【東福岡】強豪復活を託された下野監督、目指すのは「再建ではなく新生」

「文武両道の男子進学校」として、県下有数のマンモス校で知られる東福岡。JR博多駅から徒歩15分という立地と、「男子校」という特色。全国クラスの運動部を支える恵まれた部活環境を持つスポーツの名門校だ。史上初の3冠達成したサッカー部や、10年で6度の全国制覇を誇るラグビー部、全国優勝経験のあるボクシング部やバレー部の活躍は全国であまりにも有名で、近年はどちらかといえば「冬の」スポーツが隆盛を見せている。そして、サッカーやラグビー部が全国上位に進めば進むほど「野球部はどうしているの?」という声が高まり、甲子園出場への期待が増しているのが現状だ。

中・高一貫の男子進学校として人気の東福岡。建学の精神は「努力に勝る天才なし。意志あるところに道あり」

「1年やってみて、だいぶ慣れました」

と話すのは、2017年6月に監督就任したOBの下野輝章監督(35)だ。選手時代は1年夏に甲子園マウンドを経験し、高2秋はエースで神宮大会優勝。センバツでは部で最高の2勝(広陵、日大三)を挙げ8強入り。9番打者ながら、3試合連続本塁打の大会タイ記録を持っている。卒業後、日体大、日本生命で投手として活躍し、全国大会を多く経験。選手として輝かしい功績を持っており、37年間指揮を執った恩師・葛谷修前監督からバトンを渡されて再建を託された。

2017年6月に就任したOBで2001年センバツ8強エースの下野輝章監督

「僕がヒガシに入学したときは2学年上に夏の福岡大会2連覇した賢介さん(田中、日本ハム)がいて、常勝軍団と言われていた時代。甲子園に行くのが当たり前で、甲子園は『行くところ』ではなく『勝つところ』だと思っていました。選手一人一人の意識が高く、自分の役割りがしっかりわかっていた。大人のチームと言った感じでしたね」

130校以上が参加する福岡大会。過去30年で、連覇を果たしているのは東福岡(98、99年)と、九国大付(14~16年)だけしかない。群雄割拠の福岡で「勝つのが当たり前」と言われていたヒガシの黄金時代。その中にいたのが下野監督だった。「始発の電車でグラウンドに行って帰宅は22時過ぎ。記憶にないくらい必死だったし、ガムシャラでした」とふり返る。

そんな経験を土台としながら、今の時代の選手には等身大で向き合うことを忘れない。能力の低い選手にもわかりやすく。日々の指導は試行錯誤の連続だ。

「いまの2年生が2001年生まれ。僕らがセンバツに出た年です。今の子たちに『ヒガシは強かったんだよ』と言ってもピンとこないのは当然です。選手たちに聞くと甲子園は『行きたい場所』。『全国制覇したいです』と言っていた僕らの時代とは違うのです。勝つことは大事ですが、僕らが目指していたものと同じものを求めすぎてはいけない。基本の徹底。そこから根気よく教えています」

野球部のモットーは「自主自立」。社会に通用する「自分で考える力」を身に付ける

ラグビー部監督からの助言も参考に。他の部活へのリスペクトが気付きをもたらす

部員数は69人。3学年になると、寮生を含め100人を超える大所帯となる野球部

監督になって1年が過ぎ、勝つことの難しさにも直面している。就任1年目の2017年秋は実力のある九国大付を倒し4強入り。九州大会出場まであと1歩のところまで勝ち進んだ。しかし春は5回戦敗退。シード権を得て臨んだ南福岡大会は、準々決勝で沖学園に3-4で敗退。沖学園は優勝候補の東福岡を倒した勢いで、そのまま甲子園初出場をつかみとった。昨秋4強、今夏8強(南福岡)、そして、今秋は16強。福岡は公立校が強い地区でもあり、名門私学のユニホームにも、ひるまず向かってくる進学校も多い。その中で、どうしたら選手たちが力を発揮できるか。心の持ち方、メンタルのコンディショニングが重要だと考えている下野監督は、他競技の監督にもアドバイスを求め、良いものを野球部に取り入れているという。
 
「ラグビー部の藤田雄一郎監督は『当たり前のことを当たり前にできる選手を育てている』と言っています。6度の全国制覇を成し遂げていても、靴やバックの並べ方にこだわって指導しているんです。競技は違っても、強いチームってそういう所の差だと思いましたね」
野球部とラグビー部は大会中、応援にかけつける仲。他の部へのリスペクトが気付きをもたらす。これも東福岡の強みの一つだ。

野球部専用の「香椎自由が丘グラウンド」。アップ後すぐに走塁練習を行う

甲子園は2007年夏から11年遠ざかっている。今の時代のチームカラーを聞くと、下野監督は少し間をおいて「色は虹色ですかね」と言った。「ヒガシだからこう、と押し付けるのではなく、僕が選手の色に合わせた指導をしていかなければいけない。代が代われば選手が変わり、チームカラーが変わる。僕が柔軟な指導をしていかなければいけません」
 
指導は虹色。今の時代に合わせた、何色にも変われる指導力で東福岡の新時代を築く下野監督。
「名門復活? いや『新生』ですね」。選手時代に見せた負けん気をのぞかせ、きっぱりと言い切った。(取材・写真:樫本ゆき)

*後編は「自主自立」を育てる、練習方法を紹介します。

東福岡野球部

1955年(昭和30)創立・創部。甲子園出場6回(春2、夏4)。部員数=2年34人、1年35人。女子マネージャー=0人。永山大輔部長、下野輝章監督、伊藤広副部長。スローガン=自主・自立。主なOB=村田修一(元横浜、巨人)、大野隆治(元ソフトバンク)、田中賢介(日本ハム)、吉村裕基(元ソフトバンク)、森雄大(楽天)ほか。所在地=福岡県福岡市博多区東比恵2―24―1。http://www.higashifukuoka.ed.jp/
 

監督PROFILE

下野輝章(しもの・てるあき)
1983年(昭58)8月22日生まれ。福岡県北九州市出身。浅川中(軟式)から東福岡に入学。1年夏に甲子園出場。2年秋にエースで九州大会優勝、神宮大会優勝。3年春のセンバツで3試合連続本塁打(大会記録タイ)などの活躍で8強入り。日体大へ進み3年秋にベストナイン(投手)、神宮大会4強。日本生命でも投手を務め6年間で全ての都市対抗(6回)、選手権出場(6回)を果たす。28歳で引退したのち社業専念を経て、2011年4月から母校の副部長に就任。2017年6月より監督に。家族構成は妻、1男。保健体育科教諭。O型。