ロッテ・ドラ1藤原を強くした大阪桐蔭・西谷監督との「野球ノート」
◇新春球界インタビュー ロッテ・藤原恭大

ロッテのドラフト1位・藤原恭大外野手(18)がスポニチ本紙単独インタビューを受け、大阪桐蔭の3年間書いた「野球ノート」の一部を公開した。西谷浩一監督(49)の「返事」に背中を押され、3球団競合のドラフトの目玉へ成長した感謝を語った。ライバル心を持ちながら同校で一緒に戦った中日1位・根尾昂内野手(18)に対する秘めた思いも明かした。(取材、構成・福浦 健太郎)
――今の練習内容は。
「ノルマは1日200と決めているんですけど、冬場は450くらい振っています。自分ではバッティングが一番、駄目だと思うので、やっています」
――球団からは2月のキャンプインまで体重82キロにしてほしいとノルマがあった。今は?
「77キロくらいです。キャンプインまでには80キロは超えないといけないと思います」
――たくさん、食べられないタイプ?
「あまり、食べられませんね。普段は頑張って2杯くらい」
――大好物は。
「しらすは結構食べます。弁当に入っていると、うれしい」
――食べ物ドラフト会議なら1位指名?
「いや、3位くらいですね。1位はアイス、2位は果物です」
――その中ならしらすは大健闘だ。
「食事ではあまり、好きなものがなくて…。昔はお菓子も好きだったんですよ。ただ、しらすがあればご飯3杯はいけます」
――それで体重を増やすのも一つの手。
「そうですね!」
――座右の銘は。
「フルスイング、ですかね」
――その原点は?
「小学校から父(史成さん)が監督だったので、当てるバッティングではなく“フルスイングしなければおまえの良さは消える”と言われ続けました」
――体重の割に筋肉が凄い。
「あんまり、筋力トレーニングはしないんです。バットを振った筋肉です」
――リンゴもつぶせるとか?
「はい。できます。握力は左が89キロくらい。右も85キロくらいあります」
――高校3年間で書いた「野球ノート」を見せてくれるそうですね。
「はい、自宅から持ってきました。1日1ページは書いたので、10冊以上あります」
――春夏連覇への意気込みを書いたノートに西谷監督のメッセージがあった。「藤原 もっと変わらないと 成長しないと… 今のままでは普通の選手で終る。それでいいのか?(原文まま)」と。
「西谷監督からはほぼ、褒められたことはありません。なかなか、こういう厳しい言葉は人から言ってもらえることではないし、言ってくれる方は他にはいません」
――常にメッセージがある?
「いえ、1冊のノートに1、2カ所です。でも、新チームの時は“藤原が変わらなければこのチームは勝てない”とも書かれた。厳しく言ってもらえたことで成長できた」
――根尾とも3年間、しのぎを削った。
「特に夏の甲子園はプロに入れるか、左右される大会だと思っていました。根尾は1位で行くだろうけど、それより注目されなければ上位指名はない。根尾が打ったら、自分もと思っていました」
――夏の甲子園ではアベックアーチ(準々決勝の浦和学院戦)もあった。
「自分もドラフト1位で指名してもらえましたが、根尾がいなければ1位はなかったと思いますし、自分はここまで成長できなかったと思います」
――プロで約束したことは?
「1軍で2人でやれたらいいなというのは、お互い思っている。それくらいですね」
――プロ入り後の目標を。
「侍ジャパンのU―18で2度(国際大会に)行かせてもらって2度、3位(※)だった。1位を目指したいし、また日の丸を背負って戦いたい。(20年東京)オリンピックは頑張ってみたいですが、ちょっとまだ、きついんじゃないかなと思います(笑い)」
――トリプルスリーを目標に掲げた。
「自分の特性を考えました。できるかは分からないですが、大きい目標があった方がいい。いい結果を残しても、そこにたどり着くまでは満足しないための目標。そこにたどり着きたいと思います」
――最後に改めて意気込みを。
「1年目からやってやるという気持ちでいます。しっかり、練習して(レギュラーを)つかみ取れるように頑張りたい」
(※)17年U―18W杯(カナダ)で日本はスーパーラウンド4位。3位決定戦に回り、カナダに勝利。18年U―18アジア選手権(宮崎)も韓国、台湾に敗れ決勝を逃し、3位決定戦で中国に勝った。
◆藤原 恭大(ふじわら・きょうた)2000年(平12)5月6日生まれ、大阪府豊中市出身の18歳。原田小1年から園和北フレンズで野球を始め、豊中五中ではオール枚方ボーイズに所属。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入りし、3年夏は4番で高校通算32本塁打。ドラフトは3球団競合の末、ロッテ入団。1メートル81、78キロ。左投げ左打ち。