことばかり気になっていたが、誰かに不満を持っていても何も解決しないこと。妬みひがむ前に自分自身が力をつけ成長していくことが大事だと。ここから練習に対する意識が変わり、6月の終わり頃から少しずつチーム状態が上向いてきた。


3年前に完成した野球部専用のグラウンドは両翼95m、中堅120mの甲子園仕様。


昼食の時間になると3年生から順に並んでごはんを受け取る。「大盛りでお願い」とマネージャーに頼む選手たち。マネージャーとのコミュニケーションの場でもある。

一方で、エースの座からは遠い場所にいた難波海斗投手が徐々に力をつけ始めてきた。難波投手の成長の鍵となったのがチームメイトの河北直也選手。投手としてなかなか成長できず苦しんでいたが、結果が出なくても妥協することなく、決してくじけない。その姿勢に「直也が言うんだったら…」とチーム全員が信頼を寄せる、投手陣のリーダーだ。3年間一度も公式戦のマウンドにあがることはなかったが、弛まぬ努力を続ける彼の存在が難波投手をはじめ、チームに良い刺激になっていた。


5人同時に投球できるブルペン

夏の大会、エースナンバーが難波投手の背に。だが、春の県大会では投げていなかったので監督としては体力面に不安があり、一試合の中でピッチャーを交代しながら総力戦で戦い進める考えだった。チームは決勝までその作戦で勝ち進んだ。決勝も難波投手ではなく、先発に別のピッチャーを予定していたが、そのことをコーチから聞いた難波投手は「先発の座は誰にも渡しません。決勝戦のマウンドは僕が最後に仁王立ちします」と言い放った。そしてむかえた決勝戦。仲間の想いを力に変え、彼は完璧なピッチングをし、初完封で県大会優勝の立役者に。名実ともにエースになった。


広大なグラウンドで選手たちは周囲を気にすることなく思いっきり打撃練習ができる。

決勝戦のベストゲーム最後に見せたチーム力


バッティング練習の確認事項を真剣に聞く選手たち。

チームがひとつになるのに時間がかかり、実力を発揮できずにいた選手たちが、夏の大会では次々に勝っていく。追いつかれても逆転し跳ね返す選手の姿を目の当たりにし、「こんなに強いのか」と監督もその成長ぶりに驚いた。

光の見えない長いトンネルからなかなか抜け出すことができず、それでも必ず出口はあると信じ選手たちを鼓舞し続けた山木監督。「夏の県大会の決勝戦が3年生のベストゲームです」と選手を讃えた、その表情は甲子園の空のように晴れやかだった。

甲子園の思い出

甲子園期間中に滞在したホテルの料理が「何を食べてもおいしかった」と山木監督。選手に腕を振るったのは「現代の名工」でもある上野研二さん。普段は体重を増やすのに苦労する選手も、あまりのおいしさに食べているだけで3kg増加した子も。

鳥取城北高校DATE

所在地 鳥取県鳥取市西品治848
学校設立 1963年
直近の戦績
2018年夏・県大会優勝、全国高校野球選手権1回戦
2018年春・県大会準々決勝
2017年秋・県大会準優勝、中国大会1回戦

(文・写真:食トレマガジン#7より)