日本のスポーツ界の想いを言葉に変える。コピーライター・吉谷吾郎の仕事観
提供:吉谷吾郎さん
「はじめはボランティア仕事ばかりでしたけど、その時間にやって来たことは無駄ではなかったですし、その一つ一つの積み重ねで信用を得られたのだと思います。」
(株式会社パラドックス クリエイティブ・ディレクター吉谷吾郎)
「4年に一度じゃない。一生に一度だ。- ONCE IN A LIFETIME -」というキャッチコピーが書かれたポスターを街中で目にすることが増えてきました。このポスターは2019年に日本で行われるラグビーW杯に向けてのもので、キャッチコピーを考案したのはコピーライターの吉谷吾郎さんです。
子供の頃から続けた水泳で、ジュニアオリンピックで上位の成績を残していたにも関わらず、チームスポーツをしたいという理由で高校ではラグビー部に入部した吉谷さん。高校卒業後は大学ラグビーの名門・早稲田大学でもラグビーを続けます。
社会人になるとボランティアで母校のラグビー部における集客プロジェクトのディレクション、高校のラグビー部のヘッドコーチを引き受けるなど、プライベートの時間もラグビーに費やすようになりました。もともとはプレーヤーとしてラグビーに親しんでいた彼は、いかにして世界最高峰の舞台であるW杯のキャッチコピーを書くまでに至ったのでしょうか。
言葉を仕事にしていこうとした原点を辿りながら、吉谷さんの仕事観を伺います。
ラグビー漬けの生活から、なぜコピーライターへ?
僕は子どもの頃からずっと水泳に打ち込んでいて、ジュニアオリンピックという全国大会でも決勝7位という成績を残していました。高校生になっても水泳を続けようとしていたのですが、早稲田大学高等学院には水泳部がなかったんです。先生からは「練習はクラブチームで続けて、インターハイには高校の選手として出場しても問題ない」と言われていました。
ですが、周囲が部活動をするなか、僕だけがクラブチームで水泳ばかりするのは嫌だと思い、部活動としてチームスポーツをやりたいと思った時に選んだのがラグビーです。父や兄がやっていた影響もあって、小学生の頃は水泳と並行してラグビーをやっていました。高校でラグビーをまたやることになって、大学でも続けて、社会人になってからは母校でラグビー部のヘッドコーチもやらせていただきました。
すべての休日や休暇を費やして母校のラグビー部のヘッドコーチを引き受ける
実はこれまでの仕事人生で「これをやりたい!」というものがあまりなかったんです。「やってほしい!」とか「やってみる?」と人に導かれて、それを一生懸命やってきただけでした。
今ではそういった気持ちはなくなっているのですが、当時、就活をする時に嫌だと思ったのは2つで、スーツを着ることと、大学ラグビー部の先輩がいる会社に行くこと。そこで、自分は何をやりたいかと考えた時に、もともと言葉が好きで、広告に興味を持っていました。それで、コピーライターという仕事に憧れを持つようになりました。
クライアントという形でいろいろな業界の人たちと仕事ができて勉強になることが多そうだし、1つのプロジェクトが何十年単位の建設会社やインフラ事業とはちがって、数ヶ月単位でまた次のプロジェクトに取り掛かるという仕事のスタイルも自分に合っていると思っていました。
最近、僕が言葉を好きになったきっかけが分かったんです。卒業してからもお世話になっていた高校時代の先生が亡くなりその方のお通夜に向かっているときに、高校1年の時に受けたその先生の授業を思い出したんですよ。提出した作文に対して、先生が「面白いから小論文コンクールに出してみたら?」とアドバイスしてくれたんです。
そして全国コンクールに出した結果、佳作に入賞することができました。周囲の人に読んでもらって「良かった」と褒められることがとても嬉しくて。文章を書くことの楽しさを肌で感じた原体験だったと思います。
下積み期間を経て、広告という仕事が誇りに
でも実は、高校の頃からフジテレビに就職したいと思っていたんです。就職活動でももちろん受けて最終面接までは進んだのですが、緊張してしまい本来の自分が出せずに落ちてしまいました。
