トレーニング目的で訪れた国で「選手育成キャンプ」を設立することになった1人のアスリートの話
みなさんは、プロランナー八木勇樹選手をご存知だろうか?
高校2年生から日本人無敗。進学した早稲田大学では出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝を制して3冠を達成。さらにニューイヤー駅伝では2区日本人歴代最速記録をマークした、名実共に日本のトップを走る選手だ。東京五輪出場を目指し2016年に独立すると、株式会社OFFICE YAGIを設立し、自身のランニングチームを発足した。
彼がプロとして、自身の競技力を向上させるために選んだ舞台はケニア。数ヶ月に渡ってケニアでトレーニングをした彼は、この地でのトレーニングの手応えと、ある『熱い想い』を引っさげて帰ってきた。
今回は、日本を代表する輝かしい実績を持つアスリートの1人、八木勇樹選手が始めた新しいチャレンジについてのお話だ。
彼を動かしたのは、一緒にトレーニングをしたケニアの友人たちが置かれている『環境』だった。
栄養も休養もトレーニングのメソッドも行き届いていない中で、圧倒的な走りをするケニアのランナーたち。その環境に驚愕した八木選手は、ケニアランナーをサポートする活動を始めることを決意した。自身も競技力向上を目指すプロランナーであるにも関わらず、だ。
それは「恵まれない人たちへの支援」といった、いわゆる社会的な意義というよりも、世界最強の友たちと一緒に自分自身が成長し続ける環境を作るための選択に近い。
八木選手が設立したのは、ケニアのランナーたちに正しい環境と機会を提供する組織『RDC KENYA』。そこに到るまでの想いや背景について話を聞いた。
リスクは考えず、陸上界を良くしていくために時間を使う
八木さん、まずは一体なぜRDCを設立したんでしょうか?
2018年1月から3月まで2ヶ月半、マラソン大国ケニアに自分の競技力向上のためトレーニングに行きました。ケニア人ランナーの強さを肌で感じることができましたが、一方で貧困の問題を目の当たりにしました。世界で活躍しているケニア人ランナーは一握りで、多くのランナーはチャンスを掴むためにトレーニングを行っていますが、生活が困窮していたり、ろくに食事を摂れない状況でした。
僕の滞在中は、トレーニングパートナーと共に食事をとっていましたが、サポートできる範囲をもっと広げたいなという想いが湧いてきたのが元々のきっかけです。僕自身も、ケニアのトレーニング環境が合っていると感じていましたし、これから自身のトレーニング拠点にしたいと思っていたので、それならいっそプロジェクト化して、自身の競技力向上とケニア人ランナーのサポートを行おうと考えました。
普通、思いついても実際に行動に移すのはとても難しいことだと思います。
自身がリスクをとってまで突き動かされるものは一体何でしょうか?
僕をここまで突き動かすもの……。何でしょうかね(笑)
普段から、陸上界の課題に対して僕の出来ることはやっていこうと考えてはいます。それは僕だけの考えではありません。一緒にやっている三田と新田※も同じです。僕たちに出来ること。これをどれだけ信念を持ってやっていけるか。僕としては課題を見つけたら即座に実行に移すタイプです。リスクは全く考えません。リスクを考えたら何も出来ないと思うんですよ。リスクを考える暇があったら、成功させるために必要な事や、もっと陸上界を良くしていくために僕たちのプロジェクトを大きくしていくことを考える事に時間を使います。
※両氏とも元トップアスリートであり、八木選手が設立したジム「SPORTS SCIENCE LAB」を支えるメンバー
RDC設立にあたり、もちろん苦労したこともたくさんあると思います。
はい、全てが苦労でした。まずケニアでは物事が進むのが遅いです。全ての手続きに時間がかかります。諸々の申請や登録。RDC KENYAはケニア人ランナーをサポートする施設を建設するので、土地の取得から建設会社との打ち合わせ。まぁまず打ち合わせに関しては時間が1時間2時間遅れて始まるのは当たり前。その辺りは慣れましたね(笑)
なるほど(笑)
実際にRDCを設立してみて今何か感じている手応えはありますか?
今年の6月から9月まで、再度ケニアでトレーニングを行いながらRDC KENYAプロジェクトを進めていましたが、まず施設の建設は順調に進んでいます。時間があったらチェックに行っていましたので(笑)
メンバーに関しては、加入希望の選手達と直接話したり、一緒にトレーニングをして選定しました。基本的には貧困の問題で満足いく環境で競技を出来ていないケニア人ランナーのサポートをしたいので、僕の思いと、選手の思いや目標が合致した場合のみ、RDC KENYAに加入させるようにしています。
そこはあくまでビジョンと合致する選手を採用されるんですね。
ケニア人と日本人の競技に取り組む姿勢の違いはありますか?
一概に比較できるものではないですが、良くも悪くもケニア人は競技でお金を稼がなければ食べていくことが出来ない環境に身を置いているので、”強くなるために人生を懸けている”というハングリーさが強い印象はあります。
指導する上では、もともと彼らのトレーニングメソッドは画一的で、選手にとってはあまり良いものではないなと感じました。科学的なことは取り入れていないし、計画性もほとんどない。だからこそ、環境だけでなくトレーニング観点からもケニア人ランナーをサポートしたいと思っています。
彼らは能力は非常に高いですが、それを発揮するだけの準備や機会にめぐまれていない。ただ能力に頼りきっているように思います。しかし、マラソンとなると、僕もすごく苦労していますが、決して簡単ではありません。個々によって様々なアプローチ方法を考えたり、中長期的な育成計画を立てる必要があると思っています。
彼らと一緒に自分も強くなりたいし、彼らには世界で活躍してほしい
八木さんは現役選手でありながら RDC KENYAを設立されました。
八木さんにとって、彼らとどのような立場で接したいと思われていますか?
難しいですね。友達でもあり、ライバルでもあり、マネージャーでもあり、オーナーでもあり、コーチでもある。メンバーも困惑しているかもしれません(笑)
ただ、彼らには何でも思ったことは伝えるようにと言っています。僕は一番重要なのはコミュニケーションだと思っています。まだまだケニア人の考えを全て理解していないですし。そもそも僕の英語力でコミュニケーションを取れているかは不明ですが(笑)
いろんな立場から物事を見れるので、大変ですが、それが僕自身の成長に繋がっていると感じています。彼らと一緒に自分も強くなりたいし、彼らには世界で活躍してほしい。そんな思いです。
とても新しい選手のあり方だと思います。
ご自身の競技感に変化はありますか?
もっと自分自身のやりたい事や、やらなければならない事に向き合う必要があるなという考えが強くなりました。いい意味で、今まで日本でやってきて当たり前だった価値観や競技観というものが自分の中で変わってきたように思います。すごくシンプルだなと。
RDCが目指しているものとはなんでしょうか?
直近の目標と、最終的な目標を教えてください。
世界一のランニングチームを目指します。
メンバーがワールドマラソンメジャーズなど世界のレースで活躍してもっと認知度が向上したり、取り組みを少しでも多くの人に知ってもらえたらと思っています。
ただこれは競技の面での目標で、大きな目標としてはケニア人の貧困問題の解決に少しでも寄与したいという思いもあります。僕ができることはランニングからこの問題を解決する。メンバーの家族や親戚、友達から始まって、もっとケニア人が豊かになって笑顔が増えたらなと思っています。
まず取り組みの第一歩として、10月から12月までメンバーが来日して、横浜マラソンを始めとするレースに出場したり、観光したり寮で生活したりと日本がどんな国かを知ったり、僕らの運営しているSPORTS SCIENCE LABで身体データを測定したり、ランニングチームに参加したりと交流する場も作れたので良かったです。今回の滞在で日本の人にも少しはRDC KENYAを知ってもらうことが出来たのではないでしょうか。

“知る”ことが第一歩
日本の私たちにサポートできることは何でしょうか?
まずは皆さんにRDC KENYAの活動に興味を持ってもらいたいです。
今まで僕自身もそうでしたが、ケニア人ランナーといえば「速い」というイメージしかありませんでした。実際に僕たちが名前を知っている有名ランナーは、ほんの一握りの日の目を浴びている選手で、ほとんどの選手はいつ掴めるか分からないチャンスのために日々トレーニングを行っていて、かなりの苦労をしています。
そういった選手を皆さんと一緒になってサポートしていく取り組みをしていきたいですね。
日本のランナーに伝えたいことはありますか?
日本はすごく恵まれた環境にいる選手が多いです。これは日本で競技を行う上での利点でもありますが、僕としては、いろんな世界を見たり体験することが人生において絶対にプラスになると感じています。このプラスを活かせるかどうかは、その後の取り組みによりますが、僕自身の経験からも一度はケニアに来てほしいですね。そのための宿泊施設も準備しているので。
僕はこのプロジェクトを通して、友人の貧困問題を少しでも解決したい。ケニア人ランナーが競技に集中できる環境を整え活躍の場を提供したい。さらに、日本の選手のサポートにも繋げたいと思っています。
僕は今29歳で、競技者として決して若くありません。ですが、若いうちからケニアでのトレーニングを経験したり、ワールドスタンダードの競技観をもつ事によって、きっと世界で活躍する日本人が増えるのではないかと思っています。だから僕がそのために少しでも力になれればと思っているし、今の僕の活動が日本の陸上界にとって良いものに繋がると信じています。
もちろん、これらの活動を自分の競技にも生かし、僕自身世界で活躍する選手になれるようトレーニングに励みます。
1人の日本のアスリートが、世界最速の地で新たな挑戦をスタートさせている。しかし、この活動はほとんどの日本人がまだ知らない。私たちはいつもアスリートに夢を見させてもらっているが、彼ら自身の夢を応援できる機会は多くないのが現状だ。
ぜひまずは、このRDC KENYAを”知る”ことで応援をしてほしい。
あなたも創設サポートメンバーに
このRDC KENYAの創設サポートメンバーの募集を目的にクラウドファンディングもスタート。
「一緒に創る仲間」として関わりたい方は、下記サイトより応募してみては。