その後、どうしようかと思って大学の地下にあるパソコン室で就職ナビサイトを開きました。もともと興味があった「広告」というキーワードで検索した時に、今の会社に出会ったんです。広告という業務もそうですが、表参道にオフィスがあることに心惹かれたのを覚えています(笑)。
1年目は、社内の活性化をはかるために行われる、飲み会や社内の行事の企画・実行と、小さな求人広告の原稿をたくさんつくる仕事が主でしたね。社内をクライアントに見立てて、どうしたら楽しんでもらえるか、どんなレクレーションを入れたら良いかなどを考えていました。
3年目くらいの時に、広告業界の一流の人たちにインタビューをし、本を作るという仕事に関わったのですが、そこが1つの転機だったのかなと。その仕事では取材とライティングを担当したのですが、すごく良い刺激を受けて、もっと誇りを持って仕事をしようと思いました。
なかでも、(※)箭内道彦さんにお話を聞いた時に「社会を幸せにしたい、勇気付けたい、みんなを幸せにしたい」という話をしていただいたのは強く印象に残っています。
※箭内道彦:クリエイティブディレクター。タワーレコード「NO MUSIC,NO LIFE.」、東京メトロ「TOKYO HEART」など、数々の広告を手がける
ボランティアを経てW杯の仕事を掴み取る
本を作る仕事をしていた頃に、ボランティアでしたが当時大学の監督を務めていた後藤さん(後藤禎和氏:現NPO法人ワセダクラブ理事)にいただいたお話から(※)早明戦のディレクションを行う機会がありました。
※2013年12月1日に行われた関東大学対抗戦A 早稲田大学対明治大学戦。この試合は、国立霞ヶ丘競技場で行われる最後の早明戦であり、来場者数46,961人を記録した
国立での最後の早明戦は、僕の中で一番の仕事ですね。「国立をホームにしよう。」を合言葉に集客プロジェクトが始動したのが7月。そこから本番の12月まで、本業とは別にボランティアとして全体のディレクションをやりました。
現役の部員たちだけでなく、早稲田の学生たち、もちろん僕らをはじめとしたOBたちを上手くコントロールしていくことが必要でしたし、SNSの発信の仕方、広告の制作などを全てをやっていました。とにかくこの早明戦のプロジェクトを超える夢中というのはないというくらい夢中でした。
プロジェクトの始動として掲げた旗
その後、早明戦での仕事ぶりを見てくださった方の縁や、同じ時期にJリーグクラブの湘南ベルマーレさんの理念やスローガンをつくる企業ブランディングの仕事を担当させていただいた実績もあり、当時新設されることが決まっていた日本ラグビーフットボール選手会のブランドづくりや広報の仕事をやらせていただくことになりました。
そこで、ロゴマークやホームページをつくったり、コンテンツの作成やSNSの発信などをしていましたね。それがきっかけで選手会の発起人の一人であるトシさん(廣瀬俊朗氏:現 東芝ブレイブルーパスBKコーチ)と繋がって、『なんのために勝つのか。 ラグビー日本代表を結束させたリーダーシップ論』という本に関わるなど、一緒に色々な取り組みをするようになりました。そして、いろいろなラグビーのご縁があって、サンウルブズの立ち上げの仕事も多く関わらせていただけることになりました。
2017年の春、ラグビーワールドカップ2019の大会公式キャッチコピーの案を出してくれないかと大会組織委員会の方からいただきました。本来なら大手広告代理店のコピーライターが考えるものだと思うのですが、これまでの僕のラグビーに関する仕事への情熱を見てくださった方からのお声がけでした。そして、運良く自分の書いたコピーが選ばれて世の中に出ることになりました。
おかげさまで多くの反響をいただいており本当にほっとしています。それからも、ワールドカップ組織委員会の他の部署の方とボランティアのコンセプトづくりや、日本ラグビーフットボール協会も交えた2019年以降のレガシープログラムの仕事などのご依頼もいただけました。今振り返ればはじめはラグビーの仕事はボランティアばかりでしたけど、7年間やって来たことは無駄ではなかったですし、一つ一つの積み重ねによって信用を得られたのだと思います。
早明戦後、垣永真之介主将(現:サントリーサンゴリアス所属)と抱き合う吉谷さん
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